吉田麻也
吉田 麻也(よしだ まや、1988年8月24日 - )は、長崎県出身のサッカー選手。オランダ1部リーグ(エールディヴィジ)・VVVフェンロー所属、ポジションはディフェンダー。みよし市立北中学校、愛知県立豊田高等学校卒業。
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 愛称 | まや、まやっち、ヨッシー | |||||
| カタカナ | ヨシダ マヤ | |||||
| ラテン文字 | YOSHIDA Maya | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1988年8月24日(37歳) | |||||
| 出身地 | 長崎県長崎市 | |||||
| 身長 | 189cm | |||||
| 体重 | 81kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム |
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| ポジション | DF | |||||
| 背番号 | 3 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 2007-2009 2010- |
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71 (5) 52 (5) | ||||
| 代表歴2 | ||||||
| 2010- |
| 16 (2) | ||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月7日現在。 2. 2012年6月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
来歴
プロ入り前
小学校2年生のとき、地元長崎市の南陵FCでサッカーを始める[1]。小学校6年生のとき、兄が見つけた名古屋グランパスのユースセレクションを、家族で名古屋を訪れるついでに受験[1]。家族はもとより本人も合格するとは思っていなかったが、合格したため愛知県みよし市に移り住む(受験者70人中合格は4人であった)[1]。
ユース(U-18)時代はキャプテンを務め、選手としてもボランチとして攻守にわたって支える、チームの要といえる存在であった[2]。2006年の全日本ユースではチームを牽引して準優勝に導き、翌2007年に長谷川徹、福島新太、新川織部とともにトップチームに昇格した[2]。 そして、2007年4月早稲田大学人間科学部通信課程に入学している。
名古屋グランパス
2007年シーズン開幕前、古賀正紘や秋田豊、角田誠が離脱するなどのチーム事情から、層が薄くなったセンターバックにコンバートされ[2]、第9節大分トリニータ戦で初出場を果たした[3]。19試合に出場。
2008年シーズン、就任したストイコビッチ監督の信頼を受け、序盤はバヤリツァとともにセンターバックのレギュラーとしてチームを支えた。7月には北京五輪代表に選出。グランパスではシドニー五輪にオーバーエイジ枠で出場した楢崎正剛を除けば初のU-23日本代表への選出であった[4]。出場は敗退決定後のグループステージ第3試合オランダ戦だけであったが、マッチアップしたFWロイ・マカーイと互角に渡り合った[5]。五輪招集により一時的にレギュラーから外れた[6]ものの、22試合に出場。第22節鹿島アントラーズ戦では初得点も挙げた[3]。シーズン終盤には、決定力不足を補うために高さを生かしてFWとして起用されることもあった[7][8]。
2009年シーズン、退団した大森征之から背番号4を受け継ぐ。25試合に出場し、名古屋DFの軸として活躍した。12月21日には、既に予選突破を決めており、若手中心のメンバーで臨む方針だったアジアカップ最終予選・イエメン戦に向けたA代表に初招集され、この試合でA代表デビュー。この年のオフ、オファーを受けたオランダエールディヴィジのVVVフェンローへ完全移籍。
VVVフェンロー
フェンロに移籍してすぐ左足首を骨折し、09-10シーズンは出場がなかった。2010年10月30日の対FCフローニンゲン戦の後半途中から出場し、これがオランダでのデビュー戦となった。試合は3-5で敗れたが、初アシストもマークしている。
2011年9月11日に行われたリーグ第5節PSV戦ではジャンピングボレーで一時勝ち越しとなるゴールを決めた。このゴールはオランダ放送協会(NOS)で放映されているサッカー情報番組「NOS Studio Sport(オランダ語)」において視聴者投票による「シーズンベストゴール」第1位となった[9]。2012年3月3日、リーグ第24節NACブレダ戦ではチームメイトのカレン・ロバートとのアベックゴールにより2-1で勝利を収めた[10]。
日本代表
2011年、AFCアジアカップ2011に臨む日本代表メンバーに選出。フルメンバーでの実質代表デビューとなった1月9日のグループステージ第1節・ヨルダン戦の後半ロスタイムにゴールを決め、代表初得点を記録。
続いて、2014 FIFAワールドカップ・アジア予選のメンバーに選出。2011年9月2日に行われた3次予選第1戦北朝鮮戦(埼玉)の後半ロスタイムに先制ゴールを決め、チームの勝利に貢献した。
A代表の日本代表キャプテンは長谷部誠が務めているが、ロンドンオリンピック2012男子サッカー日本代表(原則23歳以下だが、吉田麻也は誕生日が4ヵ月ほど早かったためオーバーエイジ枠で選出されている)ではキャプテンを務めている。オリンピック準々決勝の「日本vsエジプト」戦では3-0で快勝し、この2点目を決めている。そして点を決めた後に「俺だ!俺だ!俺だ!」のギャグを披露し、レギュラー出演している「サッカーアース」でタカトシのタカとの約束を果たした。
エピソード
- チーム1のいじられキャラである[4]。
- 本格的にサッカーをするきっかけを作り、名古屋でも生活面でサポートを続けた7歳年上の兄には頭が上がらないという[1]。
- 中学校入学以後、体のケアのためにとファストフードや炭酸飲料などを避けている[1]。
- 幼少時代に交通事故に遭い、10メートルほど車に跳ね飛ばされたことがあるが、かすり傷程度で事なきを得た[11]。
- 実家は民宿を経営している。
- シャルケ04の内田篤人とあまりにも仲が良すぎるため、弄られている。
- 2011年9月2日の2014 FIFAワールドカップアジア3次予選北朝鮮戦でゴールを決めたものの、FIFAの公式サイトには得点者「Michihiro YASUDA」と書かれていた(その後修正された)。
- 日本テレビ「月刊サッカーアース」内にレギュラーコーナー「吉田麻也の欧州か!?」を持っている。
所属クラブ
- ユース経歴
- 2001年 - 2003年 名古屋グランパスエイトU-15
- 2004年 - 2006年 名古屋グランパスエイトU-18
- プロ経歴
- 2007年 - 2009年 名古屋グランパスエイト
- 2010年 - 現 在 VVVフェンロー
個人成績
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| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2007 | 名古屋 | 34 | J1 | 19 | 0 | 3 | 0 | 2 | 1 | 24 | 1 |
| 2008 | 22 | 1 | 4 | 0 | 3 | 1 | 29 | 2 | |||
| 2009 | 4 | 30 | 4 | 1 | 1 | 6 | 1 | 37 | 6 | ||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
| 2009-10 | VVV | 28 | エールディヴィジ | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||
| 2010-11 | 3 | 20 | 0 | - | 0 | 0 | 20 | 0 | |||
| 2011-12 | 32 | 5 | - | 1 | 0 | 33 | 5 | ||||
| 通算 | 日本 | J1 | 71 | 5 | 8 | 1 | 11 | 3 | 90 | 9 | |
| オランダ | エールディヴィジ | 52 | 5 | - | 1 | 0 | 53 | 5 | |||
| 総通算 | 123 | 10 | 8 | 1 | 12 | 3 | 143 | 14 | |||
その他の公式戦
- 2011年
- エールディヴィジ 残留・昇格プレーオフ 4試合0得点
- 2012年
- エールディヴィジ 残留・昇格プレーオフ 4試合0得点
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| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2009 | 名古屋 | 4 | 11 | 2 |
| 通算 | AFC | 11 | 2 | |
代表歴
- U-18日本代表
- U-20日本代表候補
- U-23日本代表(北京オリンピック、ロンドンオリンピック)
- AFCアジアカップ2011最終予選
出場大会
- 2008年 - 北京オリンピック(グループリーグ敗退)
- 2011年 - AFCアジアカップ2011(優勝)
- 2012年 - ロンドンオリンピック・オーバーエイジ枠
試合数
- 国際Aマッチ 16試合 2得点(2010年 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2010 | 1 | 0 |
| 2011 | 12 | 2 |
| 2012 | 3 | 0 |
| 通算 | 16 | 2 |
ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2011年1月9日 | カタール | ヨルダン | △1-1 | AFCアジアカップ2011 |
| 2. | 2011年9月2日 | 埼玉 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ○1-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
脚注
- ^ a b c d e 長崎新聞 (2008年7月22日). “がんばれ県勢!! 北京五輪 サッカー男子 吉田麻也(名古屋グランパス)”. 2009年6月26日閲覧。
- ^ a b c 中日スポーツ (2007年2月9日). “グラ新人紹介 七人の侍が歴史を作る”. 2009年6月26日閲覧。
- ^ a b 名古屋グランパス. “選手データ 吉田麻也”. 2009年6月26日閲覧。
- ^ a b 中日スポーツ (2008年7月15日). “吉田、グラ史上2人目の五輪戦士 スタメン出場確実”. 2009年6月26日閲覧。
- ^ 中日スポーツ (2008年8月16日). “吉田、中2日出場直訴”. 2009年6月26日閲覧。
- ^ 日刊スポーツ (2009年2月2日). “名古屋DF吉田、松坂の教えで全戦出場だ”. 2009年6月26日閲覧。
- ^ 日刊スポーツ (2008年9月7日). “ピクシー「決定力不足」/ナビスコ杯”. 2009年6月26日閲覧。
- ^ J's GOAL (2008年10月6日). “【J1:第28節 名古屋 vs 東京V】レポート:ヨンセンがロスタイムに劇的な同点弾。名古屋は首位に返り咲くチャンスを、東京Vは降格圏争い脱出を逃す痛恨のドロー。(08.10.06)”. 2009年6月26日閲覧。
- ^ 吉田のジャンピングボレー弾 リーグ最優秀ゴールに - スポーツニッポン、2012年5月12日
- ^ カレン、吉田の初アベック弾でVVVが劇的な逆転勝利…今季初の4連勝SOCCER KING、2012年3月4日
- ^ 月刊グラン(2008年9月号)