常磐高速バス
常磐高速バス(じょうばんこうそくバス)は、ジェイアールバス関東(JRバス関東)が運行に携わり、主に東京駅から常磐自動車道を経由して運行する高速バス路線群である。

定義
常磐自動車道を経由する高速バスは、各路線ごとに行き先にちなんだ愛称が設定されており、「常磐高速バス」は正式な路線総称として設定されたものではない。しかし、運行事業者であるJRバス関東は、各路線群の総称として利用者向けの案内として公式サイト上で使用している[1]上、バス雑誌「バス・ジャパン」においても、運行事業者の担当者が執筆した記事において「常磐高速バス」と呼称している[2]。
また、これらの高速バス路線沿線に所在する施設において、公式サイトの交通案内で「常磐高速バス」と表記しているケースが複数存在する[3]ほか、利用者用駐車場を併設した高速バス乗降場に「常磐高速バスターミナル」と掲示する事例も存在する[4]など、利用者・事業者の双方に使用されている通称であることが伺える。
本項では、公式サイト上で「常磐高速バス」という名称を使用しているJRバス関東が運行に携わる高速バス路線群について記述する。
概要
経緯
常磐自動車道には、供用開始してからしばらくは高速バス路線の設定が行なわれていなかった[5]。これは、国鉄(後のJR)常磐線に特急列車が多数設定されていること、採算性に関してリスクがあったことや、筑波研究学園都市の知名度も高くなかったことが理由として挙げられている[5]。その筑波研究学園都市も、1985年に国際科学技術博覧会(つくば科学万博)が行なわれてからは知名度も高くなり、学園都市開発の進展により、東京方面との移動需要が多くなった。
当時、筑波研究学園都市研究学園地区への直通交通がなく、東京都心まで一般路線バスと鉄道を乗り継ぎ約2時間(つくばセンターの場合)かかっていた所要時間[6]が、高速バスの直行便を運行した場合40分から60分程度短縮されると見込まれた[6]。既に鉄道利用が定着している状況下、どの程度の需要を見込めるかは未知数であったと関係者は回顧している[7]。
最終的には、1日16往復で、1便あたり20人程度の利用者数を見込む[7]こととして、東京駅とつくばセンターを結ぶ高速バス「つくば号」の運行が開始された。
路線網拡大へ
「つくば号」は開業後1ヶ月で1便あたり30人以上の利用者数となり[7]、さらに3ヵ月後には1便あたり39.9人と東名高速線を上回る状態となった[7]。利用者の急増に対応し、開業5ヶ月後には1日30往復に増便、さらに1988年8月には1日56往復に増便された。
「つくば号」が非常に良好な成績を収めたことから[2]、JRバス関東では常磐自動車道を経由する高速バスの路線展開を進めることとなり、1988年4月27日からは東京駅と水戸駅を結ぶ「みと号」の運行を、同年6月1日からは東京駅と日立駅を結ぶ「日立号」の運行を開始した。いずれの路線も鉄道と完全に並行する路線となったが、「みと号」は半年で1日平均利用者数は700人程度と当初の計画を超えた実績を記録[5]、「日立号」も1日平均利用者数は180人程度とほぼ当初計画通りの実績となった[5]。
渋滞による遅延問題
しかし、利用者数は順調に増加するものの、当初から予想されているにもかかわらず置き去りにされ[7]、解決の見通しが立っていなかった問題点があった[7]。経路上にある首都高速道路6号向島線の渋滞である。当時の首都高速道路は、中央環状線の江北ジャンクションと板橋ジャンクションを結ぶ区間が開通しておらず、都心に向かうところで放射線の3本がまとまってしまうという構造だったため、6号向島線の渋滞はよく知られていた[7]。さらに、この渋滞は、早朝・深夜を除けば、ほぼなくなる時間のない恒常的な渋滞であった[8]。
これに対して、各路線とも上り便の所要時間の設定を20分から30分程度多く設定するという、渋滞による遅れを見越したダイヤ設定として対応していた[8]が、それでも予定時刻より遅れることは多く[8]、利用者も30分程度の遅れを見越して乗車する状態であった[8]。「みと号」などでは、通常は途中休憩無しのところ、大幅な遅延が予想される場合は臨時に守谷サービスエリアで休憩するケースもみられるようになった[8]。
利用者もこの渋滞を問題視しており、つくば市内で発行されている新聞『筑波の友』[8]が「つくば号」利用者に対して行われたアンケート結果によれば、快適性に関する項目においては「不快」と「きわめて不快」を合わせて48パーセント程度に上っており[8]、その理由として挙げられていた回答のうち60パーセントが「渋滞」であった[8]。さらに、渋滞の心配のない下り便のみ常磐高速バスを利用して、上り方面では渋滞の心配のない鉄道利用とする利用形態が増加することになった[5]。「つくば号」の1988年10月における乗車率を例にすると、下り便はほぼ100パーセントであるにもかかわらず、上り便については50パーセントを割り込む状態となっていた[8]。
渋滞対策
このように、常磐高速バスにとって渋滞は大きな問題と化していた[8]ため、運行事業者でも何らかの対策を行なう必要があると判断された[5]。
綾瀬駅・上野駅を経由
1988年11月11日に開業した「いわき号」では、運行に東武鉄道(当時)が参入したことから[8]、上り便に限り一旦首都高速を加平ランプで下りて、東武鉄道の営業エリアである綾瀬駅に停車することとした。これにより、渋滞がひどい場合は途中で下車して鉄道利用することで、利用者が到着の大幅な遅れを回避することが可能になった。この結果を受けて、1991年より常磐高速バス上り便については経路変更が行なわれ、「いわき号」を除いて平日・土曜日には上野駅に停車するようになった。以後開設される路線では、渋滞回避のために同様の経路が設定されることとなった。
つくばエクスプレスとの連携
2005年につくばエクスプレスが開業すると、直接競合する「つくば号」は大きな影響を受けたが、直接競合しない路線では逆につくばエクスプレスとの連携を行うことで渋滞対策とする方策も行なわれた。これは、首都高速道路6号三郷線の八潮パーキングエリアがつくばエクスプレス八潮駅に近接していることを利用し[9]、乗り継ぎ割引運賃として八潮駅から秋葉原駅までを100円で乗車できるようにした[9]もので、2008年6月16日から、常総ルート・「みと号」・常陸太田号・常陸大宮ルート・「ひたち号」において、乗り継ぎ扱いを開始した[10]。当初は実証実験であったが、一定の効果がみられた[10]ことから2009年4月1日より本格的に運用を開始[10]、同時に江戸崎線と「勝田・東海号」も乗り継ぎ割引の対象に加わることになった[10]。
路線概説
いずれの路線についても、JRバス関東が共同運行や運行支援などで運行に携わり[2]、東京駅や新宿駅のJRバスのバスターミナルから出発し[2]、一部路線を除いて現地のバス事業者との共同運行を行っている[2](一部路線ではJRバス関東が撤退、運行支援のみ担当)という共通点がある。また、首都高速道路の渋滞に対応して、上り便の所要時間についてはいずれの路線も20分から30分程度多く設定されている[2]ことも全ての路線について共通する事項である。
単独記事のある路線については、各記事を参照のこと。
吉川・松伏号
2000年10月1日に1日18往復で運行開始[11]した路線で、東京都から埼玉県三郷市を経由し吉川市・北葛飾郡松伏町を結ぶ。
松伏町が直通バスの開設をJRバス関東に要望していたことを受けて、日常流動への対応のテストケースとして開業した[12]。開業に対して、松伏町は「松伏バスターミナル」を整備して対応した。運行開始当初は常磐自動車道流山ICから流山有料道路・松戸野田有料道路を経由していたが、2002年3月1日からは常磐自動車道三郷ICから一般道に下り、三郷団地・吉川駅経由に変更された。
当初から乗客が少なく、2003年8月1日からは三郷団地内の経路を変更。松伏発着便を18往復から12往復に減便、代わりに吉川折り返し便を3往復新設、また同日深夜より深夜便「ミッドナイト三郷・吉川号」を運行開始するなどして需要喚起を行なった。しかし、2004年8月1日には、松伏発着便を12往復から5往復に減便し、減便した7往復分のうち3往復は吉川折り返し便として存続、吉川折り返し便は6往復にするという減量化が図られたダイヤ改定が行われ、
2005年4月1日からは深夜便を含めても下り便のみ2便に削減された[13]が、深夜便については2006年10月1日より松伏まで延長されるようになった。
運行開始以来JRバス関東の単独運行である。運行開始当初は予約不要であったが、高速バスネット稼動後は座席指定予約制を採っている。
歴史
- 2000年(平成12年)10月1日 - 開業。1日18往復。当時は常磐自動車道流山ICから流山有料道路・松戸野田有料道路を経由していた。
- 2002年(平成14年)3月1日 - 三郷団地・吉川駅経由に変更。常磐自動車道三郷ICから一般道経由となる。
- 2003年(平成15年)8月1日 - 三郷団地内の経路を変更。松伏発着便を18往復から12往復に減便、代わりに吉川折り返し便を3往復新設。同日深夜より深夜便「ミッドナイト三郷・吉川号」を運行開始。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 松伏発着便を12往復から5往復に減便。減便した7往復分のうち3往復は吉川折り返し便として存続、吉川折り返し便は6往復に。松伏発は午前のみ、東京発は午後のみとなった。深夜便はそのまま存続。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 大幅減便。東京発松伏行は夜間の片道1本だけとなる。深夜便はそのまま存続。
- 2006年(平成18年)10月1日 - 深夜便を松伏まで延長。
- 2008年(平成20年)7月19日 - 通常便も月曜日から金曜日の平日みの運行(祝日は、休前日運転)。
江戸川台線
2001年7月11日に1日12往復で開業[14]。東京駅から、現在のつくばエクスプレス沿線にあたる千葉県柏市の柏の葉地区・流山市を結んだ。東武鉄道(運行開始当初)との共同運行で、2003年3月20日から14往復に増便された[15]が、2005年4月1日には11往復に減便され[16]、2006年2月28日限りで廃止となった。
常総ルート
1999年2月1日に運行開始した路線である。鉄道では乗換えが必要な区間を直行する路線で、都心とベッドタウンを直結する高速バスは首都圏では初の設定である[17]。通勤にも利用できるダイヤを設定し[17]、一時は3ルートが運行されていたが、つくばエクスプレスの開業後の2007年に完全に並行する1ルートを廃止し、残りの2ルートも1ルートに再編された。同時にJRバス関東は直接運行から撤退し、運行支援のみ担当している。
つくば号
1987年4月1日に運行開始した路線で、JR東日本となってから初めて新設された路線である。本路線は開業以来利用者数が急増し、つくばエクスプレス開業までは常磐高速バスでは最も利用者数の多い路線で、混雑対策として、全長15メートルの長大バス「メガライナー」まで導入された。つくばエクスプレス開業後は利用者数が減少し、運行便数も削減されている。
ニューつくばね号
1991年4月1日に運行を開始した、東京都千代田区と茨城県つくば市の筑波山(筑波山口)を結んでいた路線である。1日8往復が運行されていた(運行開始から運行終了まで変わらず)。
愛称の由来は、筑波山の異称「筑波嶺」(つくばね)から。1985年(昭和60年)3月まで、旧・日本国有鉄道(国鉄)が東北本線・水戸線経由で上野と勝田を結んだ急行「つくばね」という列車を運行しており、その愛称を再び用いていた。
東京から筑波山麓への観光輸送に於ける直通需要を満たすとともに、国道408号・学園西大通り沿線の研究所(果樹研究所、国土地理院、土木研究所、高エネルギー加速器研究機構)など、「つくば号」ではカバーできないつくば市の谷田部・大穂・筑波地区の交通を補完する役割をもった。
2005年8月24日に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線が開業したため、この路線も経路を変更した。特に競合したつくば市西部で利用者数が減少したため、2006年9月30日を最後に運行を終了した。
なお、全停留所周辺で他のバス路線が通じているため、この路線の休止後に「交通空白地帯」となった沿線の地区はない。
歴史
- 1991年4月1日 - JRバス関東・関東鉄道の共同運行で運行開始。
- 200x年10月15日 - バス停新設(東光台一丁目、筑波支所前)。
- 2005年8月24日 - 松代四丁目 - 国土地理院間の経路を、自動車研究所前・東光台研究団地・東光台一丁目経由から吾妻二丁目西・春日一丁目経由に変更。運賃を値下げ。
- 2006年9月30日 - 運行終了。
江戸崎線
2000年7月25日に運行開始した、東京都千代田区と茨城県牛久市・阿見町・美浦村・稲敷市(旧江戸崎町)を結ぶ路線である。運行開始時は1日16往復運行されていたが減便を重ね、2010年5月1日時点では1日4往復が設定されていた。2008年6月30日限りでJRバス関東は直接運行から撤退(運行支援のみ担当)し、関東鉄道(竜ヶ崎営業所担当)の単独運行となっていたが、2011年3月31日をもって運行を終了した。
歴史
- 2000年7月25日 - JRバス関東と関東鉄道2社で運行開始。1日16往復(各社8往復)、うち4往復は阿見中央発着。
- 2004年x月x日 - 阿見中央発着便を休止、1日12往復に減便。
- 2006年9月1日 - 1日8往復に減便。
- 2007年12月20日 - 一部ルート変更に伴い、バス停新設(稲岡南・ひたち野うしく・二区西)および廃止(関鉄ニュータウンつくば・北荒川沖)、江戸崎側をスーパー「エコス」江戸崎店の発着から、JRバスの江戸崎営業所を経由して関鉄の江戸崎営業所の発着に変更。上り便が都営浅草駅に停車(平日のみ)。阿見原西までの運賃を1,250円から1,000円に値下げ。東京医大前以北で「1ウィークリターン乗車券」を設定などテコ入れが行われた。
- 2008年6月30日 - この日の運行をもってJRバス関東が撤退。翌7月より関鉄単独運行となり、1日4往復に減便。
- 2009年4月1日 - つくばエクスプレスへの乗り継ぎ路線に加わる。利用者の希望がある場合、上りのみ首都高速6号三郷線八潮PAに停車。100円で八潮駅から接続乗車できるチケットも発券される。
- 2011年3月31日 - この日をもって、運行を終了。
茨城空港線
東京駅と茨城空港をノンストップで結ぶ路線として、2010年5月27日から関鉄観光バスの主催による会員制ツアーバス形式で運行を開始した[18]。当初は東京駅では鍛冶橋駐車場発(到着は東京駅丸の内口)であったが、同年6月19日からは路線バスとして関東鉄道が運行を担当することになり、JRバス東京駅発着(出発は八重洲南口・到着は日本橋口)に変更された[19]。2011年6月16日現在は1日4往復の運行。
本路線の特徴としては、茨城空港発着の航空機を利用する場合は片道500円[20]、航空機を利用しない利用者の場合は片道1000円[20]と、航空機の利用の有無に応じて運賃が大幅に異なる点や、大人運賃と子供運賃が同じである点が挙げられる。
笠間ルート
東京駅と笠間市を結ぶ路線として1999年2月1日に運行を開始。当初より茨城交通の単独運行で、JRバス関東は運行支援のみ担当していた。鉄道では直行できない区間を結ぶ路線であったが、運行区間延長や運賃割引などの営業施策を展開したものの、輸送人員の伸び悩みにより2007年10月31日限りで運行を休止した[21]。
その後、2012年6月1日より、秋葉原駅発着で、友部駅を経由せず旧笠間市のみで乗降扱いを行う路線として運転を開始することとなった[22]。
なお、これに先立つ2011年には、3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で常磐線が不通となった際に緊急支援バスとして笠間市役所西(友部消防署付近。友部駅から約1km南西) - 秋葉原駅間を運行した[23]。
この節の加筆が望まれています。 |
みと号
1988年4月27日にJRバス関東・関東鉄道・茨城交通の3社共同運行(1日10往復)で運行開始した、東京都と茨城県水戸市を結ぶ路線である。当初は1ルート(大塚経由、後の赤塚ルート)のみで、水戸市内では3箇所に停車していた[24]。その後バス停設置の要望があった[24]ことから停車地の増加を行なったほか、2000年12月1日には北関東自動車道の一部開通にあわせて[12]茨城県庁を経由する県庁ルートを新設した。なお、県庁ルートは当初新宿駅発着であったが、のち東京駅発着に改められている。さらに、2008年6月16日には水戸北スマートインターチェンジ・茨城大学を経由する茨大ルートを新設している。2010年9月17日時点では3ルートあわせて平日1日52往復、土曜・日曜・祝日1日58往復が設定されている。
2010年9月17日より、深夜バス「ミッドナイトみと号」(東京発水戸行下り1本。片道3,000円、回数券・ツインチケットの使用不可)の運行を開始している。
本路線では、企画乗車券として、「みと号」と水戸駅 - 茨城港大洗港区間連絡バス・商船三井フェリー(大洗 - 苫小牧)・北海道中央バスが運行する「高速とまこまい号」(苫小牧フェリーターミナル - 札幌)の各乗車・乗船券を組み合わせた東京・札幌連絡きっぷ「パシフィック・ストーリー」を 2009年4月1日から発売している。このきっぷと組み合わせて、北海道中央バスが運行する「高速ふらの号」(札幌 - 富良野)の乗車券を組み合わせた東京・富良野連絡きっぷ「ふらの・ストーリー」、北海道中央バス・斜里バスが運行する「イーグルライナー」(札幌 - ウトロ)を組み合わせた割引乗車券、北海道中央バス・ジェイ・アール北海道バス・道北バスが運行する「高速あさひかわ号」(札幌 - 旭川)の乗車券を組み合わせた東京・旭川連絡きっぷ「あさひかわ・ストーリー」の発売も行なわれている。
運行系統
- 赤塚ルート:東京駅 - 石岡 - 内原 - 大塚 - 赤塚駅 - 大工町 - 水戸駅(北口・南口)
- 深夜バス「ミッドナイトみと号」も赤塚ルートで運行。
- 県庁ルート:東京駅 - 石岡 - 茨城町西IC - 茨城県庁前 - 水戸駅南口
- 茨大ルート:東京駅 - 石岡 - 内原 - 水戸北スマートIC - 茨城大学前 - 大工町 - 水戸駅(北口・南口)
歴史
- 1988年4月27日 - 水戸駅 - 東京駅間(大塚経由)で運行開始(1日10往復)。
- 19xx年 - バス停追加(大塚・双葉台団地入口・大塚東・新原三差路・南町二丁目)。
- 1991年12月29日 - 平日の上り便を上野駅経由とする。東京駅の到着場所を八重洲北口(現在の日本橋口)に変更。
- 1994年8月 - 1日13往復に増便。
- 2000年12月1日 - 水戸駅 - 新宿駅間(県庁経由)運行開始(1日9往復)。
- 2002年7月20日 - 大塚経由便を1日19往復(JR7往復、茨交・関鉄各6往復)に増便。一部便を水戸駅南口発着(水戸駅北口経由)とする。
- 2006年4月1日 - 大塚経由便にバス停新設(赤塚駅北口)。
- 2006年12月23日 - 県庁経由便がこの日より北関東自動車道茨城町西ICに停車(無料駐車場併設)。
- 2007年6月15日 - 大塚経由便下り3本・上り2本、県庁経由便上り1本(東京駅行)増便。これにより東京発の最終便(大塚経由)の時刻が22:30に繰り下げられる。
- 2008年6月16日 - 水戸駅 - 東京駅間の水戸北IC・茨城大学経由便を新設(9往復)。水戸駅の始発・終着が全便南口となる。上り全便が八潮PAに停車。
- 2009年7月17日 - 1日52往復に増便。県庁ルートの新宿駅新南口乗り入れを廃止、全便が東京駅発着となる。東京駅発の最終便(大塚経由)の時刻を23:00に繰り下げ、最終便と1本前の便(東京駅22:30発)を予約制とする。
- 2010年9月16日 - この日をもって6枚綴り回数券の発売を終了。
- 2010年9月17日 - 深夜バス「ミッドナイトみと号」(下り1本)の運行を開始。平日の県庁ルートを2往復減便し、赤塚ルートを2往復増便。土曜・日曜・祝日に赤塚ルートを6往復増便。
- 2012年2月19日 - この日の出発便をもって一部便の予約制を終了。東京駅発最終便(と「ミッドナイトみと号」)のみ予約制を継続。
勝田・東海号
1996年12月20日よりJRバス関東と茨城交通の共同運行(1日6往復、那珂町役場入口経由:後の那珂・東海ルート)により運行を開始した、東京都と茨城県ひたちなか市・東海村を結ぶ路線である。2000年3月19日には北関東自動車道の一部開通にあわせて[12]ルート再編成が行われる(北関東自動車道を経由する東水戸東海ルートを新設)とともに1日12往復に増強された。しかし、2007年3月16日に那珂町経由のルートは廃止され、2008年4月25日限りでJRバス関東は直接運行から撤退(運行支援のみ担当)、茨城交通の単独運行となっている。同時に減便され、2010年11月1日時点では1日7往復が運行されている。
なお、うち1往復は安全運転中央研修所を経由する。
歴史
- 2000年3月19日 - 北関東自動車道の開通により、東水戸東海ルート(東京駅〜水戸大洗IC経由、1日8往復)と那珂東海ルート(新宿駅新南口〜那珂IC経由、1日4往復)の2本立てとなる。
- 2001年12月21日 - 一部ルート変更およびバス停の新設を行う。那珂IC経由系統は勝田営業所発着となる。
- 2004年4月9日 - 大洗駅・那珂湊駅経由便を運行開始(茨城交通のみ2往復)。
- 2006年8月31日 - この日の運行をもって大洗駅・那珂湊駅経由便の運行を休止。
- 2006年9月1日 - この日より座席指定制を導入(高速バスネットの利用可)、勝田・東海号の愛称がつく。
- 2006年12月23日 - この日より東水戸東海ルートが茨城町西ICに停車。
- 2007年3月16日 - 那珂勝田ルート廃止。
- 2008年1月16日 - この日より上り便が都営浅草駅に停車。一部便が海浜公園西口に停車(季節運行)。
- 2008年4月26日 - この日よりJRバス関東が撤退、茨城交通の単独運行となり、1日7往復に減便。
- 2009年4月1日 - この日より上り便が八潮PAに停車。八潮PAよりつくばエクスプレス (TX) ・八潮駅経由で秋葉原駅方面に乗り継ぐ場合、TXの乗車券が100円となる(予め車内で乗車券を購入する必要がある)。
- 2010年11月1日 - 一部ルート変更。海浜公園入口バス停を新設、総合運動公園および茨城町西インターの各バス停を廃止。予約制を廃止、定員制に戻る。
常陸太田号
1989年10月11日に4往復で運行を開始した。JRバス関東は新たな拠点として新宿駅南口(当時)にバスターミナルを設置したが、そのターミナルを使用した初の昼行高速バス路線である。増便と減便を繰り返し、下り便については東京駅経由にも変更された。2010年5月1日時点では1日6往復が運行されている。
常陸大宮線・山あげ号
2001年4月1日に3往復で運行開始。その後増便の上、2003年8月1日からは一部便を烏山まで延長し[25]、2004年2月20日からはさらに延長され、烏山系統2往復・大子系統2往復となった[26]。その後烏山系統は短縮・減便が行なわれ、直接運行から撤退、運行支援のみ担当している。2010年5月1日時点では1日5往復が運行されている。
ひたち号
1988年6月1日に運行を開始した、東京都千代田区と茨城県日立市・高萩市を結ぶ路線である。一時北茨城市役所・五浦観光ホテル発着便が運行されていた時期もある。また、一時期すべて日立市(神峰営業所、一部便 <2> は国民宿舎鵜の岬前)発着となっていたが、2011年7月15日のダイヤ改正(実際は東日本大震災における緊急支援バスとして同年4月より運行)で高萩市への運行が復活している。
本路線の特徴は、平日と土休日の利用者数に大きな差がある[5]ことで、特に日曜日には平日の3倍程度の利用者数となることもあった[5]。利用者数が少ないため、運行開始当初は便指定予約制度を導入していた[24]。その後座席定員制となり、現在は全便座席指定制である。増便も行なわれ、2012年6月1日時点では1日22往復が運行されており、うち上り2便(日立電鉄便)は日立中央IC経由(城南町一丁目〜石名坂間非経由)、である。上下とも、全便谷田部東PAで休憩する。
ジェイアールバス関東・日立電鉄交通サービスの共同運行。
運行系統
- 東京駅 - 新田中内 - 常陸多賀駅 - 日立駅(中央口) - 神峰営業所( - 国民宿舎鵜の岬前 / 高萩駅)
- 東京駅 - 新田中内 - 穂積家 - 高萩駅
- 神峰営業所→日立駅(中央口)→銀行前(日立)→新田中内→東京駅(上り2便のみ)
歴史
- 1988年6月1日 - 東京駅 - 日立駅間を「日立号」として、1日4往復で運行開始。
- 1989年12月22日 - 日立南IC入口に停留所新設(新田中内)。
- 1992年1月 - 金・土・日曜日・祝日及び多客期運行の臨時便2往復を設定。平日の上り便を上野駅経由とする。
- 1993年3月27日 - 日立駅 - 高萩駅間路線延長(1日4往復)。日立駅発着便2往復と合わせて毎日運行1日6往復となる。
- 1996年6月21日 - 金・土・日曜日・祝日及び多客期運行の臨時便2往復を設定。うち上り2本は日立中央IC経由の「超特急日立号」。高萩駅発着便は3往復に減便。
- 1999年2月 - 臨時便2往復が毎日運行となり、1日8往復となる。
- 2001年3月30日 - 高萩IC経由北茨城市役所前行2往復が運行開始。計1日10往復となる。高萩駅発着便は2往復に減便。
- 2002年10月1日 - 北茨城市役所前発着便のうち1往復(JR担当便)を五浦観光ホテル発着に変更。高萩駅発着便は3往復に戻る。「超特急日立号」の運行を休止。上り便のうち2往復が常陸多賀駅経由から電鉄プラザ前経由に変更。
- 2005年7月1日 - 北茨城・五浦系統を高萩系統に変更。常陸多賀駅経由と電鉄プラザ多賀店経由の2系統を前者に統一(電鉄プラザ多賀店は同年閉店)。下り最終便を1時間繰り下げて予約制に変更。
- 2006年10月1日 - 日立駅発着便を1日11往復に増便。高萩駅発着は速達便(高萩IC経由)の1往復のみとなる(日立駅 - 高萩駅間廃止)。全便座席指定制に変更。JRバス関東土浦支店が運行に参加。
- 2007年10月1日 - 高萩駅発着の1往復がJR→日立電鉄担当に変更。
- 2008年6月16日 - 2009年3月31日まで、東京方面の渋滞解消を目的に八潮PA→八潮駅でのつくばエクスプレスへの乗り継ぎにより秋葉原方面への運賃が100円になる実証実験を行った(2009年4月1日より本格運行開始)。
- 2008年7月1日 - 日立発着便を2往復増便、計1日14往復となる。あわせて日立発着便は全便神峰営業所発着となる。日立発着便の日立中央IC経由便が復活(朝の上り1便)。
- 2009年4月1日 - 高萩系統を廃止、東京駅〜日立(神峰営業所)系統を1日18往復に増便。うち上りの日立中央IC経由便を2往復に増便。
- 2009年12月1日 - 1日20往復に増便。この日より上り日立中央IC経由便が「銀行前」バス停に停車。
- 2010年7月20日 - 一部便(2往復)を国民宿舎鵜の岬前に延長。金〜日曜・祝日および繁忙期運行の臨時便(2往復)を設定。
- 2011年4月4日 - 2往復増便、1日22往復(ほか臨時便2往復)となる(下り便は同年4月1日より運行)。緊急支援バスとして一部便(2往復)を高萩駅に延長(同年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震以降、国民宿舎鵜の岬への乗り入れは中止)。
- 2011年4月29日 - この日より国民宿舎鵜の岬への乗り入れを再開。
- 2011年7月15日 - 高萩駅発着の直通便1日2往復の運行を開始(ほかに日立市内経由の高萩駅発着便1日1往復あり)。
- 2012年6月1日 - 新田中内までの運賃を日立市内と同額に改定。季節運行便を廃止。
いわき号
1988年11月11日より3往復で運行開始した。この路線では、既に開設されていた「つくば号」・「みと号」や「ひたち号」と比較して長距離の路線であることから[6]、所要時間の短縮を図るために途中停車地を高速道路上のバスストップに設定した[6]ほか、他路線よりグレードの高い車両を導入した[6]。また、途中のいわき好間では当初より高速バス利用者用駐車場を設置し、パークアンドライドにも対応させた[4]。運行開始当初より便指定予約制度を導入している[6]。その後増便され、2010年5月1日時点では39往復が設定されている。
使用車両
運行開始当初、「つくば号」・「みと号」・「日立号」とも便所なし49人乗りハイデッカーを使用していた。「いわき号」の運行開始当初は、長距離路線であることから[6]36人乗り便所付スーパーハイデッカーを投入した[6]。その後、各社・各路線とも便所付のハイデッカーに置き換えを行っている。
「吉川・松伏号」では、運行当初から、他の路線の間合い運用により運行していたため、担当する支店も東京・館山・宇都宮・小諸・長野原と多岐にわたっており、特に東京支店担当便では、「ドリーム号」や「昼特急」用のダブルデッカー車も運用に入ることがあった。
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JRバス関東(みと号)
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東武バスセントラル(いわき号)
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関東鉄道(つくば号)
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茨城交通(常陸太田号)
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日立電鉄交通サービス(ひたち号)
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新常磐交通(いわき号)
脚注
- ^ JRバス関東公式サイト内“きっぷに関するご案内 回数券”. 2010年5月9日閲覧。
- ^ a b c d e f 『バス・ジャパン』11号 p20
- ^ 独立行政法人国立環境研究所公式サイト内“交通案内 > 高速バス 東京駅(八重洲南口)から”. 2010年5月9日閲覧。
独立行政法人産業技術総合研究所公式サイト内“常磐高速バス時刻表”. 2010年5月9日閲覧。
独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構食品総合研究所公式サイト内“常磐高速バスつくば号時刻表”. 2010年5月9日閲覧。など。 - ^ a b 『バス・ジャパン』11号 p15
- ^ a b c d e f g h 『バス・ジャパン』11号 p23
- ^ a b c d e f g h 『バス・ジャパン』11号 p22
- ^ a b c d e f g 『バス・ジャパン』11号 p24
- ^ a b c d e f g h i j k 『バス・ジャパン』11号 p25
- ^ a b JRバス関東公式サイト内“東京方面への移動がもっと便利になります!!”. 2010年5月9日閲覧。
- ^ a b c d 国土交通省関東運輸局公式サイト「高速バス・鉄道乗り継ぎ運行」内“首都高・八潮PA 乗り継ぎ本格運行実現!”. 2010年5月9日閲覧。
- ^ JRバス関東公式メールマガジンバックナンバー内“バスTABI No.4”. 2010年5月9日閲覧。
- ^ a b c 『バスジャパン・ニューハンドブック37ジェイアールバス関東』 p28
- ^ JRバス関東公式メールマガジンバックナンバー内“バスTABI No.120”. 2010年5月9日閲覧。
- ^ JRバス関東公式メールマガジンバックナンバー内“バスTABI No.24”. 2010年5月9日閲覧。
- ^ JRバス関東公式メールマガジンバックナンバー内“バスTABI No.69”. 2010年5月9日閲覧。
- ^ JRバス関東公式メールマガジンバックナンバー内“バスTABI 増刊号 2005年3月23日”. 2010年5月9日閲覧。
- ^ a b 鈴木文彦『路線バスの現在・未来』p135
- ^ 茨城空港公式サイト内“東京駅-茨城空港間の高速バス運行開始!”. 2010年7月7日閲覧。
- ^ 関東鉄道公式サイト内“高速バス「茨城空港〜東京駅線」乗降場所の変更のお知らせ”. 2010年7月7日閲覧。
- ^ a b 2010年6月現在の運賃。
- ^ 笠間市サイト内“広報かさま お知らせ版「高速バス(笠間ルート)の休止について」”. 2010年11月2日閲覧。
- ^ [高速バス]6月1日より高速バス「笠間-秋葉原線」の運行を開始します - 2012年4月30日 茨城交通
- ^ [臨時バス] 笠間-東京(秋葉原)の「緊急支援バス」運行について - 2011年3月18日 茨城交通
- ^ a b c 『バス・ジャパン』11号 p21
- ^ JRバス関東公式メールマガジンバックナンバー内“バスTABI No.78”. 2010年5月9日閲覧。
- ^ JRバス関東公式メールマガジンバックナンバー内“バスTABI No.94”. 2010年5月9日閲覧。
関連項目
参考文献
- 『バス・ジャパン』11号「特集・常磐高速バス」(バス・ジャパン刊行会・1989年) ISBN 4795277664
- 『バスジャパン・ニューハンドブック37ジェイアールバス関東』(BJエディターズ・2002年)ISBN 4434019023
- 鈴木文彦『路線バスの現在・未来』(グランプリ出版・2001年)ISBN 4876872171