西本智実

日本の指揮者

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西本 智実にしもと ともみ1970年4月22日 -)は大阪府大阪市出身の女性指揮者。幼少よりピアノ・クラシックバレエを学ぶ。 大阪音楽大学作曲科卒業後、国立サンクトペテルブルク音楽院に留学。イリヤ・ムーシンヴィクトル・フェドートフに師事。

身長167.5cm。血液型不明。趣味は篆刻盆栽書道

人物

  • 28歳のデビューから37歳までロシアを拠点に活動を続け、日本人の若手指揮者としては異例ともいえるキャリアを誇る。2007年6月からはドイツ・ベルリンを拠点としている。
  • 話題性・メディアへの露出・華のある指揮姿から、実力の伴わないアイドルか客寄せパンダのような誤解をされることがしばしある。確かにクラシックに疎い素人から玄人までファン層は厚く、集客力という点では間違いなく「日本一客を呼べる指揮者」であろう(実際コンサートチケットは毎回ほぼ完売となる)。しかし西本の指揮法は実直そのもので動きには一切の無駄がない。オケを一度自由にさせてから、自在に転がし操るタイプの指揮者で、オケの実力以上の音色を引き出すことも特徴。
  • 良きにつけ悪しきにつけ周囲が「女性指揮者・西本智実」を華美に演出しようとする中、本人はストイックかつ学術的に音楽を追及する傾向にある。2006年にチャイコフスキー未完の交響曲[1]を「2006年度版」として初演した際も、公演の広告等では『誰も聴いたことのないチャイコフスキーが世界で初めて西本智実の手によって甦る!』などと華々しく煽られた。しかし西本自身は作品に後世の人間が補筆し発表することに強い抵抗を覚えつつも、「研究的見地から価値あるもの」と、この交響曲初演を極めて冷静に捉えていた。(とあるインタビュアーからの「これは西本さんの指揮者人生にとって大きな出来事ですね!」との趣旨の問いかけに対し、西本は苦笑いと共に「まだまだです」と答えている)
  • 大阪弁。滑舌良く豪快でありながら丁寧な語り口調。日本でのオーケストラのリハーサルでは、演奏者を「ヴァイオリンさん」「ホルンさん」というように「楽器名」+「さん」で呼ぶ。
  • 独身。左手薬指に指輪をしたまま堂々と取材や写真撮影に応じていた時期もあったが、公式な結婚・婚約といった発表は現在のところはない。

エピソード

  • 指揮台での美しい姿から西本の公演チケットはP席(バックステージ側)から売れてゆくと言われる。この為か、ごく一部のクラシックファンの間ではP席=プラチナ席と誤解されている(「P」はバックステージ側に設置されている「パイプオルガン」の意)。デビュー当時のインタビューでは、女性であることや若さや容姿をもてはやされる事に関して「今は『それどころじゃない!』という感じ」と答えた。
  • 指揮者ヴァレリー・ゲルギエフは同じイリヤ・ムーシン門下生で兄弟子にあたる(西本が携帯している手帳の1ページ目には、『栄光(成功)へ!』という、ゲルギエフからの激励の言葉が記されている)。西本は彼の精力的な仕事ぶりを「(ゲルギエフ)1人で10人くらい居るんちゃうんか、と思うくらい」と評した。これに対しゲルギエフは「ニシモトも3人くらい居る気がするよ(笑)」と語っている。
  • 横浜ベイスターズ佐伯貴弘内野手とは幼馴染であり、「子供の頃は気が強く女番長のような奴だった」と当時の西本を語っている。
  • 中学の同級生毎日放送アナウンサー松井愛がいる。松井は西本について「中学の頃はぽっちゃりとしていて苗字も違っていたため、『女性指揮者の西本智実』が同級生の『智実ちゃん』と同一人物とは気付かなかった」と語る。
  • 宝塚歌劇団月組のスター・霧矢大夢は同じバレエ学校に通っていた友人。ちなみに西本は阪急宝塚線で大学へ通っていた頃、宝塚音楽学校の生徒達から上級生と間違われよく挨拶をされていた。
  • 小学校の頃すでに卒業アルバムには「指揮者か作曲家になりたい」と記している。中学・高校の頃は現実的になり学者や検事を目指すことも考えたという。霧矢大夢とのトークショーで「完璧な演奏などありえない、完璧にできたら引退してうどん屋をやる(笑)」と語った。ちなみに屋号は『うどん屋ともちゃん』。
  • 指揮棒へのこだわりは特に無し。西本「別に無ければ無くてもいいし、編み物の棒でもいいし、ようは伝わればいいと思ってます」
  • 指揮服はコード刺繍が印象的な、特注の女性用燕尾服を着用。これは西本自身がオーダーするわけではなく西本のスタッフが用意するらしい。2000年頃は詰襟タイプの燕尾を主に着用(2002年発売の写真集『西本智実・31歳の新星~日本とロシアと~』で着用しているもの)。この詰襟には首を支える役目もあった。2004年頃からはスタンドカラーのホワイトシャツ&オフホワイトのベストにジャケットタイプの燕尾を着るスタイルが多い。全身オフホワイトの白燕尾もある。これは2005年のクリスマスコンサートで初めて着用して以降はほとんど着ておらず、ステージで見ることはまれである(2007年のSUZUKI「SX4」TVCM・「モルダウ編」にてこの白燕尾を着用している)。
  • 長身と容貌から「宝塚の男役のよう」とよく形容され熱狂的な女性ファンも多い。「クラシック界のオスカル様(ベルサイユのばら)」と揶揄されることもあるが、はたして本人がこう呼ばれることを気に入っているかは不明。テレビ番組「題名のない音楽会」でオスカルコスプレをした一件について、後に本意ではなかったことを明かしている(このとき舞台の袖で落ち込む西本を励まし、元気づけていたのが故・羽田健太郎)。

年譜

作品・出版物

CD

  1. ロミオとジュリエット」(2000年4月11~13日録音)
  2. チャイコフスキー「交響曲第6番~悲愴~」(2002年1月5日~10日録音)
  3. バレエ音楽 「白鳥/くるみ割り人形」(2002年1月5日~10日録音)
  4. 「革命&1812」(2003年1月28日~2月2日録音)
  5. 「BOLERO」(2003年1月28日~2月2日録音)
  6. 「ニューイヤーコンサート2004 イン・モスクワ」(2004年1月2日ライブ録音)

DVD

  1. 「ボレロ 火の鳥&展覧会の絵」(2003年5月15日収録)
  2. 「New Year Moscow 2004」(2004年1月2日収録)
  3. 西本智実指揮 チェコ・ナショナル交響楽団「幻想交響曲」(2005年8月6日収録)
  4. チャイコフスキー未完成交響曲「ジーズニ」』(2006年6月5日収録)
  5. チャイコフスキー:交響曲第5番&第6番「悲愴」』(2006年6月5日~6日収録 )

書籍

  1. 写真集『西本智実・31歳の新星~日本とロシアと~』(2002年10月1日)
    • 著者:伊東雨音、撮影:塩澤秀樹
  2. 『西本智実 私の中のロシア』(2004年12月20日)
    • 編著:伊東雨音、写真:中島正之

CM

※HITACHIのCM出演当時には「男性か女性かわからない中性的な美形」と言われていたが、2007年のSUZUKIのCMでは「女性のように美しい男性」というように、男性に間違えられていることが多い。

関連項目

外部リンク

西本智実オフィシャルサイト

脚注

  1. ^ 交響曲第7番『人生(ジーズニ)』。西本による2006年の日本初演の前にロシアで別の指揮者によって世界初演されている。また、今回の補筆版より50年前に別の補筆版が作成され、演奏・録音されている。詳しくは[1]を参照。
  2. ^ (ロシア・ボリショイ交響楽団は2002年7月にモスクワサンクトペテルブルクにて行われた第十回全ロシア音楽文化祭のために、サンクトペテルブルク300年祭を主催する中央連邦管区文化局によって召集・設立された臨時的なオーケストラである。その後も、期間限定的に召集され、国家の記念式典等に登場している。)