「気象庁地磁気観測所」の版間の差分

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'''気象庁地磁気観測所'''('''きしょうちょうちじきかんそくじょ''')は[[日本茨城県]][[気象庁石岡市]]附属の(旧・[[地磁気新治郡]]観測所である。[[茨城県]][[石岡市八郷町]]柿岡にあり、[[北海道気象庁]]に女満別出張属する[[鹿児島県地磁気]]に鹿屋出張観測などの支所を持つである
 
== 概要 ==
地球磁気・地球電気に関する観測および調査を行う機関であり、[[北海道]][[網走郡]][[大空町]](旧・[[女満別町]])に女満別出張所、[[鹿児島県]][[鹿屋市]]に鹿屋出張所、[[東京都]][[小笠原村]][[父島]]に無人の常時観測点を置く。
 
== 歴史 ==
*[[1883年]] : [[1882年]] - 1883年の第1回国際極年観測に協力するため、[[内務省 (日本)|内務省]]地理局と[[工部省]]電信局により、[[東京府]][[東京市]]赤坂区今井町(現・[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]])に臨時観測所として開設された。
第1回国際極年観測([[1882年]] - [[1883年]])を契機にして1883年に東京・赤坂に開設された。東京で[[鉄道の電化|鉄道が電化]]し始めたため[[1913年]]に現地の場所に移転し、柿岡地磁気観測所として現在まで継続した地磁気観測を行っている。[[1949年]]までに施設の近くを走る国鉄(当時)[[常磐線]]が電化し始めた事で、赤坂から移転した現在も同じ問題を抱えている。
*[[1897年]]:麹町区(現・[[千代田区]])代官町に開設された中央気象台(現・[[気象庁]])構内に移転し本格的観測を開始した。
*[[1913年]]:東京で鉄道が[[鉄道の電化|電化]]し始め観測に影響が出始めたことから、現在の場所に移転。
*[[1949年]]:[[日本国有鉄道]](国鉄→現・[[東日本旅客鉄道|JR東日本]])[[常磐線]]が施設に近い[[取手駅|取手]]まで[[直流電化]]されたことで、移転後も再び同じ問題を抱えた。
*[[1973年]]:地球を取り巻く赤道環電流の強さを表す指数(Dst指数)を決定するための世界で4ヶ所の地磁気観測所に指定された。
 
== 観測所周辺への影響 ==
[[画像:Dead-section(fujishiro-toride)1.jpg|thumb|200px|right|常磐線藤代駅付近のデッドセクション]]
地磁気観測では、[[直流|直流]]電流]]から発生する[[磁気]]([[ビオ・サバールの法則]])により地磁気観測に悪影響が出るために[[電気事業法]]と[[電気設備に関する技術基準を定める省令]]によって、例えば[[鉄道]]については周囲で[[直流電化]]する場合は観測に影響を出さないようにする対策が義務づけられている。
 
しかし、対策は費用の関係上難しいため[[日本道|国鉄]]では[[1961年]]の常磐線[[取手駅|取手]]~[[勝田駅|勝田]]間<ref>最終的に藤代以北の[[岩沼駅|岩沼]]まで1967年に全線交流電化された。</ref>と[[1967年]]の[[水戸線]]全線の電化では、観測に影響の少ない[[交流電化]]を採用し、取手~[[藤代駅|藤代]]間・[[小山駅|小山]]~[[小田林駅|小田林]]間に[[デッドセクション]]が設けられた<ref>直流電化区間を相互に走れる[[交直流電車]]の技術が完成するまでは電化せず、[[蒸気機関車]]牽引の[[客車]]や[[気動車]]で運転されていた。</ref>。
 
また、[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス]]の[[守谷駅|守谷]]以北は開業当初から交流電化であり、さらに[[関東鉄道常総線]]・[[関東鉄道竜ヶ崎線|竜ヶ崎線]]と[[鹿島臨海鉄道大洗鹿島線]]は設備費用の問題もあり[[非電化]]のままである。なお、本件については[[交流電化#茨城県内の電化と地磁気観測所|こちら]]も参照のこと。