鹿島アントラーズ
鹿島アントラーズ(かしまアントラーズ、Kashima Antlers)は、日本の茨城県鹿嶋市、潮来市、神栖市、行方市、鉾田市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
| 鹿島アントラーズ | |
|---|---|
| 原語表記 | 鹿島アントラーズ |
| 呼称 | 鹿島アントラーズ |
| 愛称 | アントラーズ |
| クラブカラー | ディープレッド[1] |
| 創設年 | 1947年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | J1リーグ |
| クラブライセンス | J1 |
| ホームタウン |
茨城県鹿嶋市[1]、潮来市[1]、 神栖市[1]、行方市[1]、鉾田市[1] |
| ホームスタジアム |
|
| 収容人数 | 40,728[1] |
| 運営法人 | 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー[1] |
| 代表者 | 井畑滋[1] |
| 監督 |
|
| 公式サイト | 公式サイト |
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場 |
| 本社所在地 |
〒314-0021 茨城県鹿嶋市粟生東山2887[1] |
| 設立 | 1991年10月1日 |
| 業種 | サービス業 |
| 法人番号 | 7050001020168 |
| 事業内容 | サッカークラブの運営、スタジアムの管理運営 |
| 代表者 | 井畑滋(代表取締役社長) |
| 資本金 | 15億7,000万円[2] |
| 売上高 | 41億2,200万円(2014年1月期)[2] |
| 営業利益 | 4,100万円(2014年1月期)[2] |
| 経常利益 | 8,600万円(2014年1月期)[2] |
| 純利益 | 7,800万円(2014年1月期)[2] |
| 純資産 | 15億9,000万円(2014年1月期)[2] |
| 総資産 | 21億3,900万円(2014年1月期)[2] |
| 決算期 | 1月期 |
| 主要株主 | 新日鐵住金 他 |
| 関係する人物 |
鈴木昌 大東和美 下妻博 |
| 外部リンク | 公式ウェブサイト |
概要
1947年に創設された住友金属工業蹴球団が前身。1991年のJリーグ加盟時に鹿島アントラーズに改称した。Jリーグ創設時からの加盟チーム(オリジナル10)の一つである。ホームタウンは茨城県鹿嶋市(合併前は鹿島郡鹿島町と大野村)・潮来市(合併前は行方郡潮来町と牛堀町)・神栖市(合併前は鹿島郡神栖町と波崎町)に2006年からは行方市、鉾田市が追加された。1995年に鹿嶋市が誕生して以後もチーム名は地域名の「鹿島」のまま。なお当時ホームタウンは原則として1チーム1市区町村だったが、鹿島に限り特例で周辺市町村との広域ホームタウンが認められた。
ホームスタジアムは県立カシマサッカースタジアム[1]、練習場は鹿島アントラーズクラブハウスグラウンド[1] である。
チーム名の「アントラー(antler)」は英語で鹿の枝角を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。チーム発足時からクラブのアイデンティティとして「FOOTBALL DREAM」を常に掲げている。クラブマスコットはシカをモチーフにした「しかお」と、1997年3月2日に「しかお」と結婚したと言う設定の「しかこ」、1999年8月1日にしかおとしかこの間に誕生したと言う設定の「アントン」である。
国内の3大タイトル(J1リーグ、ナビスコカップ、天皇杯)において、Jリーグクラブでは史上最多の17冠かつそれぞれのタイトルにおいて最多優勝回数を誇る。A3チャンピオンズカップやスルガ銀行チャンピオンシップ、スーパーカップを含めると、史上最多の25冠である。また、Jリーグ史上初となる3連覇(2007年 - 2009年)を達成し、2000年度にはJリーグ発足後初の国内三冠を達成したクラブでもある。
歴史
住友金属時代
1947年創部の住友金属蹴球同好会(1956年に住友金属工業蹴球団へ改称)が前身となり、1973年に日本サッカーリーグ(JSL)2部、1985年にJSL1部へ昇格した。なお、1975年に大阪市から茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)に本拠地を移転した。
1989年にプロサッカーリーグ設立が具体化したのを受けて、1990年に住友金属工業(現・新日鐵住金)の「2000年ビジョン」の指針が発端となって、茨城県鹿島町長を含めた7名が当時JSL2部に所属していた住友金属工業蹴球団のプロリーグ参加を協会に要望した。
1991年、ブラジル代表で主将を務めたジーコが加入(川淵三郎によると、「当初、紹介した古河電工(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)にそのまま加入してもらおうと思っていたが、当の古河電工はジーコ入団に難色を示し、その後断りをいれた。そのため、新たに住友金属を紹介したところ、住友金属のアピールもあって、ジーコの入団が実現した」と話している)。
サッカー専用スタジアムとして建設された茨城県立カシマサッカースタジアムをホームスタジアムとして、初年度からのJリーグ加盟が承認された。また、チーム名を「鹿島アントラーズ」と改称、プロクラブとして新たなスタートを切った。
なお、Jリーグ最初の公式戦、1992年のJリーグカップでは、鹿島主管試合を笠松運動公園陸上競技場を主として国立霞ヶ丘陸上競技場、西京極スタジアム(西京極での試合はガンバ大阪が相手であった)で行った。
1993年 - 1995年
- 1993年
- 初代監督に本田技研前監督の宮本征勝が就任。長谷川祥之や本田泰人など本田技研の選手、ジーコ、アルシンドなどブラジル人選手を中心に補強。
- 1993年5月16日の開幕戦はカシマサッカースタジアムに名古屋グランパスエイトを迎えたホームゲームで「ジーコとゲーリー・リネカーの対決」が注目されたが、ジーコのハットトリックとアルシンドの2得点で5-0で圧勝。旧本田勢に加えて大卒新人の秋田豊がレギュラーを獲得した。開幕シリーズである1993年1stステージを制覇したが、1994年1月に国立霞ヶ丘陸上競技場で行われたJリーグチャンピオンシップでヴェルディ川崎に1分1敗と通算成績で敗れ、初代年間王者は獲得できなかった。第2戦ではジーコが三浦知良のPKの際にボールへつばを吐く非紳士的行為でこの日2枚目の警告で退場となった。それでも、JSL2部のチームを母体に参戦した唯一のJリーグクラブながら、開幕戦の圧勝から1stステージ優勝に至る快進撃によって、鹿島町は「サッカーの町」として全国的に認知され、周辺人口の少なさから低調な観客動員が危惧されていたカシマサッカースタジアムは毎試合超満員となり、チケット入手が非常に困難なスタジアムとして知られるようになった。
- 1994年
- 宮本体制2年目。リーグ戦のサントリーシリーズ(1stステージ)終了後にジーコが現役を引退したが、その後もテクニカル・アドバイザーとしてチームに関わり、また実兄のエドゥーがヘッドコーチとして入団し、2ndステージからゼネラルマネージャーに転出した宮本の後任監督として指揮を執った。また、1994 FIFAワールドカップにブラジル代表として出場したレオナルドが加入。この年のリーグ戦でアルシンドが、鹿島でシーズン最多の28得点を記録。天皇杯は1回戦でJFLの東京ガスに敗れ、初戦敗退を喫している。
- 1995年
- エドゥー体制2年目。ジョルジーニョが加入。前年加入のレオナルドなど彼らの活躍で鹿島は強豪としての地位を築いていった。これ以後も鹿島にはジーコの人脈を生かした優秀なブラジル人選手が加入した。リーグ戦は年間順位が7位、天皇杯はベスト4で終え、監督のエドゥーが退任した。
1996年 - 1999年
- 1997年
- カルロス体制2年目。V川崎からビスマルク、平塚から名良橋晃を獲得。ゼロックス・スーパーカップで初優勝を果たした。リーグ戦は1stステージで優勝し、年間勝点一位。サントリー・チャンピオンシップは2ndステージ優勝のジュビロ磐田に2連敗でタイトルはならなかった。しかし、ナビスコカップと天皇杯をいずれも初制覇した。J1の年間勝点一位、リーグカップ優勝、天皇杯優勝をリーグ史上初めて同年達成した。
- 1998年
- チームスローガン:CHALLENGE
- カルロス体制3年目。スーパーカップで2年連続優勝果たす。1stステージ中断中にジョアン・カルロスとジョルジーニョが意見の食い違いで衝突、ジョアン・カルロスが辞任し、残り試合を関塚隆が監督代行を務めた。
- 2ndステージ開始前にゼ・マリオが監督に就任。9月23日に長谷川が清水戦で、クラブ初の在籍通算100得点目を達成。チャンピオンシップは磐田を下して、2度目のリーグ年間優勝を果たした。この年のリーグ戦で柳沢敦が、クラブでの日本人シーズン最多の22得点を記録。2ndステージ第5節の福岡戦から翌1999年第3節広島戦まで16連勝した。また、同年のフランスW杯日本代表に鹿島から秋田豊、名良橋晃、相馬直樹の3人が選出された。
- 1999年
- チームスローガン:NEXT
- マリオ体制2年目。2002 FIFAワールドカップ開催へ向けたカシマサッカースタジアムの改修工事が始まり、リーグ戦1stステージの主催試合は国立霞ヶ丘陸上競技場で開催。1998-99年シーズンのアジアカップウィナーズカップで3位に入賞。ただし、この年はゼロックス・スーパーカップで3連覇を達成したに留まった。シーズン途中で監督のゼ・マリオを解任し、2ndステージ途中からジーコが総監督として指揮を執った。なお、9月23日の市原戦で、Jリーグクラブ最速のリーグ戦通算500得点を達成した。
2000年 - 2006年
- 2000年
- チームスローガン:Glory Again - 原点からの挑戦 -
- ジーコと共に「黄金のカルテット」をブラジル代表で構成したトニーニョ・セレーゾが監督に就任。この年にJリーグ、ナビスコカップ、天皇杯を制覇し、Jリーグ発足以来初の三冠を達成した。
- 2001年
- チームスローガン:- 勝利主義 Antlersism - FOR NEXT 10 YEARS
- セレーゾ体制2年目。2000年シーズンの三冠達成を称えて茨城県から県民栄誉賞を受賞。リーグ戦の1stステージは11位と低迷したが、2ndステージはアウグストなどの活躍で優勝。チャンピオンシップで磐田を破り、リーグ連覇を果たす。
- 2002年
- チームスローガン:- 進化 Antlersism - STAIRWAY TO THE WORLD
- セレーゾ体制3年目。リーグ戦は絶好調の磐田を止められず3連覇を逃したが、ナビスコカップは決勝で浦和を下し優勝。なお、2002 FIFAワールドカップで日本代表に秋田豊、鈴木隆行、柳沢敦、中田浩二、小笠原満男、曽ヶ端準の6人(クラブ別では最多)が選出された。鈴木は初戦のベルギー戦でゴールを決め、鹿島所属として初のW杯得点者となった。大会終了後にはジーコが日本代表監督に就任し、テクニカルディレクターを辞任した。また、鈴木はベルギーのKRCヘンクへ移籍した。
- 5月7日、初代監督を務めていた宮本が逝去。
- 2003年
- チームスローガン:OVER'03 - カシマからアジア、そして世界へ -
- セレーゾ体制4年目。A3チャンピオンズカップ初代王者となった。柳沢がイタリアのサンプドリアへ期限付きで移籍(2005年にFCメッシーナへ完全移籍)した。ナビスコカップは2年連続で決勝に進出するも浦和に敗れ、連覇はならなかった。
- 2004年
- チームスローガン:FOOTBALL DREAM 2004 - 奪冠10 -
- セレーゾ体制5年目。リーグ戦は1stステージ5位、2ndステージ4位に終わった。ナビスコカップと天皇杯ともにベスト8で敗退し、タイトルを獲得できずにシーズンを終える。
- 2005年
- チームスローガン:FOOTBALL DREAM 2005 - 反撃宣言 -
- セレーゾ体制6年目。J1が1ステージ制に移行したリーグ戦は開幕ダッシュに成功。一時は2位に勝ち点差10以上をつけたが、中盤に入るとG大阪や浦和、千葉、C大阪に追いつかれ、優勝の可能性が残っていた最終節では勝利したものの、結局3位でシーズンを終えた。中田がフランス・リーグ・アンのオリンピック・マルセイユに移籍。シーズンの終了後、6年に渡り監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退した。
2006年 - 2011年
- 2006年
- チームスローガン:FOOTBALL DREAM 2006 - 一新制覇 -
- サンパウロFC元監督のパウロ・アウトゥオリが監督に就任。リーグ戦は柳沢敦の復帰、高卒新人のサイドバック内田篤人の活躍などがあったが、シーズン途中に大黒柱だった小笠原満男がFCメッシーナ(イタリア)へ翌年6月までの期限付きで移籍などにより成績は6位。一方でナビスコカップでは3年ぶりに決勝に進出したが、千葉に敗れた。天皇杯は準決勝で浦和に敗れた。結局、パウロ・アウトゥオリは1年で監督を退任した。なお、2006 FIFAワールドカップの日本代表には小笠原満男と柳沢敦が選出された。
- 2007年
- チームスローガン:FOOTBALL DREAM'07 - 魂 Spirits -
- コリンチャンスやサンパウロFCなどで監督を歴任したオズワルド・オリヴェイラが監督に就任。清水エスパルスからマルキーニョス、塩釜FCユースから遠藤康を獲得。リーグ戦では、小笠原に代わり司令塔に指名された野沢拓也が開幕直前のプレシーズンマッチで負傷。開幕から5試合勝ち星がなかったが、野沢が復帰後は徐々に成績が上昇。リーグ中断からの後半戦はレンタル移籍から小笠原が復帰し、終盤の9連勝など14勝2敗の快進撃で6年ぶり5回目のリーグ優勝を果たし、同時にクラブの悲願だった「10冠」を達成した。最終節まで1度も首位に立たなかったチームが最終節で逆転優勝したのはJリーグ史上初めてである。また、アウェイの浦和戦でリーグ史上最速となるリーグ通算300勝を達成。
- なお、FIFAクラブワールドカップ2007に本来であれば「開催国枠」として出場する予定であったが、AFCチャンピオンズリーグ2007で浦和が優勝し、大会規定「1カ国2チーム以上出場できない」によりこの大会への出場は出来なかった。
- ナビスコカップは、準決勝でG大阪に1勝1敗ながらアウェーゴール数の差で敗退。
- 天皇杯は、J2降格が決まっている広島との決勝で勝利し、2度目となるリーグ戦との2冠を達成した[注 1]。
- 1月9日、鹿嶋市から11冠達成を称え特別功労賞が贈られ、2月1日には茨城県から県民栄誉賞(2000年度以来2度目)を授与された。
- 7月29日には前年に引退した本田泰人の引退試合が、1993年のJリーグチャンピオンシップの出場メンバーを中心にした「鹿島アントラーズ1993対ヴェルディ1993」としてカシマサッカースタジアムで開催された。
- 2008年
- チームスローガン:FOOTBALL DREAM 2008 - DESAFIO 挑戦 -
- オリヴェイラ体制2年目。富士ゼロックス・スーパーカップは広島と対戦し、2点をリードするも終了間際に追いつかれ、PK戦の末に敗れた。リーグ戦は、1シーズン制導入後初めてとなるJリーグ2連覇を達成。この年のリーグ戦でマルキーニョスが、21得点で鹿島初のJリーグ得点王を獲得。
- AFCチャンピオンズリーグ2008では、日本のクラブチームでACLグループリーグ最多得点となる6戦合計28得点をあげてクラブ初の決勝トーナメント進出を決め、ベスト8。
- なおリーグ戦で2連覇を果たすが、ACLにおいてG大阪が優勝したため、不運にも2007年と同様に大会規定の関係でFIFAクラブワールドカップ2008出場は出来なかった。
- 2009年
- チームスローガン:FOOTBALL DREAM 2009 - PROGRESSO 飛躍 -
- オリヴェイラ体制3年目。鹿児島城西高校から大迫勇也、外国籍選手枠のほかに導入されたアジア枠で、韓国人のパク・チュホを水戸から獲得した。
- 2月1日には、クラブへ貢献した選手などに対する殿堂として第1回アントラーズ功労賞が発表され、功労賞受賞者の1人でもある秋田豊の引退試合が行われた。同月28日に富士ゼロックス・スーパーカップでG大阪に勝利し、10年ぶり4回目の優勝を果たした。
- リーグ戦では3連覇への好スタートを切り、夏場から秋口にかけて5連敗を喫するも、Jリーグ史上初の3連覇を達成した。
- AFCチャンピオンズリーグ2009は2年連続決勝トーナメント進出を決めたが、ラウンド16で韓国のFCソウルにPK戦の末敗れ、ベスト16で敗退。
- 2010年
- チームスローガン:FOOTBALL DREAM 2010 - Evolucao 新化 -
- オリヴェイラ体制4年目。広島から佐藤昭大、元新潟のジウトンをポルト・アレグレからレンタル移籍で、京都からイ・ジョンス、ブラジル2部リーグのポルトゲーザからフェリペ・ガブリエルを完全移籍で獲得。ユースから八木直生が昇格、レンタル移籍で移籍していた鈴木修人(湘南)、船山祐二(C大阪)が復帰した。
- 2月27日、富士ゼロックス・スーパーカップは2年連続でG大阪と対戦し、PK戦による勝利で5度目の優勝と、同大会史上初の同一クラブ2度目の連覇を果たした。
- リーグ戦は、失点数や敗戦はリーグで最少だったものの、引き分けが12と後半戦は勝ち切れない試合の多さが響きリーグ4連覇を逃し、4位で終了した。
- 6月に行われた2010 FIFAワールドカップの日本代表に内田篤人と岩政大樹、韓国代表にイ・ジョンスが選出され、イ・ジョンスは本大会で2得点を記録。7月には、内田篤人がドイツのシャルケ04、イがカタールのアル・サッドに移籍した。
- AFCチャンピオンズリーグ2010は3年連続の決勝トーナメント進出を日本サッカー界史上初の全勝でのグループステージ突破を果たすも、ラウンド16で前回王者の浦項スティーラースに敗れ、2年連続ベスト16での敗退となった[3]。
- 天皇杯は決勝で清水を破り、3大会ぶり4度目の優勝。これによりACL出場権を獲得した。
- またこのシーズンをもって大岩剛が現役を引退した。さらに、笠井健太、ジウトンと契約を結ばず、マルキ-ニョスが仙台、船山祐二が山形、大道広幸が岡山へ完全移籍、川俣慎一郎が仙台、川島大地が山形、宮崎智彦が横浜FC、鈴木修人が栃木SC、佐々木竜太が湘南へレンタル移籍となった。
- 2011年
- チームスローガン:FOOTBALL DREAM NEXT
- クラブは創立20周年を迎えた。オリヴェイラ体制5年目。青森山田高校から柴崎岳、米子北高校から昌子源、関西大第一高校から梅鉢貴秀を獲得。鹿島ユースから土居聖真が昇格。札幌から西大伍、ウニオン・レイリアからカルロン、千葉からアレックス、清水から本田拓也を完全移籍で、山形にレンタル移籍していた田代有三、増田誓志が復帰、レンタル移籍だった佐藤昭大が完全移籍、クラブ初となるアマチュアからの選手でブラジルのCFZ・ド・リオから父親がチームOBのアルシンドであるイゴールをC契約で獲得した。
- 2月26日の富士ゼロックス・スーパーカップで名古屋と対戦。PK戦の末敗れ、同大会2度目の3連覇とはならなかった。
- リーグ戦は序盤で苦戦し、その後は8月を無敗で乗り切るなど5位へ浮上したが、6位に終わる。
- また3月11日に発生した東日本大震災により被災し、スタジアムやクラブハウスなどの施設が大きく損壊したため[4]、3月15日から27日までチームの活動を休止していた[5]。その後、東日本大震災復興支援として水戸ホーリーホックや茨城県サッカー協会と共同で「WITH HOPEプロジェクト」を立ち上げ、茨城県の復興支援活動を開始。6月4日にはカシマサッカースタジアムで「震災復興チャリティーイベント SMILE AGAIN〜YELL FROM KASHIMA〜」が開催された。
- 7月には伊野波雅彦がクロアチアのハイデュク・スプリトに完全移籍、カルロンがヌーシャテル・ザマックスにレンタル移籍(その後SCブラガへレンタル移籍)したが、フルミネンセFCからタルタをレンタル移籍で獲得した。
- 4年連続で出場となったAFCチャンピオンズリーグ2011は、グループリーグ無敗で3年連続ラウンド16進出をするも、またもソウルに敗れ、3年連続ベスト16での敗退となった。
- ナビスコカップでは7度目の決勝進出。浦和に延長で勝利し、9年ぶり4度目の優勝。
- 天皇杯は4回戦でJ2の京都に敗れ、ベスト16での敗退となった。
- オズワルド・オリヴェイラが監督を退任、コーチの奥野僚右も退団した(後に山形の監督に就任)。杉山哲が札幌、タルタがポルトゲーザ・デスポルトス、當間建文、鈴木修人が栃木SC、小谷野顕治が新潟、田代有三、野沢拓也が神戸、フェリペ・ガブリエルがボタフォゴへ完全移籍、横浜FCにレンタル移籍していた宮崎智彦が磐田へレンタル移籍、イゴールが退団した。
2012年 -
- 2012年
- チームスローガン:SMILE AGAIN with PRIDE
- クラブ史上初のOB監督となるジョルジーニョが就任。補強として川崎からジュニーニョ、福岡から岡本英也を完全移籍で、さらに流通経済大学から山村和也、静岡学園高校から伊東幸敏を獲得。レンタル移籍していた川俣慎一郎(仙台)、佐々木竜太(湘南)が復帰し、鹿島ユースからは鈴木隆雅、中川義貴、宮内龍汰が昇格した。シーズン途中には京都からドゥトラが完全移籍で、中国の広州恒大からレナトがレンタル移籍で加入。7月にはアレックスが徳島、佐々木竜太が栃木へレンタル移籍した。
- 曽ヶ端準が3月31日のJ1第4節・横浜FM戦で、クラブ通算最多出場となる475試合、クラブ史上初の同通算500試合を8月25日のリーグ・新潟戦で達成。
- スルガ銀行チャンピオンシップでは、チリのウニベルシダ・デ・チリをPK戦で下し、初優勝を飾った。
- ナビスコカップでは、8度目の決勝で清水を延長戦で下し、クラブ史上初の同大会連覇を達成。
- リーグ戦は、開幕から5試合で1分4敗と未勝利のままで、第2節から第5節までは最下位となるなどスタートダッシュに失敗。この時開幕3試合連続完封負けを喫し第4節まで無得点であった。その後も第13節終了後に10位となったのが最高順位と、一度も一桁順位に浮上しないままJリーグ発足後史上初の二桁順位となる最終順位11位でシーズンを終える。
- 天皇杯は準決勝でJ2降格が決まっているG大阪に敗れ、ベスト4で敗退となった。
- ジョルジーニョが監督を退任し[6]、新井場徹がC大阪、興梠慎三が浦和、岡本英也が新潟、増田誓志がKリーグの蔚山現代、ドゥトラがベルギーのスポルティング・ロケレンへ完全移籍し、磐田にレンタル移籍していた宮崎智彦、徳島にレンタル移籍していたアレックスもそれぞれ完全移籍した。さらに広州恒大からレンタル移籍で加入したレナト、栃木へレンタル移籍していた佐々木竜太とは契約を更新しなかった。
- 2013年
- チームスローガン:RENASCIMENTO - 誇りを胸に -
- 監督には2000年から2005年まで指揮を執ったトニーニョ・セレーゾが再び就任。補強として愛媛から前野貴徳、京都から中村充孝、カタールのウム・サラルからダヴィを完全移籍で、さらに大津高校から植田直通、豊川雄太を獲得。山形にレンタル移籍していた川島大地、神戸に完全移籍していた野沢拓也が復帰した。また、4月には筑波大学の赤﨑秀平をクラブ初となる特別指定選手で登録した。なお、7月には鈴木隆雅が千葉へ期限付き移籍、本田拓也が清水へ完全移籍、8月末で八木直生が現役引退した。
- リーグ戦は、シーズンでの連敗はなかったものの、序盤から夏場にかけてアウェイ戦7連敗を喫し、DF陣のテコ入れを行ったが、失点が続き、5位で終える。なお、4月6日の第5節・C大阪戦で、セレーゾがJリーグ発足後1クラブのみでの達成は史上初のリーグ戦通算100勝を達成。また、5月6日の第10節・湘南戦で、歴代監督体制初の公式戦通算150勝を達成した。
- ヤマザキナビスコカップは準々決勝で横浜FMに敗れ、3連覇を逃した。
- 天皇杯は4回戦で広島に敗れ、ベスト16で敗退した。また、9月7日の2回戦でのソニー仙台戦で、歴代監督体制初の公式戦通算500得点を達成。
- スルガ銀行チャンピオンシップでは、2006年に鹿島の監督を務めたパウロ・アウトゥオリ率いるブラジルのサンパウロFCを下し、同大会と日本クラブチーム史上初の国際大会で連覇を達成した。
- この年をもって、ジュニーニョが契約満了、岩政大樹がタイのテロ・サーサナ、大迫勇也がドイツ2部の1860ミュンヘン、川島大地が北九州へ完全移籍、千葉にレンタル移籍していた鈴木隆雅が栃木へレンタル移籍した。
- 2014年
- チームスローガン:SPECTACLE - 戦 -
- セレーゾ体制2年目。磐田から山本脩斗、ブラガからルイス・アルベルトが完全移籍で、筑波大学から赤崎秀平、帝京大学可児高校から杉本太郎、千葉国際高校からC契約でカイオが加入した。鹿島ユースからは小泉勇人が昇格した。また、千葉からジャイールを3月から7月までの期限付き移籍[7] で、8月にはボタフォゴFRから元柏のジョルジ・ワグネルを完全移籍で獲得した。なお、1月末に中川義貴[8] が現役引退、8月に野沢拓也が仙台へ完全移籍した。
- 4月15日、カシマスタジアムの開場以来スタジアムDJを務めてきたダニー石尾が逝去[9]。4月19日に追悼セレモニー[10] を、さらに6月1日にはお別れの会[11] が両日とも同スタジアムで行われた。また、6月1日に、アントラーズ功労賞の贈呈[12] も行った。
- リーグ戦は、スタートダッシュに成功したものの、序盤のホーム3連敗以降は調子を落とし、3位で終え、4年ぶり6回目のACL出場を決めた。なお、本山雅志が7月27日のJ1第17節・浦和戦で、クラブ通算500試合を在籍最長の17シーズン目で達成。また、8月9日のJ1第19節・名古屋戦での山本脩斗の得点で、クラブ公式戦通算100人目を達成。さらに、9月27日のJ1第26節・徳島戦でカイオが、クラブの高卒初年度リーグ戦最多得点となる6得点、赤崎秀平が11月29日のJ1第33節・C大阪戦で、クラブの大卒初年度リーグ戦最多得点となる5得点を更新した。
- ヤマザキナビスコカップは9年ぶりに予選リーグで敗退、天皇杯はソニー仙台にPK戦で敗れ、1994年大会以来の初戦敗退となった。
- なお、このシーズンをもって中田浩二が現役引退、ルイス・アルベルト、宮内龍汰が契約満了、ジョルジ・ワグネルがECヴィトーリア、前野貴徳が新潟に完全移籍となった。
- 2015年
- チームスローガン:RISE TO THE CHALLENGE - 覚悟 -
- セレーゾ体制3年目。補強として徳島から高崎寛之、広島からファン・ソッコを完全移籍で、ポルティモネンセSCから金崎夢生を期限付き移籍で、大阪桐蔭高校から久保田和音を獲得。また、鹿島ユースから大橋尚志、鈴木優磨が昇格。栃木に育成型期限付き移籍していた鈴木隆雅が復帰した。
- 4年ぶりの出場となったAFCチャンピオンズリーグ2015では、2013年王者の広州恒大(中国)と2014年王者のウェスタン・シドニー(オーストラリア)、そして、2013年準優勝のFCソウル(韓国)とグループリーグで同組に入った。
- しかし、開幕後チームの成績は低迷。AFCはチーム史上初となる1次リーグ敗退、リーグ戦では、1stステージを負け越して8位、2ndステージは開幕後下位チーム[13]相手に1勝1敗1分けとなり、セレーゾ監督を解任、後任に石井正忠コーチが就任。鹿島にとっては、監督代行を2度務めた関塚隆を除くと、1992年から1994年6月まで務めた初代監督の宮本以来21年ぶり2人目の日本人監督となった。
- ナビスコカップでは、FC東京と神戸を下して3年ぶりに決勝に進出。決勝では、G大阪を3-0で下し、3年ぶりの優勝と、国内3大タイトル17個目を獲得した。
- なお、このシーズンをもってダヴィが契約満了、17年間在籍していた本山雅志が北九州、鈴木隆雅が愛媛、佐藤昭大が熊本に完全移籍、梅鉢貴秀が山形、豊川雄太が岡山に期限付き移籍した。
所属選手
スターティングメンバー
ジーコが所属していたこともあり、ブラジルのサッカー界とも強いパイプを持つ。Jリーグが開幕した1993年以降、所属した外国籍選手は「アジア人枠」を利用して獲得した韓国人選手以外は全員ブラジル人選手である。ジョルジーニョやレオナルド、ベベットなど、サッカー王国ブラジルでも代表として活躍するなど一線級に値する選手たちが過去に鹿島でプレーした。
代表選手
これまで数多くの日本代表選手を輩出している。
| 主な国際大会に出場した代表選手 | ||
|---|---|---|
| FIFAワールドカップ | ||
| 大会 | 代表チーム | 選手 |
| 1998 | 日本代表 | 秋田豊、相馬直樹、名良橋晃 |
| 2002 | 日本代表 | 秋田豊、小笠原満男、鈴木隆行、曽ヶ端準、中田浩二、柳沢敦 |
| 2006 | 日本代表 | 小笠原満男、柳沢敦 |
| 2010 | 日本代表 | 岩政大樹、内田篤人 |
| 韓国代表 | 李正秀 | |
| FIFAコンフェデレーションズカップ | ||
| 大会 | 代表チーム | 選手 |
| 2001 | 日本代表 | 鈴木隆行、中田浩二 |
| 2003 | 秋田豊、小笠原満男、中田浩二、名良橋晃 | |
| 2005 | 小笠原満男、鈴木隆行、中田浩二、本山雅志、柳沢敦 | |
| FIFA U-20ワールドカップ | ||
| 大会 | 代表チーム | 選手 |
| 1995 | U-20日本代表 | 熊谷浩二、森岡隆三 |
| 1997 | 柳沢敦 | |
| 1999 | 小笠原満男、中田浩二、本山雅志 | |
| 2001 | 青木剛、羽田憲司 | |
| 2007 | 内田篤人 | |
| FIFA U-17ワールドカップ | ||
| 大会 | 代表チーム | 選手 |
| 2009 | U-17日本代表 | 神田圭介(ユース) |
| 2011 | 鈴木隆雅(ユース) | |
| オリンピック | ||
| 大会 | 代表チーム | 選手 |
| 2000 | 五輪日本代表 | 中田浩二、平瀬智行、本山雅志、柳沢敦 |
| 2004 | 曽ヶ端準 (OA) | |
| 2008 | 内田篤人 | |
| 2012 | 山村和也 | |
| AFCアジアカップ | ||
| 大会 | 代表チーム | 選手 |
| 1996 | 日本代表 | 秋田豊、相馬直樹、本田泰人 |
| 2000 | 高桑大二朗、柳沢敦 | |
| 2004 | 小笠原満男、鈴木隆行、中田浩二、本山雅志 | |
| 2011 | 伊野波雅彦、岩政大樹、本田拓也 | |
| 2015 | 植田直通、柴崎岳、昌子源 | |
| コパ・アメリカ | ||
| 大会 | 代表チーム | 選手 |
| 1995 | ブラジル代表 | ジョルジーニョ、レオナルド |
| 1999 | 日本代表 | 秋田豊、相馬直樹 |
| アジア競技大会 | ||
| 大会 | 代表チーム | 選手 |
| 1994 | 日本代表 | 秋田豊 |
| 2002 | U-23日本代表 | 青木剛、野沢拓也 |
| 2006 | 増田誓志 | |
| 2010 | 當間建文 | |
| 2014 | 植田直通 | |
| 東アジアカップ | ||
| 大会 | 代表チーム | 選手 |
| 2003 | 日本代表 | 小笠原満男、本山雅志 |
| 2005 | 小笠原満男、本山雅志 | |
| 2008 | 岩政大樹、内田篤人、田代有三 | |
| 2010 | 岩政大樹、内田篤人、小笠原満男 | |
| 2013 | 大迫勇也 | |
| 2015 | 柴崎岳 | |
アントラーズ功労賞
クラブの発展に貢献した人物を顕彰するために設けられた賞である。カシマサッカーミュージアムの中にある「THE HALL OF LEGEND」にて記念される。現役選手および鹿島で在任中のスタッフは選考から外される。
| 受賞年 | 受賞者 |
|---|---|
| 2009年 | 秋田豊、黒崎久志、ジーコ、ジョルジーニョ、相馬直樹、トニーニョ・セレーゾ 名良橋晃、長谷川祥之、ビスマルク、本田泰人、宮本征勝 |
| 2011年 | オズワルド・オリヴェイラ |
| 2013年 | アルシンド |
| 2014年 | ダニー石尾 |
| 2015年 | 新井場徹、中田浩二、柳沢敦 |
成績と歴代監督
国内3大タイトル(J1リーグ、ナビスコカップ、天皇杯)とスーパーカップの獲得回数は全て最多である。リーグ戦においては、Jリーグ開幕の1993年から2011年まで二桁順位でシーズンを終えたことがなかった。
国際試合
国内大会ではリーグ史上最多のタイトルを獲得している一方で、国際大会で獲得したタイトルはA3チャンピオンズカップ(2003年)とスルガ銀行チャンピオンシップ(2012年、2013年)の2大会のみとなっている。AFC主催大会には10回出場し、最高成績はアジアカップウィナーズカップ98-99の3位である。
監督
前述の外国籍選手と同様、外国籍監督もブラジル人監督であり、ジーコの兄であるエドゥーや、ジーコと共にブラジル代表の「黄金の中盤(黄金のカルテット)」として活躍した一人であるトニーニョ・セレーゾなどがこのチームを指揮を執っている。また初代の監督である宮本征勝が1994年監督退任後、このチームで指揮した日本人正監督は2015年まで一人もおらず、すべてブラジル人監督を招聘している。
| 鹿島アントラーズ歴代監督 | ||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 監督 | 期間 | J / J1 |
ナ ビ 杯 |
天 皇 杯 |
F X S C |
N Y C |
国 内 |
C W C |
A C L |
S B C S |
A 3 C |
国 際 |
合 計 |
備考 |
| 宮本征勝 | 1992年 - 1994年6月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| エドゥー | 1994年6月 - 1995年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| ジョアン・カルロス | 1996年 - 1998年7月 | 1 | 1 | 1 | 2 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | |
| 関塚隆 | 1998年7月、1999年8月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 監督代行 |
| ゼ・マリオ | 1998年8月 - 1999年8月 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | |
| ジーコ | 1999年8月 - 12月 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 監督代行 |
| トニーニョ・セレーゾ | 2000年 - 2005年、2013年 - 2015年7月 | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 8 | |
| パウロ・アウトゥオリ | 2006年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| オズワルド・オリヴェイラ | 2007年 - 2011年 | 3 | 1 | 2 | 2 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | |
| ジョルジーニョ | 2012年 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | |
| 石井正忠 | 2015年7月 - | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | |
ダービーマッチ
- 茨城ダービー
- 鹿島アントラーズvs水戸ホーリーホック
- 茨城県のJリーグチーム同士の対戦。初の公式戦は2004年11月13日(茨城県民の日)の天皇杯4回戦で、水戸のホームである笠松運動公園陸上競技場で対戦し、13,393人が来場したことがきっかけで開催されることになった。また、2005年に提携を結び、いばらきサッカーフェスティバル(プレシーズンマッチ)としてシーズン開幕前に対戦した。
- 鹿島アントラーズvs水戸ホーリーホック
タイトル
国内タイトル
- Jリーグカップ:6回
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:4回
- スーパーカップ:5回
- 1997年、1998年、1999年、2009年、2010年
国際タイトル
表彰
- 最優秀選手賞
- ベストイレブン
- 得点王
- 最優秀ゴール賞
- 2014年 西大伍
- ベストヤングプレーヤー賞
- 1997年 柳沢敦
- 2012年 柴崎岳
- 2014年 カイオ
- 最優秀監督賞
- 1997年 ジョアン・カルロス
- 2007年 オズワルド・オリヴェイラ
- 2008年 オズワルド・オリヴェイラ
- 2009年 オズワルド・オリヴェイラ
- フェアプレー個人賞
- 功労選手賞
- ベストピッチ賞
- 2003年 カシマサッカースタジアム
- 優勝監督賞(1995-2003)
- 1996年 ジョアン・カルロス
- 1998年 ゼ・マリオ
- 2000年 トニーニョ・セレーゾ
- 2001年 トニーニョ・セレーゾ
- チェアマン感謝状(1994-1995)
- 1994年 ジーコ
その他受賞
- 内閣総理大臣顕彰
- 日本年間最優秀選手賞
- 茨城県県民栄誉賞
- 2001年
- 2008年
- 茨城県特別功労賞
- いばらきイメージアップ大賞
- 2009年
- 鹿嶋市特別功労賞
- 2008年
- クールビズ・オブ・ザ・イヤー
- 2009年
- 日本プロスポーツ大賞特別賞
- 2009年
- 報知プロスポーツ大賞
- 1999年 平瀬智行
- 2001年 柳沢敦
クラブ記録
| 記録名 | 記録 | 試合 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 連続無敗記録 | J1 | 17試合 | 2009年 第3節 広島戦(カシマ) - 2009年 第19節 柏戦(カシマ) | |
| 連勝記録 | J1 | 16連勝 | 1998年 2nd第5節 福岡戦(博多球) - 1999年 1st第3節 広島戦(国立) | リーグ最高記録(2013年時点) |
| 連敗記録 | J1 | 8連敗 | 1999年 1st第13節 浦和戦(国立) - 1999年 2nd第4節 C大阪戦(カシマ) | |
| 最多得点試合 | J1 | 7 - 0 | 1997年8月9日 2nd第4節 名古屋戦(カシマ) | |
| 7 - 2 | 2005年8月24日 第20節 新潟戦(カシマ) | |||
| 7 - 0 | 2012年5月19日 第12節 札幌戦(カシマ) | |||
| ナビスコ杯 | 7 - 1 | 1992年10月3日 GL第7節 名古屋戦(瑞穂球) | ||
| 7 - 0 | 1997年10月18日 準々決勝第2戦 札幌戦(カシマ) | |||
| 天皇杯 | 8 - 1 | 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡戦(愛媛) | ||
| 国際大会 | 16 - 0 | 1999年10月23日 ACC 2回戦 バレンシア戦(ひたちなか) | クラブ最多得点記録 | |
| 最多失点試合 | J1 | 0 - 7 | 1995年5月3日 1st第13節 平塚戦(平塚) | クラブ最多失点記録 |
| ナビスコ杯 | 3 - 4 | 1992年9月23日 GL第5節 横浜M戦(国立) | ||
| 1 - 4 | 1992年9月26日 GL第6節 清水戦(笠松) | |||
| 2 - 4 | 1997年3月8日 GL第1節 C大阪戦(カシマ) | |||
| 0 - 4 | 2003年11月3日 決勝 浦和戦(国立) | |||
| 2 - 4 | 2013年3月23日 GL第2節 対F東京戦(カシマ) | |||
| 天皇杯 | 2 - 6 | 1994年1月1日 決勝 横浜F戦(国立) | ||
| 国際大会 | 1 - 4 | 1999年4月16日 ACWC 準決勝 全南戦(国立) | ||
| 3 - 4 | 2003年3月12日 ACL GL第2節 上海申花戦(スパチャラサイ) | |||
| 1 - 4 | 2009年3月11日 ACL GL第1節 水原三星戦(水原) | |||
| 3 - 4 | 2015年3月18日 ACL GL第3節 広州恒大戦 (天河) | |||
| 最少被シュート数 | J1 | 0本 | 2009年11月8日 第31節 山形戦(カシマ) | リーグ初記録 |
通算勝利数
| J1リーグ戦通算勝利数 | ||
|---|---|---|
| 通算勝利 | 試合 | 備考 |
| 初勝利 | 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(カシマ) | |
| 100勝 | 1997年4月12日 1st第1節 神戸戦(カシマ) | |
| 200勝 | 2001年11月17日 1st第14節 東京V戦(カシマ) | リーグ最速達成 |
| 300勝 | 2007年11月24日 第33節 浦和戦(埼玉) | リーグ最速達成 |
| 400勝 | 2014年3月8日 第2節 仙台戦(カシマ) | リーグ最速達成 |
通算得点
| 公式戦通算得点 | |||
|---|---|---|---|
| 通算得点 | 試合 | 選手名 | 備考 |
| 初得点 | 1992年9月5日 ナビスコ杯 GL第1節 横浜F戦(笠松) | 入井和久 | |
| 500得点 | 1997年9月27日 J 2nd第15節 横浜M戦(カシマ) | 室井市衛 | |
| 1000得点 | 2002年12月15日 天皇杯 3回戦 東京学芸大戦(カシマ) | アウグスト | |
| 1500得点 | 2009年4月22日 ACL GL第4戦 SAFFC戦(カシマ) | 野沢拓也 | |
| J1リーグ戦通算得点 | |||
| 通算得点 | 試合 | 選手名 | 備考 |
| 初得点 | 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦(カシマ) | ジーコ | |
| 100得点 | 1994年5月18日 サントリー第17節 名古屋戦(カシマ) | サントス | |
| 200得点 | 1995年8月16日 ニコス第2節 磐田戦(磐田) | 黒崎比差支 | |
| 300得点 | 1996年10月30日 第27節 磐田戦(カシマ) | マジーニョ | |
| 400得点 | 1998年4月11日 1st第5節 柏戦(国立) | 眞中靖夫 | |
| 500得点 | 1999年9月23日 2nd第10節 市原戦(国立) | 長谷川祥之 | リーグ最速達成 |
| 600得点 | 2001年9月29日 2nd第7節 名古屋戦(カシマ) | 中田浩二 | リーグ最速達成 |
| 700得点 | 2003年10月18日 2nd第10節 清水戦(カシマ) | 相馬直樹 | リーグ最速達成 |
| 800得点 | 2005年10月1日 第26節 千葉戦(カシマ) | アレックス・ミネイロ | リーグ最速達成 |
| 900得点 | 2007年8月12日 第19節 甲府戦(小瀬) | 野沢拓也 | リーグ最速達成 |
| 1000得点 | 2009年4月29日 第8節 神戸戦(カシマ) | 岩政大樹 | リーグ最速達成 |
| 1100得点 | 2011年5月21日 第12節 浦和戦(埼玉) | 増田誓志 | リーグ最速達成 |
| 1200得点 | 2013年4月6日 第5節 C大阪戦(カシマ) | 遠藤康 | |
| 1300得点 | 2014年9月23日 第25節 仙台戦(ユアスタ) | 土居聖真 | リーグ最速達成 |
| ナビスコ杯通算得点 | |||
| 通算得点 | 試合 | 選手名 | 備考 |
| 初得点 | 1992年9月5日 GL第1節 横浜F戦(笠松) | 入井和久 | |
| 100得点 | 1999年6月19日 2回戦第2戦 G大阪戦(秋田陸) | 長谷川祥之 | |
| 200得点 | 2007年10月13日 準決勝第2戦 G大阪戦(カシマ) | 本山雅志 | |
| 天皇杯通算得点 | |||
| 通算得点 | 試合 | 選手名 | 備考 |
| 初得点 | 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡(愛媛陸) | 長谷川祥之 | |
| 100得点 | 2002年12月28日 準決勝 市原戦(長居) | エウレル | |
個人記録
| 記録名 | 選手名 | 記録 | 試合 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 最年少出場 | J1 | 野沢拓也 | 17歳7ヶ月29日 | 1999年4月10日 1st第6節 京都戦 | |
| 最年長出場 | J1 | ジーコ | 41歳3ヶ月12日 | 1994年6月15日 サントリー第22節 磐田戦 | |
| 最年少得点 | J1 | 内田篤人 | 17歳11ヶ月22日 | 2006年3月21日 第4節 甲府戦 | |
| 最年長得点 | J1 | ジーコ | 41歳3ヶ月12日 | 1994年6月15日 サントリー第22節 磐田戦 | |
| 連続試合得点 | J1 | マルキーニョス | 7試合 | 2008年8月16日 第21節 東京V戦 - 10月1日 第26節 大宮戦 | |
| シーズン連続得点 | J1 | 小笠原満男 | 17シーズン | 1999年 - 2015年 | |
| シーズン最多得点 | J1 | アルシンド | 28得点 | 1994年 | |
| リーグ得点王 | J1 | マルキーニョス | 21得点 | 2008年 | |
ハットトリック
| 記録名 | 選手名 | 試合 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| J1 | 4得点 | 柳沢敦 | 1998年4月4日 1st第4節 京都戦 | |
| 3得点 | ジーコ | 1993年5月16日 サントリー第1節 名古屋戦 | リーグ初記録 | |
| アルシンド | 1993年6月19日 サントリー第11節 名古屋戦 | |||
| 長谷川祥之 | 1995年8月26日 NICOS第5節 G大阪戦 | |||
| マジーニョ | 1997年4月12日 1st第1節 神戸戦 | |||
| 長谷川祥之 | 1997年9月20日 2nd第13節 平塚戦 | |||
| 柳沢敦 | 1998年5月5日 1st第11節 磐田戦 | |||
| 平瀬智行 | 2000年4月29日 1st第9節 神戸戦 | |||
| 鈴木隆行 | 2004年9月18日 2nd第5節 磐田戦 | |||
| 柳沢敦 | 2006年3月5日 第1節 広島戦 | |||
| フェルナンド | 2006年9月24日 第24節 FC東京戦 | |||
| 野沢拓也 | 2006年12月2日 第34節 磐田戦 | |||
| マルキーニョス | 2010年9月18日 第23節 大宮戦 | |||
| ドゥトラ | 2012年10月6日 第28節 F東京戦 | |||
| ナビスコ杯 | 3得点 | 長谷川祥之 | 1992年10月3日 第7節 名古屋戦 | |
| ジーコ | 1992年10月11日 第9節 広島戦 | |||
| 黒崎比差支 | 1997年10月18日 準々決勝第2戦 札幌戦 | |||
| 天皇杯 | 3得点 | 黒崎比差支 | 1992年12月5日 1回戦 新日鐵八幡戦 | |
| 増田誓志 | 2005年11月3日 4回戦 ホンダロック戦 | |||
| 遠藤康 | 2012年9月8日 2回戦 筑波大戦 | |||
| 国際大会 | 4得点 | 平瀬智行 | 1999年3月3日 ACWC 3回戦第2戦 サラワクFA戦 | |
| 3得点 | 長谷川祥之 | 1999年3月3日 ACWC 3回戦第2戦 サラワクFA戦 | ||
| 柳沢敦 | 1999年10月23日 ACC 2回戦第1戦 バレンシア戦 | |||
| 鈴木隆行 | 1999年10月23日 ACC 2回戦第1戦 バレンシア戦 | |||
| マルキーニョス | 2008年3月12日 ACL GL第1戦 クルン・タイ・バンク戦 | |||
| 大迫勇也 | 2013年8月7日 SBCS サンパウロFC戦 | |||
観客動員記録
- ホームゲーム最多観客動員試合
| 茨城県立カシマサッカースタジアム | ||||
|---|---|---|---|---|
| 大会 | 入場者数 | 試合 | ||
| J1 | 39,684人 | 2003年7月5日 | 1st第11節 | 磐田 |
| ナビスコ杯 | 16,279人 | 2007年10月13日 | 準決勝第2戦 | G大阪 |
| CS | 40,115人 | 2001年12月8日 | 第2戦 | 磐田 |
| ACL | 19,500人 | 2009年5月5日 | GL第5戦 | 水原三星 |
| 国立霞ヶ丘陸上競技場 | ||||
| 大会 | 入場者数 | 試合 | ||
| J1 | 51,575人 | 1999年5月5日 | 1st第11節 | 磐田 |
| ナビスコ杯 | 18,009人 | 1992年9月9日 | GL第2節 | V川崎 |
| CS | 53,553人 | 1994年1月16日 | 第1戦 | V川崎 |
| ACL | 11,951人 | 2011年5月3日 | GL第5戦 | 上海申花 |
- ホーム扱いの決勝戦は除く。
- 年度別観客動員記録(リーグ戦ホームゲーム)
| 年度 | 所属 | 平均 入場者数 |
合計 入場者数 |
最多動員 | 最少動員 | 試合数 | ホーム試合会場 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 入場者数 | 対戦 | 会場 | 入場者数 | 対戦 | 会場 | カシマ | 国立 | 地方 | 地方会場 | ||||||||
| 1993 | J1 | 14,016 | 252,291 | 15,777 | V川崎 | カシマ | 9,403 | 横浜F | カシマ | 18 | 18 | 0 | 0 | ||||
| 1994 | 16,812 | 369,862 | 50,724 | 清水 | 国立 | 13,734 | G大阪 | 22 | 21 | 1 | 0 | ||||||
| 1995 | 19,141 | 497,665 | 50,093 | 名古屋 | 15,144 | 広島 | 26 | 22 | 3 | 1 | 金沢:1 | ||||||
| 1996 | 15,386 | 230,789 | 16,234 | 名古屋 | カシマ | 10,643 | 浦和 | 秋田 | 15 | 14 | 0 | 1 | 秋田:1 | ||||
| 1997 | 16,985 | 271,765 | 31,083 | 柏 | 国立 | 15,176 | 市原 | カシマ | 16 | 15 | 1 | 0 | |||||
| 1998 | 15,345 | 260,866 | 16,944 | 神戸 | カシマ | 13,824 | G大阪 | 17 | 17 | 0 | 0 | ||||||
| 1999 | 17,049 | 255,741 | 51,575 | 磐田 | 国立 | 6,994 | 柏 | 国立 | 15 | 7 | 6 | 2 | 金沢:1、富山:1 | ||||
| 2000 | 17,507 | 262,603 | 50,399 | 柏 | 7,024 | 広島 | 鳥取 | 15 | 8 | 4 | 3 | 富山:1、福井:1、鳥取バード:1 | |||||
| 2001 | 22,425 | 336,377 | 43,637 | 浦和 | 6,037 | C大阪 | カシマ | 15 | 11 | 4 | 0 | ||||||
| 2002 | 21,590 | 323,855 | 34,011 | 磐田 | カシマ | 11,857 | 京都 | 15 | 15 | 0 | 0 | ||||||
| 2003 | 21,204 | 318,064 | 39,684 | 磐田 | 14,045 | 大分 | 15 | 15 | 0 | 0 | |||||||
| 2004 | 17,585 | 263,777 | 31,965 | 浦和 | 8,474 | 新潟 | 15 | 15 | 0 | 0 | |||||||
| 2005 | 18,641 | 316,897 | 35,467 | 浦和 | 7,076 | 大宮 | 17 | 17 | 0 | 0 | |||||||
| 2006 | 15,433 | 262,365 | 34,236 | 浦和 | 7,427 | 川崎 | 17 | 17 | 0 | 0 | |||||||
| 2007 | 16,239 | 276,058 | 36,146 | 浦和 | 8,036 | 大分 | 17 | 17 | 0 | 0 | |||||||
| 2008 | 19,714 | 335,140 | 36,412 | 浦和 | 6,725 | 大宮 | 17 | 17 | 0 | 0 | |||||||
| 2009 | 21,617 | 367,486 | 37,878 | 浦和 | 14,473 | 神戸 | 17 | 17 | 0 | 0 | |||||||
| 2010 | 20,966 | 356,430 | 35,251 | 浦和 | 9,472 | 湘南 | 17 | 17 | 0 | 0 | |||||||
| 2011 | 16,156 | 274,655 | 25,061 | 浦和 | 7,810 | 甲府 | 17 | 16 | 1 | 0 | |||||||
| 2012 | 15,381 | 261,484 | 23,507 | 浦和 | 10,626 | 鳥栖 | 17 | 17 | 0 | 0 | |||||||
| 2013 | 16,419 | 279,115 | 32,305 | 浦和 | 6,681 | 磐田 | 17 | 17 | 0 | 0 | |||||||
| 2014 | 17,665 | 300,310 | 32,099 | C大阪 | 8,840 | 大宮 | 17 | 17 | 0 | 0 | |||||||
| 2015 | 16,423 | 279,185 | 29,030 | 浦和 | 6,923 | 清水 | 17 | 17 | 0 | 0 | |||||||
| 合計 | 17,813 | 6,952,780 | 391 | 364 | 20 | 7 | |||||||||||
ユニフォーム
| ||||||||||||||||||||||||
|
| ||||||||||||||||||||||||
|
| ||||||||||||||||||||||||
ユニフォームカラー
- ディープレッド
- 紺
- 白
ユニフォームデザイン
ユニフォームデザインは基本的に2年に1回変更している(2010年シーズン以降、1年でデザイン変更)。ユニフォームの右袖には、ホームタウン5市をあしらったホームタウンマークをつけ、背番号の下に名前が入る。2007シーズンに10冠(国内3大大会のタイトル数)を達成し、2008年シーズンより、左胸のエンブレム上に大きな星1つ(10タイトル分)がついた。11冠目以降の星は、従来の左袖につく。
- 1995年のリーグ戦用2ndモデルには、シャツ・シルバー、パンツ・紺、ストッキング・シルバーを採用したが、諸事情により数戦使用しただけで、シャツ・パンツ・ストッキングをすべて白に変更している(変更後しばらくは、1993・1994年に使用した2ndモデルを使用していた)。
- 2006年 - 2007年は、2ndモデルはグレーを使用していた。
- 2008年 - 2009年は、リーグ初となった横縞(ディープレッドと紺)を使用した。
- 2009年はゴールド色の3rdモデルを採用、一部の試合で使用した。
- 2012年はベースカラーを紺にした2ndモデルを使用した。
- 2013年の2ndモデルのベースカラーを白に戻した。
チャンピオンエンブレム
- リーグチャンピオンエンブレム
- 前年度のリーグチャンピオンチームには、日本サッカー協会のシンボルであるヤタガラスにJのマークがついたエンブレムを右袖につける。
- 2009シーズンからヤタガラスのエンブレムに代わり、金色のJマークをつけている(初着用は鹿島)。
- 天皇杯チャンピオンエンブレム
- 天皇杯を制したチームにはEのマークがついたエンブレムをつける。
- 2009年大会からリーグチャンピオン同様ヤタガラスのエンブレムをやめ、天皇杯エンブレムをつけている。
- 2冠チャンピオンエンブレム
- リーグと天皇杯の2冠を制したチーム[注 1] には、☆マークがついたエンブレムをつける(Jリーグ発足後初は2000年度に達成した鹿島)。
- 2015年からは☆マークをやめ、リーグチャンピオンエンブレムのみをつけている。
ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | LIXIL | LIXIL | 2011年 - | 2010年まではトステム |
| 背中 | イエローハット | (ロゴマーク) | 1999年 - | 1995年 - 1998年まで袖、 2011年までYellow Hat表記 |
| 袖 | 新日鐵住金 | NIPPON STEEL & SUMITOMO METAL |
2012年 - | 2012年9月までは住友金属工業 |
| パンツ | アイフルホーム | アイフルホーム | 2013年 - |
ユニフォームサプライの遍歴
歴代ユニフォームスポンサー年表
| 年度 | 胸 | 背中 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
| 1992 | Antlers | - | - | - | ennerre |
| 1993 | Mizuno / ennerre | ||||
| 1994 | TOSTEM | ||||
| 1995 | Yellow Hat | ||||
| 1996 | TOSTEM | - | |||
| 1997 | UMBRO / ennerre | ||||
| 1998 | ennerre | ||||
| 1999 | Yellow Hat |
- | |||
| 2000 | SUMITOMO METALS | ||||
| 2001 | |||||
| 2002 | NIKE | ||||
| 2003 | |||||
| 2004 | |||||
| 2005 | プロミス | ||||
| 2006 | |||||
| 2007 | |||||
| 2008 | - | ||||
| 2009 | 商船三井 | ||||
| 2010 | |||||
| 2011 | LIXIL | ||||
| 2012 | SUMITOMO METALS / NIPPON STEEL & SUMITOMO METAL | ||||
| 2013 | NIPPON STEEL & SUMITOMO METAL |
- / アイフルホーム | |||
| 2014 | アイフルホーム | ||||
| 2015 | |||||
| 2016 |
- AFCチャンピオンズリーグではスポンサーが1社のみという規定により、2010年までは胸スポンサーの「TOSTEM」、2011年以降は「LIXIL」のみになる。
- 1992年から1995年まで、胸にはスポンサーの代わりに「Antlers」のロゴが入る。
- 袖スポンサーであった住友金属工業は2012年9月まで(2012年10月より経営統合後の新社名「新日鐵住金」に変更)。
スポンサー
オフィシャルスポンサー
| 企業 | 本社 |
|---|---|
| LIXIL | 東京都江東区 |
| イエローハット | 東京都中央区 |
| アイフルホーム | 東京都江東区 |
| ナイキジャパン | 東京都品川区 |
| サントリー | 大阪府大阪市 |
| 昭和産業 | 東京都千代田区 |
| 常陽銀行 | 茨城県水戸市 |
| 関包スチール | 大阪府大阪市 |
| 住友商事 | 東京都中央区 |
| 常総開発工業 | 茨城県神栖市 |
| 茨城トヨペット | 茨城県水戸市 |
| 商船三井 | 東京都港区 |
| 新日鐵住金 | 東京都千代田区 |
アドボードスポンサー
- ワコースチール
- ぴあ
- イービストレード
- 三菱化工機
- 筑波都市整備
- 妙中鉱業
- アイデックス
- 湊組
- viagogo
- スミフル
- 横河ブリッジホールディングス
- 小山記念病院
- イオンリテール
- 三井住友海上火災保険
- 斉丸不動産
サプライヤー
- ソニービジネスソリューション
- 全日本空輸
- ニューヨーカー
- アビックス
- セキネネオン
- プロティア・ジャパン
- オハヨー乳業
- エア・テクノロジーズ
スタジアム
スタジアムDJ・選手入場曲
- SUCESSO(スセッソ)はポルトガル語で「成功」。米米CLUBのシングル「俺色にそまれ」のカップリング曲。
広告看板
- ホームゲームにおける広告看板(ゴール裏)は1995年以後、部分的に回転ロール盤を使用している。当初はゴール裏の内側部分だけだったが、1999年以後は外側(スタンドとピッチの中間。カシマサッカースタジアム開催分は客席の最前列)の部分にも使用している。試合時間帯に応じてアントラーズのスポンサーの広告を切り替えて表示している。
LED帯状映像装置
アカデミー
アカデミー構成
| 年代 | カテゴリ | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第2種 (高校生) |
ユース | ||||||||
| 鹿島アントラーズユース (鹿嶋) | |||||||||
| 第3種 (中学生) |
ジュニアユース | ||||||||
| 鹿島アントラーズジュニアユース (鹿嶋) |
鹿島アントラーズノルテジュニアユース (日立) |
鹿島アントラーズつくばジュニアユース (つくば) | |||||||
| 第4種 (小学生) |
ジュニア | ||||||||
| 鹿島アントラーズジュニア (鹿嶋) |
鹿島アントラーズつくばジュニア (つくば) | ||||||||
| 第4種 以下 |
スクール | ||||||||
| 高萩校 (高萩) |
日立校 (日立) |
ひたちなか校 (ひたちなか) |
内原校 (水戸) |
つくば校 (つくば) |
玉造校 (行方) |
水海道校 (常総) |
美浦校 (美浦) |
鹿島校 (鹿嶋) | |
| 神栖校 (神栖) |
下妻校 (下妻) |
東庄校 (東庄) |
常陸大宮校 (常陸大宮) |
銚子校 (銚子) |
鉾田校 (鉾田) |
結城校 (結城) |
土浦校 (土浦) | ||
ユース
1992年に活動を開始した。練習場はアントラーズクラブハウスグラウンドや新日鐵住金総合グラウンド。鹿島学園と提携するなど力を入れている。ユース出身の選手は、鹿島アントラーズの選手一覧#育成組織出身選手を参考のこと。高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグに所属している。
| 鹿島アントラーズユース 年度別成績と歴代監督 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | 高円宮杯 高円宮杯CS |
クラブユース選手権 | Jユースカップ | Jリーグ U-17 | Jリーグ U-16 | その他公式戦 | 監督 | ||||
| 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | |||||||||
| 1992 | - | - | - | ||||||||||
| 1993 | 藤代伸世 | ||||||||||||
| 1994 | |||||||||||||
| 1995 | 山崎勇次 | ||||||||||||
| 1996 | |||||||||||||
| 1997 | 準優勝 | ||||||||||||
| 1998 | 優勝 | ||||||||||||
| 1999 | 予選敗退 | 関東予選敗退 | ベスト8 | ||||||||||
| 2000 | 予選敗退 | ベスト8 | ベスト8 | ||||||||||
| 2001 | 予選敗退 | ベスト8 | 1回戦敗退 | ||||||||||
| 2002 | 関東スーパーリーグ | 14 | 4 | 3 | 2 | 9位 | 予選敗退 | 関東予選敗退 | 1回戦敗退 | ||||
| 2003 | 予選敗退 | ベスト8 | 1回戦敗退 | 河崎淳一 | |||||||||
| 2004 | 県リーグ1部 | 20 | 7 | 0 | 0 | 優勝 | 予選敗退 | 3位 | 優勝 | ||||
| 2005 | プリンスリーグ関東 | 15 | 5 | 4 | 0 | 5位 | 予選敗退 | 予選敗退 | ベスト16 | ||||
| 2006 | 17 | 5 | 2 | 2 | 3位 | ベスト8 | GL敗退 | ベスト8 | |||||
| 2007 | 3 | 1 | 0 | 8 | 9位 | 予選敗退 | GL敗退 | 1回戦敗退 | |||||
| 2008 | プリンスリーグ関東2部 | 12 | 4 | 0 | 1 | 優勝 | 予選敗退 | GL敗退 | ベスト8 | 古賀聡 | |||
| 2009 | プリンスリーグ関東1部 | 10 | 3 | 1 | 7 | 10位 | 予選敗退 | GL敗退 | 1回戦敗退 | ||||
| 2010 | プリンスリーグ関東2部 | 24 | 7 | 3 | 1 | 2位 | 予選敗退 | GL敗退 | 予選敗退 | 優勝 | 土田哲也 | ||
| 2011 | プリンスリーグ関東1部 | 39 | 12 | 3 | 3 | 優勝 | - | ベスト8 | ベスト8 | キッカ | |||
| 2012 | プレミアリーグ イースト | 23 | 6 | 5 | 7 | 7位 | ベスト8 | ベスト16 | |||||
| 2013 | 21 | 6 | 3 | 9 | 8位 | GL敗退 | ベスト8 | グループ3 優勝 | |||||
| 2014 | 28 | 7 | 7 | 4 | 3位 | ベスト16 | 優勝 | 熊谷浩二 | |||||
| 2015 | 40 | 12 | 4 | 2 | 優勝 | 優勝 | ベスト16 | 2回戦敗退 | 4位 | グループ2 優勝 | ACT2015 優勝 | ||
ジュニアユース
鹿島、ノルテ、つくばの3チームで構成されている。ノルテは茨城県の県北地域を中心に、つくばは県南地域を中心に活動を展開している。
鹿島ジュニアユース
1992年に活動を開始した。練習場はアントラーズクラブハウスグラウンドや新日鐵住金総合グラウンド。関東ユース (U-15)サッカーリーグの1部リーグに所属している。
| 鹿島アントラーズジュニアユース 年度別成績と歴代監督 | ||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | 高円宮杯 | クラブユース選手権 | Jリーグ U-14 | Jリーグ U-13 U-13地域リーグ[注 2] |
その他公式戦 | 監督 | ||||
| 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | ||||||||
| 1992 | - | - | ||||||||||
| 1993 | ||||||||||||
| 1994 | ||||||||||||
| 1995 | ||||||||||||
| 1996 | ||||||||||||
| 1997 | ||||||||||||
| 1998 | 関東予選敗退 | |||||||||||
| 1999 | 1回戦敗退 | 関東予選敗退 | 河崎淳一 | |||||||||
| 2000 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | ||||||||||
| 2001 | 関東予選敗退 | 3位 | ||||||||||
| 2002 | 優勝 | 関東予選敗退 | ||||||||||
| 2003 | 関東予選敗退 | ベスト8 | 森島修 | |||||||||
| 2004 | 関東予選敗退 | 県予選敗退 | ||||||||||
| 2005 | 県予選敗退 | 一回戦敗退 | ||||||||||
| 2006 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | ||||||||||
| 2007 | 関東ユースリーグ | 2 | 0 | 2 | 3 | 12位 | 関東予選敗退 | GL敗退 | 土田哲也 | |||
| 2008 | 19 | 6 | 1 | 4 | 4位 | 関東予選敗退 | ベスト8 | |||||
| 2009 | 7 | 2 | 1 | 8 | 10位 | 関東予選敗退 | ベスト16 | |||||
| 2010 | 関東ユースリーグ1部 | 15 | 4 | 3 | 4 | 8位 | 関東予選敗退 | ベスト8 | 森島修 | |||
| 2011 | 13 | 3 | 4 | 4 | 9位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | メトロポリタンC 6位 | メトロポリタンD 5位 | |||
| 2012 | 35 | 10 | 5 | 7 | 5位 | 関東予選敗退 | GL敗退 | メトロポリタンC 優勝 | 賀谷英司 | |||
| 2013 | 13 | 4 | 1 | 17 | 12位 | 関東予選敗退 | ベスト16 | メトロポリタンC 2位 | メトロポリタンC 3位 | |||
| 2014 | 関東ユースリーグ2部 | 51 | 15 | 6 | 1 | 2位 | 2回戦敗退 | 優勝 | メトロポリタンC 4位 | 関東2部D 4位 | 中村幸聖 | |
| 2015 | 関東ユースリーグ1部 | 33 | 10 | 3 | 9 | 5位 | ベスト4 | 1回戦敗退 | メトロポリタンA 12位 | 関東2部D 5位 | ||
ノルテジュニアユース
1999年に日立市を中心拠点として活動を開始した。茨城県の県北地域の生徒で構成されている。関東ユース (U-15)サッカーリーグの2部リーグに所属している。
| 鹿島アントラーズノルテジュニアユース 年度別成績と歴代監督 | ||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | 高円宮杯 | クラブユース選手権 | Jリーグ U-14 | Jリーグ U-13 U-13地域リーグ[注 2] |
その他公式戦 | 監督 | ||||
| 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | ||||||||
| 1999 | - | - | ||||||||||
| 2000 | 土田哲也 | |||||||||||
| 2001 | ||||||||||||
| 2002 | 関東予選敗退 | |||||||||||
| 2003 | 県予選敗退 | |||||||||||
| 2004 | 県予選敗退 | |||||||||||
| 2005 | 県予選敗退 | |||||||||||
| 2006 | 関東予選敗退 | |||||||||||
| 2007 | 県予選敗退 | 関東予選敗退 | 亀谷誠 | |||||||||
| 2008 | IFAリーグ1部 | 16 | 5 | 1 | 1 | 2位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | ||||
| 2009 | 16 | 5 | 1 | 1 | 優勝 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | メトロポリタンB 5位 | 小笠原賢二 | |||
| 2010 | 関東ユースリーグ2部 | 16 | 5 | 1 | 1 | 優勝 | 関東予選敗退 | GL敗退 | メトロポリタンA 7位 | 賀谷英司 | ||
| 2011 | 関東ユースリーグ1部 | 15 | 4 | 3 | 4 | 5位 | 関東予選敗退 | ベスト16 | メトロポリタンA 7位 | メトロポリタンA 7位 | ||
| 2012 | 14 | 3 | 5 | 14 | 12位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | メトロポリタンC 7位 | メトロポリタンD 5位 | 小笠原賢二 | ||
| 2013 | 関東ユースリーグ2部 | 30 | 9 | 3 | 10 | 7位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | メトロポリタンA 8位 | |||
| 2014 | 24 | 6 | 6 | 10 | 9位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | メトロポリタンC 3位 | 関東2部C 優勝 | |||
| 2015 | 33 | 10 | 3 | 9 | 6位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | メトロポリタンB 5位 | 関東1部A 8位 | |||
つくばジュニアユース
2008年につくば市を中心拠点として活動を開始した。練習場はつくばアカデミーセンター。茨城県の県南地域の生徒で構成されている。関東ユース (U-15)サッカーリーグの2部リーグに所属している。
| 鹿島アントラーズつくばジュニアユース 年度別成績と歴代監督 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | 所属 | リーグ戦 | 高円宮杯 | クラブユース選手権 | Jリーグ U-14 | Jリーグ U-13 U-13地域リーグ[注 2] |
その他公式戦 | 監督 | |||||
| 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | |||||||||
| 2008 | - | - | - | - | - | - | 県予選敗退 | - | 木村匡志 | ||||
| 2009 | IFAリーグ2部 | 19 | 6 | 1 | 0 | 優勝 | 県予選敗退 | 県予選敗退 | メトロポリタンC 6位 | ||||
| 2010 | IFAリーグ1部 | 14 | 4 | 2 | 1 | 2位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | |||||
| 2011 | 50 | 16 | 2 | 0 | 優勝 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | メトロポリタンC 4位 | メトロポリタンE 優勝 | 土田哲也 | |||
| 2012 | 関東ユースリーグ2部 | 49 | 15 | 4 | 3 | 2位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | メトロポリタンA 4位 | メトロポリタンA 5位 | |||
| 2013 | 関東ユースリーグ1部 | 23 | 7 | 2 | 13 | 9位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | メトロポリタンB 5位 | メトロポリタンB 6位 | |||
| 2014 | 24 | 6 | 6 | 10 | 11位 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | メトロポリタンA 3位 | 関東1部A 5位 | ||||
| 2015 | 関東ユースリーグ2部 | 51 | 15 | 6 | 1 | 優勝 | 関東予選敗退 | 関東予選敗退 | メトロポリタンB 優勝 | 関東1部B 6位 | |||
ジュニア
鹿島とつくばの2チームで構成されている。近年は、海外遠征なども積極的に実施している。
鹿島ジュニア
練習場はアントラーズクラブハウスグラウンドや新日鐵住金総合グラウンド。
- 獲得タイトル
- 全日本少年サッカー大会:1回
- 2013年
- 全日本少年フットサル大会:1回
- 2012年
つくばジュニア
2007年につくば市を中心拠点として活動を開始した。練習場はつくばアカデミーセンター。茨城県の県南地域の生徒で構成されている。
- 獲得タイトル
- 全日本少年フットサル大会:1回
- 2014年
スクール
中学生・小学生・幼稚園児・女子を対象としたスクール校を茨城県内に15校、千葉県内に2校開校している。
地域貢献活動
ノンフットボールビジネス
運営会社である株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シーは、2006年からカシマサッカースタジアムの指定管理者になり、健康事業を目的としたスポーツプラザ「カシマウェルネスプラザ」の運営や茨城大学との提携によるスタジアムの利活用推進にも取り組んでいる。
フレンドリータウン
ホームタウンの5市(鹿嶋、神栖、潮来、鉾田、行方)のほかに、クラブ独自でフレンドリータウンとしてホームタウン周辺の10市町村と協定を結んでいる。サッカーを通じた地域連携を目的とし、ホームタウン周辺の市町村を対象に年1回ホームゲームへの市民招待やスタジアムでの観光PRイベントの開催、アカデミーのスクール校を開校するなど活動を展開している。
地域交流
- ホームタウンの5市(鹿嶋、神栖、潮来、鉾田、行方)にある小学校全校を選手が訪問している。
- 毎年10月に鹿嶋市で開催される「鹿嶋まつり」や鹿島神宮での節分祭など、地域イベントに選手やチームスタッフらが参加している。
環境活動
メディア
試合中継
- テレビ中継
- NHK水戸放送局
- スカパー!
- 2009年まではNHKグローバルメディアサービスに委託していたが、2010年からリーグ戦のホームゲームを鹿島が自主制作で配信(協力:ソニービジネスソリューション)。また2013年より新中継設備をカシマスタジアムに導入し、中継車なしでの中継やスタジアムのビジョンを含めた映像の一括管理が可能となっている[18]。
- ラジオ中継
- エフエムかしま
- FM KASHIMA EXCITING SPORTS(試合開始30分前 - 試合終了後)
- 茨城放送
- 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
- LIVEアントラーズ - カシマサッカースタジアムで開催されるホームゲームの音声実況中継をインターネット配信
公式番組
- いばキラTV
- ANTLERS REPORT Plus
応援番組
その他
- 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
- メンバーズルーム - 有料会員制
- アントラーズモバイル
- あんとランド - 動画配信
- 新聞・情報誌
- 茨城新聞
- 月刊アントラーズフリークス(オフィシャルショップ、オンラインショップ、茨城県内のココストアにて販売)
- ヴァモス Antlers(マッチデープログラム。試合日にスタジアムで配布)
その他
キャンプ地
春季キャンプは1998年より宮崎県宮崎市の宮崎県総合運動公園陸上競技場で行われている。また、1993年はイタリア、1994年は沖縄県、1995年から1997年まではブラジルで行われた。
クラブショップ
- クラブハウス店(茨城県鹿嶋市・アントラーズクラブハウス1階)
- 水戸店(茨城県水戸市・水戸丸井1階)
- スタジアム店(茨城県鹿嶋市・カシマサッカースタジアムコンコース売店 試合開催日のみ営業)
クラブマスコット
- しかお
- しかこ
- アントン
サポーター・ファンクラブ
ファンクラブ
「SOCIOメンバー」、「MEGAメンバー」、「フリークスメンバー」、「ファミリーメンバー」の4種類がある。その中でも「フリークスメンバー」が一般的な会員カテゴリで、会員数が最も多い。特典として月刊アントラーズフリークスの送付やホームゲームチケットの先行割引販売、グッズの割引販売、グッズ・チケットの購入時やホームゲーム来場時などに付与されるポイントシステムなどがある。
サポーター
IN.FIGHTという1991年の創設から鹿島サポーターの中心として活動を続けているサポーター集団がある。浦和レッドダイヤモンズのサポーター集団などと並んで熱狂的な応援を続けていることで知られる[19]。2000年代以降、ゴール裏では世代交代が進み、応援に対する意識も変化を見せていると言われるが、「ゴール裏から発信される声援で選手や監督を後押しし、試合全体の流れを変えるくらいの気迫で応援する」との基本的な姿勢は変わらないという。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “クラブガイド:鹿島アントラーズ”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年7月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g 2013年度(平成25年度)Jクラブ個別情報開示資料 (PDF) Jリーグ公式サイト、2014年7月23日閲覧
- ^ 因みにシャルケで活躍する内田は、この試合が移籍前の国内最後となった。
- ^ “3カ月程度かかる鹿島 メド立たないスタジアム修復”. スポーツニッポン (2011年3月16日). 2011年3月16日閲覧。
- ^ “トップチームの活動休止に関して”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2011年3月15日). 2011年3月15日閲覧。
- ^ “ジョルジーニョ監督の退任について”. 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト (2012年11月29日). 2012年11月30日閲覧。
- ^ “ジャイール選手との契約が満了”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2014年7月2日). 2014年7月2日閲覧。
- ^ 中川選手の現役引退について - 鹿島公式サイト 2014年1月31日 参考
- ^ “ダニー石尾さんのご逝去と神戸戦での追悼セレモニーについて”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2014年4月17日). 2014年4月26日閲覧。
- ^ “ダニー石尾さん追悼セレモニー”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2014年4月22日). 2014年4月26日閲覧。
- ^ “ダニー石尾さんお別れ会について”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト. 2014年5月16日閲覧。
- ^ “ダニー石尾さんお別れ会”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト. 2014年6月5日閲覧。
- ^ 1stステージ17位の新潟(勝利)、18位の清水(引き分け)、15位の松本山雅(敗戦)
- ^ “スタジアム概要 LED帯状映像装置”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト. 2008年10月20日閲覧。
- ^ “アジア初の約500メートル帯状映像装置お披露目”. Jリーグ公式サイト (2008年9月13日). 2008年10月18日閲覧。
- ^ “日本初グリーン電力100%で開催されるJ1マッチのお知らせ”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2006年11月30日). 2010年10月16日閲覧。
- ^ “アントラーズ・エコプログラムがクールビズ・アース2009を受賞”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2009年11月25日). 2010年10月16日閲覧。
- ^ “スタジアムへの中継設備の導入について”. 鹿島アントラーズオフィシャルサイト (2013年2月15日). 2013年3月11日閲覧。
- ^ 清尾淳『浦和レッズの快感 すきにならずにいられない』あすとろ出版、1998年、22頁
関連項目
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 鹿島アントラーズ (official.KashimaAntlersFC) - Facebook
- Kashima Antlers (official.KashimaAntlersFC.global) - Facebook
- 鹿島アントラーズ (@atlrs_official) - X
- Kashima Antlers (@atlrs_english) - X
- アントラーズチャンネル - YouTubeチャンネル