Wikipedia‐ノート:関連項目
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漠然とした“とりあえず”リンクのようなもの
最近の編集で、 (1)「東京大学大学院人文社会系研究科・文学部」の記事の《関連項目》に「文学」「文芸学」がリンクされている、 (2)「東京大学大学院経済学研究科・経済学部」の記事の《関連項目》に「経済学」等がリンクされている、 (3)「東京大学大学院教育学研究科・教育学部」の記事の《関連項目》に「教育学」がリンクされている、 (4)「東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部」」の《関連項目》に「農学」がリンクされている、 (5)「東京大学大学院工学系研究科・工学部」の《関連項目》に「工学」がリンクされている、 のを見て、発議させていただきます。
このようなリンク付けは、 関連項目として、無限定で漠然としており、読者が専門的論点を掘り下げたり、記事の客体を多面的に捉え直したり、また、知的関心を高めるガイダンスをしたりするのに資するものとなっていないものであること《別の見方をすれば、単純・形式的に学部名と同じ2字の「文学」をつないだだけでは言葉遊びであり、悪ふざけの向きがあるものであること》を指摘せざるを得ません。--東京オリンピック1964(会話) 2021年8月2日 (月) 04:00 (UTC)
関連項目の位置(レイアウト)あべこべ
差し戻されて初めて気が付いたのですが、私の感覚では英語版のレイアウトガイドライン(en:MOS:LAYOUT)のとおり:関連項目 (2. See also) >注釈と出典 (3. Notes and references)の順番のほうが理にかなっているのですが、日本語版Wikipedia:スタイルマニュアル/レイアウトだとこの順序があべこべのようですね。
英語版との整合性がとれていたほうがよいとは思いますが、動議まで出すのは面倒いので、どうしても気になる人が順序直すに任すとすることにします。(英語記事を和訳すときこのあべこべに気づいてないと、英語版順序のまま)--Kiyoweap(会話) 2021年8月3日 (火) 01:46 (UTC)
- Kiyoweapさんがおっしゃるとおり、en:Wikipedia:Manual of Style/Layoutと日本語版で順番があべこべですね。
- 実際、ページが充実すると脚注は膨大になる傾向がありますから、ページが充実するほど関連項目が見えにくくなるというのは全く理にかなっておりません。ページリンク間の移動はウィキペディアの活性化にとって非常に重要であり、脚注の充実も重要であることから、英語版の順序(関連項目 (2. See also) >注釈と出典 (3. Notes and references))の順番に直すのが必要だと思います。
- 本件について、Wikipedia:スタイルマニュアル/レイアウトで提案しますね--佐佐木どうよ(会話) 2025年9月2日 (火) 04:03 (UTC)
- 本件について、現在「Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/レイアウト#「関連項目」節の位置の移動(「参考文献→関連項目」から「関連項目→参考文献」へ)提案」で順番について議論が行われています。議論結果がこのページにも影響を与える可能性がありますので、ご関心おありの方はご確認ください。--佐佐木どうよ(会話) 2025年9月19日 (金) 07:00 (UTC)
- こちらでの議論の<2025年9月19日 (金) 06:50 (UTC)>コメントで提案されている関連項目位置に関する特記が認められた場合、本記事の第一段落について、下記のような編集を提案いたします。
- 編集前:「独立のセクションとして記事やプロジェクト関連文書の末尾(「脚注」セクション、「参考文献」セクションの後、「外部リンク」セクションの前)に設けられることが一般的です。」
- ↓
- 編集後:「独立のセクションとして記事の付録部に設けられることが一般的です。詳細についてはWikipedia:スタイルマニュアル/レイアウト#記事の構成をご覧ください。」
- 詳細についてはWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/レイアウト#「関連項目」節の位置の移動(「参考文献→関連項目」から「関連項目→参考文献」へ)提案をご覧ください。--佐佐木どうよ(会話) 2025年9月19日 (金) 07:09 (UTC)
- Wikipedia:スタイルマニュアル/レイアウト#記事の構成の変更が完了いたしましたので、
- 改めて本記事の第一段落について、
- 編集前:「独立のセクションとして記事やプロジェクト関連文書の末尾(「脚注」セクション、「参考文献」セクションの後、「外部リンク」セクションの前)に設けられることが一般的です。」
- ↓
- 編集後:「独立のセクションとして記事の付録部に設けられることが一般的です。詳細についてはWikipedia:スタイルマニュアル/レイアウト#記事の構成をご覧ください。」
- の編集提案をさせて頂きます。--佐佐木どうよ(会話) 2025年10月2日 (木) 04:00 (UTC)
- 1週間が経過しましたので、上記の内容で編集依頼をさせて頂きます。--佐佐木どうよ(会話) 2025年10月12日 (日) 00:18 (UTC)
こちらの編集依頼は終了しました。この依頼を再度有効化するには、引数 |answered=
もしくは|ans=
の値にnoを指定してください。- 本記事の第一段落について、
- 編集前:「独立のセクションとして記事やプロジェクト関連文書の末尾(「脚注」セクション、「参考文献」セクションの後、「外部リンク」セクションの前)に設けられることが一般的です。」
- ↓
- 編集後:「独立のセクションとして記事の付録部に設けられることが一般的です。詳細についてはWikipedia:スタイルマニュアル/レイアウト#記事の構成をご覧ください。」
- の内容で編集をお願いいたします。--佐佐木どうよ(会話) 2025年10月12日 (日) 00:20 (UTC)
- 1週間が経過しましたので、上記の内容で編集依頼をさせて頂きます。--佐佐木どうよ(会話) 2025年10月12日 (日) 00:18 (UTC)
- 本件について、現在「Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/レイアウト#「関連項目」節の位置の移動(「参考文献→関連項目」から「関連項目→参考文献」へ)提案」で順番について議論が行われています。議論結果がこのページにも影響を与える可能性がありますので、ご関心おありの方はご確認ください。--佐佐木どうよ(会話) 2025年9月19日 (金) 07:00 (UTC)
済 特別:差分/106827198にて変更致しました。また、「セクション」のリンクを解除する理由が無いためリンク付けはそのままにしてあります。--Syadosa(会話) 2025年10月14日 (火) 02:46 (UTC)
- すみません、ありがとうございました。--佐佐木どうよ(会話) 2025年10月14日 (火) 02:49 (UTC)
翻訳による改正について
8/12の編集(差分)によって、提案なしに、英語版に追従するような文言に修正が行われました。「赤リンク、曖昧さ回避ページへのリンク、または外部リンクを含めてはいけません。」とより規制するものに変わった一方で、「例外として、すでに本文に内部リンクが存在していてもその記事を理解する上で特に重要な項目は許容されます。」という許容規定が削られています。これはガイドラインの改正にあたり、合意形成が必要と考えます。一旦差し戻しましたので、改めて提案をしてから修正するようお願いします。--Peka(会話) 2025年8月12日 (火) 16:59 (UTC)
- 英語版で上書きすれば絶対に正しいって考えるのは、ある程度編集技術が身につき、自力での翻訳も手がけて英語版のおかしさに気が付くまではやらかしがちなミスです。英語版のルールが日本語版以前に日本語として妥当かとか、そもそもウィキペディアとしてその制限は必要なのか、悪影響がないかなどチェックしないと運用不全を起こします。私は時々翻訳で導入しますが、これ運用に適さないと思ったら切り捨ててます。導入するのは「いいところ」だけでいいと思います。
- 折角なので改訂についても考えますが、英語版はWikipedia‐ノート:曖昧さ回避/過去ログ8#青リンク1本ルールで話題になったようにリンク数を抑える傾向があるようで、日本語版とは方向性が異なります。加えて英語版は日本語版より一覧が作りやすいというよりも、日本語版だけが「独立した特筆性」を一覧に要求するため他言語版と異なりリンク先にまとめることも出来ません。まして積極的にリンクされるものを、正反対の運用が行われている英語版を根拠に破壊するとなると、単なる改訂で許される範囲ではないと考えます。ですから、今回は提案があっても英語版の導入自体が不適切と考えます。--Open-box(会話) 2025年8月14日 (木) 00:18 (UTC)
「例外として、すでに本文に内部リンクが存在していてもその記事を理解する上で特に重要な項目は許容されます。」の改正ですが、本文で既に内部リンクが使われているため、これらは削ってもよいのではないでしょうか?ルール的にも、「「関連項目」のセクションに挙げられる項目は深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべき」としている以上、挙げられている一文は、余計な一文です。それから完全な別件ですが、Open-boxさんは、曖昧さ回避ページの話、外国語版と日本語版のWikipedia:一覧記事の比較みたいな余計な話に広げないでください。--Tekeonin(会話) 2025年8月28日 (木) 03:12 (UTC)
- 議論はあなたの希望を叶えるための道具ではありません。都合の悪い問題点を指摘されて隠蔽に走っても得られるものはありませんし、翻訳による改訂の是非を問うのですから翻訳元との差異を指摘するのは当たり前です。--Open-box(会話) 2025年8月28日 (木) 12:57 (UTC)
- 字面でいくと、非既出に限るべきという原則に対して、既出も一部許す例外を提示するのは、一見矛盾しているように感じるかもしれません。
- 実態として、「深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目」(非既出)は関連項目として有用だし、「本文にリンクが存在していてもその記事を理解する上で特に重要な項目」(既出)も関連項目として有用だと考える向きがあるから、このようなルールになっていると理解しています。ここの過去ログをざっと読みしてもそのようです。
- 少なくとも私は、長大・複雑な記事では、関連項目に厳選した既出リンクが少しあると、理解に役立つ場合はあるんじゃないかと、漠然と思ってきました。書く時も意識的には弾かないことが多いです。既出リンクを除去する編集を見かけて、言われてみれば有用性は低いかもと時々思いなおすこともありますが。
- もちろん、執筆者間、閲覧者間で感覚は違うと思います。意識的に弾いている方のその理由を聞くとか、関連項目はこういうものでこうあるべきという意見を聞いたら、私の考えも変わるかもしれないと思います。そのような説得力のある意見をまだ目にしたことがないですが。「余計な一文」というのもまた、考えが変わるほどの理由にはなりませんでした。--Peka(会話) 2025年8月29日 (金) 10:24 (UTC)
- 返信 まず最初に、このノートページで提案をせずにガイドラインであるWikipedia:関連項目に大きな変更を加えてしまったことを皆さんに謝りたいと思います。自分自身の不勉強を反省し、差し戻しが行われた後の1週間ほどは編集せずにWikipedia:方針とガイドライン(方針)を読んでいました。
- さて提案の一つは、赤リンク(仮リンクも含む)に関してです。具体的には、赤リンクを加えた編集者には相応の責任があり、誰も記事を作成しなかった場合は期限を切って、赤リンクを取り除くか赤リンクを加えた編集者自身が作るかにした方が良いと思います。善意でしょうが、自分で記事を作らなければならないなら多数の赤リンクを他人に丸投げして放置して逃げる編集者は減ると思います。自分で手に負える数だけの赤リンクを加えるのがエチケットだと思います。私たちはウィキペディアの編集者なので違和感は小さいかもしれませんが、ウィキペディアの利用者のほとんどはおそらく年齢層も様々な読者です。「日本語記事が存在しないので英語版をはじめ外国語版を読んで下さい」では読者はとても不便です。また多数の赤リンクを加えてもそれによってウィキペディア日本語版が現状向上しているようにはとても思えません。むしろ放置された赤リンクによって悪化しています。--BRICK93(会話) 2025年8月30日 (土) 03:36 (UTC)
- Wikipedia:赤リンクをまず読んでください。赤リンクが嫌なら「書く・外す」はいいのですが、追加した利用者に責任をとれは問題があります。その発想、ガイドラインの草案の変更の必要性は別としても品質な記事の乱造を招きますし、乱造ではあっても必要な記事なので削除は出来ません。現実問題として、赤リンク追加で済ませる人は「気が付いているけど筆力がなく無謀な立項はしない」まともな人なんですよ。
- そして同等以上の責任が「外す」「削除」にも求められます。「加除」という表現があるように削除は編集の一つであることを理解すればこの点は理解出来るでしょう。--Open-box(会話) 2025年8月30日 (土) 05:37 (UTC)
- 返信 早速の返信ありがとうございます。以前から知っていましたが、もう一度Wikipedia:赤リンクを読み返しました。この記事なのですが最上部に、「この文書はウィキペディア日本語版の方針やガイドラインとして提案中です。内容に関してノートページで議論を行っています。」と注意書きがあり、現時点ではただの提案であり正式な方針/ガイドラインではありません。よって何の強制力もありません。また文章力が無いのは問題ないと思います。私もありませんがどんどん書いています。上手な人たちが修正してくれます。善意の記事作成に対して歓迎はされても顰蹙はかわないはずです。日本語でも英語でも定型文があります。既に存在する類似している記事をコピペして導入文をすこしだけ修正して一文だけ書き、出典として一次資料を一つ(できれば二次資料も一つ)、そしてカテゴリを一つ加えるだけでもいいはずです。また、赤リンクを追加した編集者に責任があるのは当然だと思います。なぜならば、私も含めウィキペディアの編集者は自身の全ての編集に対して責任を負っているからです。「赤リンク追加で済ませる人は「気が付いているけど筆力がなく無謀な立項はしない」まともな人なんですよ。」とおっしゃいますが、よりまともな人は本文ではないので関連項目に赤リンク(仮リンク)を加えないと思います。赤リンクを加えたけど責任を負わないでは、常識的に考えてやはり無責任だと思います。責任を負いたくなければ加えなければいいだけです。--BRICK93(会話) 2025年8月30日 (土) 09:23 (UTC)
- 草案であることは問題行為を正当化する理由にはなりません。草案だからと否定するなら相応の妥当な理由が必要ですが、その理由が草案だから無視していいでは循環論法であって理由になっていません。それは、Wikipedia:規則の悪用というれっきとした問題行為です。各種ガイドラインの多くが草案に留まるのは、利用者を信用するからゆっくり決めているのであって、従わなくていいとするためでも、内容が決まっていないからでもありません。赤リンクは10年以上無風であり、その点も草案だから従わなくていいとの理由が成り立たない状況に結びついています。
- 「顰蹙はかわないはずです」それは直接指摘されないだけで顰蹙を買ってるんですよ。度を超して能力も誠実さも無いならブロックへ進みますが、日本語版では問題利用者のブロックは困難です。そのためそこまでもない利用者に対しては、加筆してくれる人に頼っていることになります。そして、その方の忍耐が切れると一気にブロックへと進みます。早めに方向転換をお勧めします。
- 「よりまともな人は本文ではないので関連項目に赤リンク(仮リンク)を加えないと思います」あなたの決めつけに過ぎません。赤はまだしも仮リンクまで含めると当たり前のように運用されていますので、検討の余地すらありません。
- 「常識的に考えてやはり無責任」そうですね。でもそれが通用しない場にあなたもいるのです。ひどい話ですが、その無責任がWikipediaの根幹にあります。ガチガチに責任追いかけるタイプのプロジェクトが失敗したからこそのWikipediaなのですし、無責任が許されるからこそ、あなたの「どんどん書いています」が許されるんです。書けないから赤リンクだけ書くのと、低品質な記事を量産するのでは、後者の方が問題になりやすいことは理解してください。赤リンクはただの1編集でしかありませんが、低品質な記事はその内容の検証、修正あるいは削除に多大なリソースを費やします。--Open-box(会話) 2025年8月30日 (土) 12:11 (UTC)
- 情報 英語版でルールが赤リンク不可に改正されたときの議論がこれ(2007年)です。その後何度か可にしようという意見も寄せられたようで、これには参考になりそうな意見もあります。
- 私が思ったのは、こちらも参照してくださいって言うニュアンスがより強い"see also"に対し、日本語「関連項目」はそのニュアンスがやや弱いのも、これまでのルールの違いに影響しているのではということです。
- 赤リンクはまだしも、仮リンクはそこそこ有用性があると思いますよ。理想的には日本語で解説を提供したいところを、別の言語ながら、同じウィキメディアプロジェクトの解説を提供することはできていますから。逆に言えば、存在しないリンクを追加した責任を重く見すぎて、他言語版により深い知識が得られる関連記事があるのに案内ができないのは、もったいないと思います。これは本文でも関連項目でも同様です。--Peka(会話) 2025年8月30日 (土) 16:19 (UTC)
- 返信 早速の返信ありがとうございます。以前から知っていましたが、もう一度Wikipedia:赤リンクを読み返しました。この記事なのですが最上部に、「この文書はウィキペディア日本語版の方針やガイドラインとして提案中です。内容に関してノートページで議論を行っています。」と注意書きがあり、現時点ではただの提案であり正式な方針/ガイドラインではありません。よって何の強制力もありません。また文章力が無いのは問題ないと思います。私もありませんがどんどん書いています。上手な人たちが修正してくれます。善意の記事作成に対して歓迎はされても顰蹙はかわないはずです。日本語でも英語でも定型文があります。既に存在する類似している記事をコピペして導入文をすこしだけ修正して一文だけ書き、出典として一次資料を一つ(できれば二次資料も一つ)、そしてカテゴリを一つ加えるだけでもいいはずです。また、赤リンクを追加した編集者に責任があるのは当然だと思います。なぜならば、私も含めウィキペディアの編集者は自身の全ての編集に対して責任を負っているからです。「赤リンク追加で済ませる人は「気が付いているけど筆力がなく無謀な立項はしない」まともな人なんですよ。」とおっしゃいますが、よりまともな人は本文ではないので関連項目に赤リンク(仮リンク)を加えないと思います。赤リンクを加えたけど責任を負わないでは、常識的に考えてやはり無責任だと思います。責任を負いたくなければ加えなければいいだけです。--BRICK93(会話) 2025年8月30日 (土) 09:23 (UTC)