香川真司
香川 真司(かがわ しんじ、1989年3月17日 - )は、兵庫県出身でドイツ・ブンデスリーガ1部のボルシア・ドルトムント所属のプロサッカー選手。ポジションは豊富な運動量や巧みなドリブル、スピードを生かした飛び出しなど積極的な攻撃参加を得意とする攻撃的ミッドフィールダー(MF)。ウィザス高等学校卒業。
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ファイル:Shinji-kagawa-celebrates-goal.jpg | ||||||
名前 | ||||||
カタカナ | カガワ シンジ | |||||
ラテン文字 | KAGAWA Shinji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1989年3月17日(36歳) | |||||
出身地 | 兵庫県神戸市垂水区 | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 63kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
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ポジション | MF / FW | |||||
背番号 | 23 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2006-2010 2010- |
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125 (55) | ||||
代表歴2 | ||||||
2008- |
![]() | 22 (5) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2010年10月19日現在。 2. 2011年1月25日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
神戸時代
幼稚園年長か小学1年生から[要出典]サッカーを始め、地元のマリノFC[1]に所属していた[2][3][4]。
小学5年生の時に神戸NKサッカークラブ[5]に移った[2][3][4]。神戸NKの監督とFCみやぎバルセロナの監督(神戸出身)とが仲が良かったことから、小学5年生の時に2週間ほどFCみやぎバルセロナの練習に参加した[2]。
仙台時代
中学からは仙台にサッカー留学し、仙台市立八乙女中学校に通いながら、FCみやぎバルセロナ[6]のジュニアユースに所属して練習に励んだ[3][7]。FCみやぎバルセロナは個人技の練習に時間を多く割いており、試合において「パス禁止令」がでたこともあった[要出典]。この時期、ナショナルトレセンやU-15日本代表にも選ばれている[2]。
仙台では当初、FCみやぎバルセロナに入団する子供のために北海道から移住してきた一般家庭に下宿して生活していたが、半年後には祖母と2人でのアパート生活となり、FCみやぎバルセロナのユースへ昇格した後は新設されたクラブの寮に移った[4]。
高校は宮城県黒川高等学校に進学したが、寮・高校・練習場[8]が離れていたたため、黒川丘陵越えの道を1日35kmは自転車で移動していたらしく、それが足腰の強化につながったと語っている[2]。
2004年、黒川高校1年生の時に日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会に出場し、ベスト8となる[4][9]。2005年9月、黒川高校2年生の時にU-18東北代表(清水秀彦監督)に飛び級で選出され、仙台カップ国際ユースサッカー大会 (U-18) にボランチとして出場し[10]、MIPの1人に選ばれた。
セレッソ大阪
FC東京からの誘いもあったが、地元に近いセレッソ大阪を選んで同2005年12月18日に仮契約を交わした[2][11]。年が明けて2006年にC大阪に入団(高校2年)し、C大阪と業務提携しているウィザス高等学校(通信制)に転校した[2]。高校卒業前の選手がプロ契約を結ぶのは、Jクラブのユース所属選手がトップチームに昇格した場合を除くと史上初だった。この年はクラブでの試合出場こそなかったが、U-17日本代表に選ばれ、サニックス杯国際ユースサッカー大会に数試合出場している。
J2で迎えた2007年シーズン中盤からは、レヴィー・クルピ新監督によって見出されてレギュラーを獲得し、リーグ戦35試合の出場で5得点12アシストを記録した。また、カナダで開催されたU-20ワールドカップにも飛び級で選出され、2試合に出場した。
2008年シーズンは、開幕からC大阪の主力として活躍し、本来の世代であるU-19代表のほか、U-23の北京五輪日本代表にも飛び級で選出され、リーグ戦では35試合の出場で16得点10アシストを記録した。シーズン終了後の日本代表合宿では、岡田武史監督から苦手なヘディングの居残り指導を受けている[12]。
2009年シーズンから背番号を森島寛晃が着用した「8」へ変更。第15節水戸戦でプロ入り初のハットトリックを達成し、その後も4試合連続ゴールを記録するなど得点を重ねる。シーズン終盤は怪我の影響で主にスーパーサブとしての出場だったが、リーグ戦27得点13アシストを記録し、J2得点王に輝く。10月にはエールディヴィジのVVVフェンローから獲得のオファーがあったことが発表され[13]、シーズン終了後に当該チームの施設見学などをしたが、最終的には残留を決意し、C大阪と2010年シーズンの契約を結んだ。
ボルシア・ドルトムント
2010年7月1日、育成補償金35万ユーロ(約4000万円)[14]でブンデスリーガ1部のボルシア・ドルトムントに完全移籍[15]。 代理人のトーマス・クロートは(以前ドイツでプレーしていた)高原直泰から「香川というよい選手がいる」とアドバイスがあったことがきっかけで、ドルトムント行きにつながったとしている[16]。高原の紹介を受けたクロートは、旧知の間柄であったドルトムントGMのミヒャエル・ツォルクにコンタクトを取る。2人はJリーグを視察し、香川に高い評価を与えた。その後2009年12月にドルトムントのホーム試合に招待された香川は、8万を超える観衆が送る大声援に感激し、早い段階でドルトムントへの入団希望を伝えていたという[17]。
プレシーズンマッチ、マンチェスター・シティ戦では、開始早々先制点となるPKを獲得し、後半にも決勝点となるゴールを挙げるなど、移籍後初となるホームでの試合で華々しくデビューを飾った[18]。また、欧州移籍後初の国際試合となるUEFAヨーロッパリーグプレーオフ1stレグでのFKカラバフ戦で2ゴールを挙げ、公式戦初ゴールを記録した[19]。同日にはドイツリーグ協会から注目すべきアジア選手の一人として特集されるなど[20]、香川のドイツでの評価は急速に高まった。
第3節VfLヴォルフスブルク戦でブンデスリーガ初得点を記録。第4節ではライバル関係にあるシャルケ04とのドイツ最大のルールダービーにて、「僕が2点取って2-0で勝つ」との公約通りに2ゴールを挙げ、[21]、キッカー誌、ビルト紙等で最高評価点1を獲得。ドイツサッカーを代表する2大メディアから「ブンデスリーガ最高の選手」「ダービーの英雄」と評価され、シーズン2度目のマン・オブ・ザ・マッチ、ベストイレブンに選定された[22]。キッカー誌では見開きカラー面2ページで特集が組まれ、同僚の18歳MFマリオ・ゲッツェとともに「2人はブンデスリーガに天才として姿を現した」と絶賛された[23]。11月18日に発売されたキッカー誌では表紙を飾り、その特集では、今夏新加入した109人を対象としたここまでの貢献度が評価され、香川はわずか7人にしか与えられなかった最高点「5」を与えられた[24]。UEFAヨーロッパリーグにおいては、チームは決勝トーナメント進出を逃したが、香川自身は欧州初挑戦ながら8試合で4ゴールを記録した。 ブンデスリーガのドルトムントは、香川の活躍もあって日本人所属チーム初の冬(リーグ前半期)の王者に輝き、香川自身は前半期で8ゴールを収めた(MF登録選手の中ではリーグ1位)。
香川の活躍はドイツでセンセーションを起こし、ブンデスリーガ公式サイトが選ぶ前半戦のMVPに選出された[25]。 また、キッカー誌が選定するドイツ1部リーグ前半戦の攻撃的MF部門MVPにも選出され[26]、同じくキッカー誌による同リーグの選手間投票で29.3%の支持を集め、「今シーズン最大の発見」に選出された[27]。他に「goal.com」が選ぶ今季移籍した選手トップ10で1位[28] 、ブンデスリーガの出来事トップ5でも1位に選出された[29]。2011年1月にはFIFAが発表した「2011年期待の若手13人」の一人に選ばれた[30]。
また、この活躍でスペインのレアル・マドリード、FCバルセロナ、バレンシア、アトレティコ・マドリード、ドイツのバイエルン・ミュンヘン、イングランドのマンチェスター・ユナイテッド、トットナム、イタリアのACミラン、インテル、ユベントスといった各国名門クラブが興味を示している[31][32][33][34][35][36]。
日本代表
2008年に平成生まれとしては初めて日本代表に選出され[37]、5月24日のキリンカップ、対コートジボワール戦で国際Aマッチデビューを飾る。同年10月9日のキリンチャレンジカップ、対UAE戦では史上3番目の若さで代表初ゴールを挙げた。2010年6月のW杯南アフリカ大会では登録メンバーには選出されなかったが、サポートメンバーとして参加した。
2011年1月、アジア杯カタール大会の代表メンバーに選ばれ、中村俊輔が代表引退してから空き番となっていた背番号『10』を受け継いだ[38]。グループステージのサウジアラビア戦では岡崎慎司のゴールをアシストし[39]、準々決勝の開催国カタール戦ではともに1点リードされている状況から2得点を挙げ、伊野波雅彦の決勝点もアシストする活躍で日本代表の準決勝進出に貢献した[40]。しかし、準決勝の韓国戦で右足を負傷し途中交代したところ、右第5中足骨骨折であることが判明し、決勝のオーストラリア戦を前に戦線離脱を余儀なくされた[41]。
エピソード
所属クラブ
- ユース経歴
- 2001年 - 2003年 FCみやぎバルセロナジュニアユース
- 2004年 - 2005年 FCみやぎバルセロナユース
- プロ経歴
- 2006年 - 2010年 セレッソ大阪
- 2010年 - 現 在 ボルシア・ドルトムント
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | C大阪 | 29 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2007 | C大阪 | 26 | J2 | 35 | 5 | - | 1 | 2 | 36 | 7 | |
2008 | C大阪 | 26 | J2 | 35 | 16 | - | 0 | 0 | 35 | 16 | |
2009 | C大阪 | 8 | J2 | 44 | 27 | - | 0 | 0 | 44 | 27 | |
2010 | C大阪 | 8 | J1 | 11 | 7 | 1 | 0 | - | 12 | 7 | |
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2010-11 | ドルトムント | 23 | ブンデス1部 | 17 | 8 | - | |||||
通算 | 日本 | J1 | 11 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 12 | 7 | |
日本 | J2 | 114 | 48 | - | 1 | 2 | 115 | 50 | |||
ドイツ | ブンデス1部 | - | |||||||||
総通算 | 125 | 55 | 1 | 0 | 1 | 2 | 127 | 57 |
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国際大会個人成績 | ||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
UEFA | UEFA EL | UEFA CL | ||||
2010-11 | ドルトムント | 23 | 8 | 4 | - | |
通算 | UEFA | 8 | 4 | 0 | 0 |
個人タイトル
経歴
- Jリーグ初出場 - 2007年4月7日 J2 第7節 対サガン鳥栖戦(長居第2陸上競技場)
- Jリーグ初得点 - 2007年5月23日 J2 第17節 対水戸ホーリーホック(笠松陸上競技場)
- A代表初出場 - 2008年5月24日 キリンカップサッカー2008 対コートジボワール戦(豊田スタジアム)
- A代表初得点 - 2008年10月9日 キリンチャレンジカップ 対UAE戦(東北電力ビッグスワンスタジアム)
- ブンデスリーガ初出場 - 2010年8月22日 第1節 対バイヤー・レバークーゼン戦(ズィグナル・イドゥナ・パルク)
- ブンデスリーガ初得点 - 2010年9月11日 第3節 対VfLヴォルフスブルク戦(ズィグナル・イドゥナ・パルク)
代表歴
- 2005年
- U-18代表 AFCユース選手権2006予選 - 出場なし
- 2006年
- U-19代表 AFCユース選手権2006 - 2試合0ゴール
- 2007年
- U-20代表 FIFA U-20ワールドカップ2007 - 2試合0ゴール
- 2008年
- 北京五輪日本代表 北京五輪・サッカー - 3試合0ゴール
- 2011年
- 日本代表 AFCアジアカップ2011
試合数
- 国際Aマッチ 22試合 5得点(2008年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2008 | 6 | 1 |
2009 | 4 | 1 |
2010 | 7 | 1 |
2011 | 5 | 2 |
通算 | 22 | 5 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2008年10月9日 | 日本、新潟 | アラブ首長国連邦 | △1-1 | キリンチャレンジカップ |
2. | 2009年2月4日 | 日本、東京 | フィンランド | ○5-1 | キリンチャレンジカップ |
3. | 2010年9月4日 | 日本、横浜 | パラグアイ | ○1-0 | キリンチャレンジカップ |
4. | 2011年1月21日 | カタール、ドーハ | カタール | ○3-2 | AFCアジアカップ2011 |
5. | 2011年1月21日 | カタール、ドーハ | カタール | ○3-2 | AFCアジアカップ2011 |
脚注
- ^ 特定非営利活動法人マリノスポーツクラブ
- ^ a b c d e f g 16歳でJリーガーに! 神戸出身の香川真司選手に注目!(神戸サッカー協会広報紙「神戸のサッカー」)
- ^ a b c セレッソ大阪 香川真司選手(株式会社現代ビジネスプラン「関西の“旬”情報」)
- ^ a b c d PLAYER'S HISTORY 「香川真司」(Jリーグ選手協会)
- ^ NPO法人兵庫県サッカー夢クラブ
- ^ FCみやぎバルセロナ(マイルドスポーツ株式会社)
- ^ U23飛び級香川が「ヒデ」になる(日刊スポーツ 2008年3月27日)
- ^ FCみやぎバルセロナ「主な活動場所」(マイルドスポーツ株式会社)
- ^ FCみやぎバルセロナユース 香川真司選手加入内定のお知らせ(セレッソ大阪 2005年12月19日)
- ^ 大会アンバサダー(親善大使) 清水秀彦(仙台カップ国際ユースサッカー大会)
- ^ C大阪に飛び級入団の高2生・香川真司(日刊スポーツ 2005年12月19日)
- ^ “岡田監督が香川&乾に居残り「頭」特訓”. 日刊スポーツ. (2009年1月15日) 2010年8月21日閲覧。
- ^ VVVが香川獲り!“ポスト本田”へ期待
- ^ “香川という宝石を掘り当てたドルトムント”. UEFA.com. (2010年9月29日) 2010-09-31閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
{{cite news}}
:|accessdate=
の日付が不正です。 (説明)⚠ - ^ C大阪・香川が独ドルトムントへ完全移籍
- ^ “【欧州サッカー】見出しは「大当たり!」香川、独専門誌の表紙飾る”. 産経ニュース. (2010年11月18日) 2010年11月19日閲覧。
- ^ 『週刊サッカーダイジェスト』11月30日号、日本スポーツ企画出版社、2010年、p.38。
- ^ “ドルトムント香川、練習試合でゴール決めた”. デイリースポーツ. (2010年8月5日) 2010年8月20日閲覧。
- ^ “サッカー=ELプレーオフ、香川が2ゴールで勝利に貢献”. ロイター. (2010年8月20日) 2010年8月20日閲覧。
- ^ “MF香川真司がアジア選手注目度NO.1”. 日刊スポーツ. (2010年8月20日) 2010年8月20日閲覧。
- ^ “サッカー=香川、「2点取って勝つ」を有言実行”. ロイター. (2010年9月20日) 2010年9月22日閲覧。
- ^ “地元紙が香川絶賛「ダービーの英雄に」”. SANSPO.COM. (2010年9月21日) 2010年9月22日閲覧。
- ^ ““ブンデスのエース”香川に最高の高評価”. Sponichi Annex. (2010年9月28日) 2010年10月2日閲覧。
- ^ “香川がキッカー誌の表紙を飾る!”. サーチナニュース. (2010年11月18日) 2010年11月27日閲覧。
- ^ “香川、リーグ前半戦MVP!アジア杯でも「結果を」”. Sponichi Annex. (2010年12月22日) 2011年1月11日閲覧。
- ^ “香川、独キッカー誌のMVPに選出!”. スポーツ報知. (2011年1月9日) 2011年1月9日閲覧。
- ^ “香川真司が“今シーズン最大の発見”に選出”. SOCCER KING. (2011年1月12日) 2011年1月12日閲覧。
- ^ “Goal.com Special: Bundesliga Top 10 Transfers Of The Season”. Goal.com. (2010年12月21日) 2010年12月22日閲覧。
- ^ “Clark Whitney's Teutonic Tuesday: Top Five Moments Of The Bundesliga Season So Far”. Goal.com. (2010年12月21日) 2010年12月22日閲覧。
- ^ “Players to watch in 2011”. FIFA.com. (2011年1月13日) 2011年1月14日閲覧。
{{cite news}}
: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ) - ^ “名将が惚れた!!レアルが香川獲り調査”. SANSPO.COM. (2010年12月25日) 2011年1月9日閲覧。
- ^ “バイエルンM、香川に食指!伊ビッグ3と争奪戦!?”. Sponichi Annex. (2010年10月10日) 2011年1月9日閲覧。
- ^ “モウリーニョまで香川に注目?”. Goal.com. (2010年12月25日) 2011年1月9日閲覧。
- ^ “香川“本場”で名刺弾!アトレチコ獲得本腰!”. Sponichi Annex. (2010年12月17日) 2011年1月9日閲覧。
- ^ “香川獲得へ、マンUが19億円用意!”. Sponichi Annex. (2011年1月10日) 2011年1月12日閲覧。
- ^ “香川獲りに欧州名門トットナムも参戦へ”. (2010年12月19日) 2011年1月9日閲覧。
- ^ 香川ビックリ“飛び飛び級”で岡田ジャパン初招集Sponichi Annex(2008年04月18日)
- ^ 香川10番で築くエース像&導くアジア頂点Sponichi Annex(2010年12月29日)
- ^ 香川も目覚めた!初アシスト/アジア杯日刊スポーツ(2011年1月18日)
- ^ 香川がエースの働き!2ゴール&3点目も演出Sponichi Annex(2011年1月22日)
- ^ 香川、骨折で無念離脱…日本のV信じる!デイリースポーツ(2011年1月28日)
関連項目
外部リンク