16世紀
西暦1501年から西暦1600年までの100年間
。
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 15世紀 - 16世紀 - 17世紀 |
十年紀: |
1500年代 1510年代 1520年代 1530年代 1540年代 1550年代 1560年代 1570年代 1580年代 1590年代 |








16世紀の歴史
世界
ヨーロッパではルネサンスと宗教改革の嵐により中世的な世界観にかわり、近世的な新しい世界観が生まれた。また、これまで天動説の体系が長らく信じられてきたが、ニコラウス・コペルニクスにより地動説が発表された。当初はなかなか支持を得られず、明確に賛同する天文学者もヨハネス・ケプラーやガリレオ・ガリレイの登場まで現れなかった。暦では、ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して新暦となるグレゴリオ暦を制定すると、まずはカトリック国家で使われ始めたが、世界中に浸透するまでにはまだ時間を要することとなる。
スペインが送り込んだコンキスタドールやヨーロッパからもたらされた伝染病などにより、新大陸の既存の文明であるインカ文明(アンデス文明)、アステカ文明は滅亡、マヤ文明も大きく衰退(17世紀に滅亡)し、大航海時代における「冒険の時代」から「征服の時代」へと移行した。
アジア各国では新たな繁栄の時代となり、国内政治が充実し、文化、経済が発展した。新大陸や日本から流れた大量の銀が世界的なバブル経済をおこし、西欧、アジアの経済が急速に拡大した。
日本
戦国大名の乱立により戦乱が約1世紀に渡り続いていたが、天下統一を目前に本能寺の変で倒れた織田信長に代わり、家臣の豊臣秀吉が統一を果たした。しかし、秀吉の死後には豊臣政権内の対立が表面化、関ヶ原の戦いにより徳川家康率いる東軍が政権擁護派の石田三成ら西軍に勝利を収め、家康の覇権を決定的なものとした。
できごと
- 1504年 - 立河原の戦い。
- 1505年 - 明の正徳帝が第11代皇帝に即位。
- 1507年 - 細川政元暗殺。
- 1508年 - 亡命していた室町幕府第10代将軍足利義稙が上洛し将軍に復帰。
- 1510年 -
- 1511年 - ポルトガルがマラッカを占領。
- 1514年 - チャルディラーンの戦いでオスマン朝がサファヴィー朝に勝利。
- 1517年 -
- 1520年 -
- オスマン帝国でスレイマン1世即位。オスマン帝国の全盛期。
- デンマークによるストックホルムの血浴。
- 1521年 -
- 1522年 - ドイツ騎士戦争。
- 1523年 - スウェーデン、カルマル同盟を脱し、独立(ヴァーサ朝、〜1654年)。国王はグスタフ1世。
- 1524年 - ドイツ農民戦争。
- 1526年 -
- 1527年 -
- 1529年 - 神聖ローマ帝国の首都ウイーンがオスマン帝国に包囲される(第一次ウィーン包囲)。
- 1530年 - フィリップ・メランヒトン、アウクスブルク信仰告白を著す。
- 1533年 - インカ帝国、フランシスコ・ピサロにより征服される。
- 1534年 -
- 教皇クレメンス7世がイングランド王ヘンリー8世を破門。
- イギリス国教会がカトリック教会から分離。
- ジャック・カルティエ第1回探検行。
- イグナチオ・デ・ロヨラらイエズス会を結成。
- 1535年 - ジャック・カルティエ第2回探検行。イロコイ族の村落ホチェラガをモンレアルと命名。
- 1536年 -
- 1538年 - オスマン帝国、プレヴェザの海戦でスペイン・ヴェネツィア艦隊に勝利。地中海の制海権を握る。
- 1540年 - イエズス会、ローマ教皇パウルス3世より正式に修道会として認可される。
- 1541年 -
- ジャック・カルティエ第3回探検行。
- イングランドのヘンリー8世がアイルランド王国国王(自称)を名乗る。
- 1543年 -
- 日本へ鉄砲伝来。
- ニコラウス・コペルニクスが地動説、太陽中心説を発表。
- 1544年 - ルター訳聖書(新約聖書・旧約聖書全巻)の刊行。
- 1546年 - 教皇パウルス3世によりトリエント公会議が召集される。
- 1546年 - 足利義輝が室町幕府第13代将軍となる。
- 1547年 -
- イングランド、スコットランドを攻撃して破る。
- イヴァン4世がロシア皇帝(ツァーリ)として即位。
- 1548年 - メアリー、フランスへ亡命。
- 1549年 - 日本へのキリスト教伝来。
- 1550年 - 庚戌の変でアルタン・ハーンが北京を包囲。
- 1553年 -
- 1555年 -
- アウクスブルクの和議。ルター派信仰認められる。
- 毛利元就が陶晴賢を滅ぼす(厳島の戦い)。
- 1556年 -
- 1557年 - 後奈良天皇が没し、第106代正親町天皇が践祚。
- 1558年 -
- 1559年 - カトー・カンブレジ条約の締結によりイタリア戦争が終結。
- 1560年 - 桶狭間の戦い。
- 1566年 - 明の隆慶帝が第13代皇帝に即位。
- 1568年 -
- 1570年 -
- エリザベス1世、ローマ教皇より破門。
- 石山合戦が始まる。
- 1571年 - レパントの海戦で、ヨーロッパ連合艦隊がオスマン帝国艦隊に勝利。
- 1572年 -
- 明の万暦帝が第14代皇帝に即位。張居正の改革始まる。
- サンバルテルミの虐殺。
- 1573年 -
- 三方ヶ原の戦い。
- 室町幕府滅亡。
- 1574年 - 越前一向一揆蜂起する。
- 1575年 -
- 長篠の戦い。
- 織田信長、越前一向一揆を鎮圧する。
- 1576年 - 信長、安土城を築く。
- 1577年 -
- 1578年 - アルカセル・キビールの戦い。
- 1580年 -
- 石山合戦終結。
- スペインがポルトガルを併合し、アジア航路も支配下に置く。
- 1581年 - スペインの領土であったオランダが独立宣言。
- 1582年 -
- 1583年 - 賤ヶ岳の戦い。
- 1584年 - 小牧・長久手の戦い。
- 1585年 - 四国征伐。
- 1586年 -
- 1587年 -
- 1588年 -
- 1589年 - 摺上原の戦い 。
- 1590年 -
- 1592年 -
- 1595年 - 豊臣秀次が謀叛の疑いにより、切腹を命じられる。
- 1596年 - 浅間山大噴火。
- 1597年 -
- 1598年 -
- 1600年 -
- 関ヶ原の戦い。
- ジョルダーノ・ブルーノ刑死。
- イギリス東インド会社設立。
- 年月不詳 -
- 西遊記成立。
人物
ヨーロッパ世界
イタリア
- アレクサンデル6世(1431年 - 1503年) - ローマ教皇(在位1492年 - 1503年)・ボルジア家出身のルネサンス教皇
- ユリウス2世(1443年 - 1513年) - ローマ教皇(在位1503年 - 1513年)・ルネサンス教皇・サン・ピエトロ大聖堂の改修を始める
- ドナト・ブラマンテ(1444年頃 - 1514年) - 建築家・教皇ユリウス2世の依頼でサン・ピエトロ大聖堂の建築主任となる
- アメリゴ・ヴェスプッチ(1451年 - 1512年) - フィレンツェ出身の探検家・「アメリカ」の名の由来となる
- レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年 - 1519年) - 画家・彫刻家・建築家など「万能の天才」・「モナリザ」他がある
- パウルス3世(1468年 - 1549年) - ローマ教皇(在位1534年 - 1549年)・宗教改革に対抗すべくトリエント公会議を召集
- ニッコロ・マキャヴェッリ(1469年 - 1527年) - フィレンツェの外交官・政治思想家・『君主論』『ディスコルシ』の著者
- イザベラ・デステ(1474年 - 1539年) - エステ家出身のマントヴァ侯フランチェスコ2世の妃・文芸支援者として名高い
- ルドヴィーコ・アリオスト(1474年 - 1533年) - イタリアの詩人・フェラーラ公に仕える・『狂えるオルランド』を執筆
- チェーザレ・ボルジア (1475年 - 1507年) - イタリアの軍人・政治家・父の教皇アレクサンデル6世の援助でイタリア統一を目指す
- ミケランジェロ・ブオナローティ(1475年 - 1564年) - 画家・彫刻家・「ダヴィデ像」「ピエタ」「最後の審判」などの作品で知られる
- レオ10世(1475年 - 1521年) - ローマ教皇(在位1513年 - 1521年)・メディチ家出身・最盛期のルネサンス教皇・ルターの宗教改革を招く
- クレメンス7世(1478年 - 1534年) - ローマ教皇(在位1523年 - 1534年)・メディチ家出身・ローマ略奪により皇帝カール5世に屈服
- バルダッサーレ・カスティリオーネ(1478年 - 1529年) - イタリアの外交官・ヨーロッパ宮廷人の模範となった『宮廷人(廷臣論)』を執筆
- ラファエロ・サンティ(1483年 - 1520年) - 盛期ルネサンスを代表する画家・建築家・代表作に「アテナイの学堂」がある
- フランチェスコ・グイチャルディーニ(1483年 - 1540年) - フィレンツェの政治家・歴史家として『フィレンツェ史』『イタリア史』を執筆
- ユリウス3世(1487年 - 1555年) - ローマ教皇(在位1550年 - 1555年)・トリエント公会議を指導する
- ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488年/1490年頃 - 1576年) - 盛期ルネサンスのヴェネツィア派の画家・「聖母被昇天」「聖愛と俗愛」がある
- ベンヴェヌート・チェッリーニ(1500年 - 1571年) - マニエリスムのフィレンツェの彫刻家・「サリエラ(黄金の塩入れ)」が有名・『自伝』もある
- ジェロラモ・カルダーノ(1501年 - 1576年) - ミラノ出身の数学者・『偉大なる術(アルス・マグナ)』で三次方程式の根の公式などを紹介
- グレゴリウス13世(1502年 - 1585年) - ローマ教皇(在位1572年 - 1585年)・ユリウス暦を廃し新規にグレゴリオ暦を採用
- アーニョロ・ブロンズィーノ(1503年 - 1572年) - マニエリスムのフィレンツェ派の画家・複雑な寓意をめぐらした「愛のアレゴリー」がある
- アンドレーア・パッラーディオ(1508年 - 1580年) - パドヴァ出身の建築家・マニエリスム建築を大成・「ヴィラ・アルメリコ」がある
- ジョルジョ・ヴァザーリ(1511年 - 1574年) - マニエリスムのフィレンツェ派の画家・建築家・伝記作家として『画家・彫刻家・建築家列伝』を残す
- フィリッポ・ネリ(1515年 - 1595年) - フィレンツェ出身の司祭・オラトリオ会の創始者・聖歌オラトリオの発展を促し「喜びの聖人」とされる
- ティントレット(1518年 - 1594年) - 後期ルネサンスのヴェネツィア派の画家・ドゥカーレ宮殿壁画「天国」などが有名
- コジモ1世(1519年 - 1574年) - メディチ家(弟脈)の初代トスカーナ大公(在位1537年 - 1574年)・マニエリスム芸術の支援者
- シクストゥス5世(1520年 - 1590年) - ローマ教皇(在位1585年 - 1590年)・公共投資による都市ローマの壮大な再建を実施
- ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ(1525年? - 1594年) - ローマの音楽家・「教会音楽の父」・「教皇マルチェルスのミサ曲」などが有名
- パオロ・ヴェロネーゼ(1528年 - 1588年) - 後期ルネサンスのヴェネツィア派の画家・「カナの婚礼」「レヴィ家の饗宴」などが有名
- ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ(1538年 - 1615年) - ナポリの博学者・医師・自然科学の最初の学会を結成・『自然魔術』などの著作がある
- トルクァート・タッソ(1544年 - 1595年) - イタリアの詩人・フェラーラ公に仕え『解放されたエルサレム』ほかを執筆
- ジョルダーノ・ブルーノ(1548年 - 1600年) - イタリアのドミニコ会士・哲学者・地動説を擁護し無限宇宙論を提唱・異端判決で火刑
- ガリレオ・ガリレイ(1564年 - 1642年) - イタリアの物理学者・天文学者・『天文対話』などで地動説を擁護し宗教裁判を受ける
ポルトガル
- マヌエル1世(幸運王)(1469年 - 1521年) - ポルトガル王(在位1495年 - 1521年)・ポルトガル海上帝国の最盛期の王
- ルイス・デ・カモンイス(1524年頃 - 1580年) - ポルトガルの詩人・大航海時代でのポルトガルの海外覇権を『ウズ・ルジアダス』に描く[1]
- セバスティアン1世(熱望王)(1554年 - 1578年) - ポルトガル王(在位1557年 - 1578年)・アルカセル・キビールの戦いで戦死
スペイン
- フェルディナンド・マゼラン(1480年? - 1521年) - スペイン王に仕えた探検家・世界周航を目指すがフィリピンで戦死
- イグナチオ・デ・ロヨラ(1491年 - 1556年) - スペインのイエズス会創立者・会の初代総長としてフランシスコ・ザビエルらを世界宣教に遣わす
- フランシスコ・デ・ビトリア(1492年頃 - 1546年) - スペインの神学者・哲学者・法学者・トマス神学の導入でサラマンカ学派の祖となる
- アビラのテレサ(1515年 - 1582年) - スペインの女性神秘家・カルメル会で改革に取り組む・著作に『完徳の道』などがある
- フェリペ2世(1527年 - 1598年) - スペイン王(在位1556年 - 1598年)・ポルトガル王も兼務し「太陽の沈まない帝国」を実現
- エル・グレコ(1541年 - 1614年) - ギリシャのクレタ島出身の画家・ヴェネツィアのティツィアーノ・ヴェチェッリオの弟子・スペインに移住して活躍
- 十字架のヨハネ(1542年 - 1591年) - スペインの神秘家・アビラのテレサに影響を受けカルメル会で改革に取り組む・著作に『暗夜』など
- ドン・フアン・デ・アウストリア(1547年 - 1578年) - スペイン王フェリペ2世の異母弟・総司令官としてレパントの海戦を勝利に導く
- フランシスコ・スアレス(1548年 - 1617年) - スペインのイエズス会士・サラマンカ学派の哲学者・『形而上学論考』がある
ネーデルラント
- デジデリウス・エラスムス(1466年 - 1536年) - ネーデルラントの人文主義者・神学者・『痴愚神礼讃』でカトリック教会を批判
- メノ・シモンズ(1496年 - 1561年) - フリースラント出身の牧師・アナバプテスト(再洗礼派)の指導者でその派をメノナイトと呼ぶ
- フェルナンド・アルバレス・デ・トレド(1507年 - 1582年) - アルバ公・スペインのネーデルラント総督・「血の審判所」で圧政を行う
- ゲラルドゥス・メルカトル(1512年 - 1594年) - ネーデルラントの地理学者・地図の投影法であるメルカトル図法で知られる
- アンドレアス・ヴェサリウス(1514年 - 1564年) - ネーデルラント出身の医師・解剖学者・パドヴァ大学教授・『人体の構造』を出版
- ヨーハン・ヴァイヤー(1515年 - 1588年) - ネーデルラント出身の医師・魔女裁判に反対した最初期の人物・『悪魔の偽王国』などがある
- ピーテル・ブリューゲル(1525年/1530年 - 1569年) - ネーデルラントの画家・民衆を題材にした絵画を残す・「子供の遊び」など
- オラニエ公ウィレム1世(沈黙公)(1533年 - 1584年) - オランダ独立の指導者で八十年戦争初期に活躍するが暗殺される
- アレッサンドロ・ファルネーゼ(1545年 - 1592年) - パルマ公・スペインのネーデルラント総督・独立派に対し南北離間策を実施
- シモン・ステヴィン(1548年 - 1620年) - ネーデルラントの物理学者・数学者・落下の法則や十進法による小数の導入などで知られる
神聖ローマ帝国
- ヨハネス・ロイヒリン(1455年 - 1522年) - ドイツの人文主義者・古典学者・メランヒトンの大伯父・ヘブライ語研究と聖書研究を結びつける
- ヤーコプ・フッガー(1459年 - 1525年) - ドイツのアウクスブルクの豪商・銀山や金融で巨利を得て神聖ローマ皇帝選挙にも関与する
- フリードリヒ3世(1463年 - 1525年) - ザクセン選帝侯(在位1486年 - 1525年)・マルティン・ルターを保護し宗教改革に協力する
- マティアス・グリューネヴァルト(1470年/1475年頃 - 1528年) - ドイツの末期ゴシックの画家・「イーゼンハイムの祭壇画」が有名
- アルブレヒト・デューラー(1471年 - 1528年) - ドイツのルネサンス期の画家・版画家・「メランコリア I」などが有名
- マルティン・ルター(1483年 - 1546年) - ドイツの宗教改革者・「95ヶ条の論題」からカトリック教会と対決しルター派教会を結成
- ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(1486年 - 1535年) - ドイツの人文主義者・神秘哲学者・カバラ研究や『隠秘哲学』で知られる
- ウルリヒ・フォン・フッテン(1488年 - 1523年) - ドイツの人文主義者・桂冠詩人・宗教改革に共鳴しドイツ騎士戦争に参加するが敗北
- トマス・ミュンツァー(1489年 - 1525年) - ドイツの宗教改革者・ドイツ農民戦争の指導者となるが捕らえられ斬首にされる
- アルブレヒト(1490年 - 1568年) - ドイツ騎士団総長・後にルター派に改宗して初代プロイセン公となる(在位1525年 - 1568年)
- フィリップ・メランヒトン(1497年 - 1560年) - ドイツのキリスト教神学者・ルターの思想を「アウクスブルク信仰告白」で体系化
- ハンス・ホルバイン(1497年/1498年 - 1543年) - ドイツのルネサンス期の画家・「エラスムス像」などで知られ後年はイングランドで活躍
- カール5世(1500年 - 1558年) - ハプスブルク家のスペイン国王(在位1516年 - 1556年)・神聖ローマ皇帝(在位1519年 - 1556年)
- フェルディナント1世(1503年 - 1564年) - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1556年 - 1564年)・カール5世の弟でオーストリア系の祖
- ペトルス・カニシウス(1521年 - 1597年) - ネーデルラント出身のイエズス会士・「ドイツ第二の使徒」と呼ばれカトリック教会の巻き返しの中心となる
- ジュゼッペ・アルチンボルド(1527年 - 1593年) - イタリアのミラノ出身のマニエリスムの画家・歴代皇帝に仕え奇抜な作品を残す・20世紀に再評価
- ルドルフ2世(1552年 - 1612年) - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1576年 - 1612年)・プラハでのマニエリスム文化の支援者
スイス
- フルドリッヒ・ツヴィングリ(1484年 - 1531年) - スイスの宗教改革者・チューリッヒに改革派教会を設立・第2次カッペル戦争で戦死
- パラケルスス(1493年/1494年 - 1541年) - スイスの医師・バーゼル大学教授・医学でのガレノスの権威を否定・錬金術師でもある
- ジャン・カルヴァン(1509年 - 1564年) - フランス出身の宗教改革者・ジュネーヴで神権政治を行う・『キリスト教綱要』が主著
- ミシェル・セルヴェ(1511年 - 1553年) - スペイン出身の医師・神学者・三位一体説を批判したことで異端者とされジュネーブで火刑に処される
フランス
- ジャック・ルフェーヴル・デタープル(1450年? - 1536年) - フランスの神学者・人文主義者・聖書をフランス語に訳したことで知られる
- フランソワ・ラブレー(1483年? - 1553年) - フランスの医師・作家として『ガルガンチュワとパンタグリュエル』を残す
- フランソワ1世(1494年 - 1547年) - ヴァロワ朝のフランス王(在位1515年 - 1547年)・イタリア戦争でカール5世と戦う
- ノストラダムス(1503年 - 1566年) - フランスの医師・占星術師として王妃カトリーヌに引見され『予言集』を残す
- アンブロワーズ・パレ(1510年 - 1590年) - フランスの王室付き外科医・銃創治療での軟膏の使用や血管結紮法を工夫・『大外科学全集』を執筆
- カトリーヌ・ド・メディシス(1519年 - 1589年) - フランス王アンリ2世の王妃・フランソワ2世とシャルル9世とアンリ3世の三代の母后
- ピエール・ド・ロンサール(1524年 - 1585年) - フランスの詩人・プレイヤード派の中心で「詩人たちの君主」と呼ばれる・代表作は『オード』
- ジャン・ボダン(1530年 - 1596年) - フランスの経済学者・法学者・宗教戦争の混乱から国家主権を検討した『国家論』を執筆
- ミシェル・ド・モンテーニュ(1533年 - 1592年) - フランスの哲学者・モラリスト・懐疑論者・主著は『エセー(随想録)』
- アンリ4世(1553年 - 1610年) - ブルボン朝初代のフランス国王(在位1589年 - 1610年)・宗教戦争をおさえナントの勅令を発布
イングランド
- トマス・モア(1478年 - 1535年) - イングランドの思想家・『ユートピア』の著者・ヘンリー8世の離婚問題で処刑される
- ヘンリー8世(1491年 - 1547年) - イングランド王(在位1509年 - 1547年)・離婚問題からイギリス国教会を独立させる
- エドワード6世(1537年 - 1553年) - イングランド王(在位1547年 - 1553年)・ヘンリー8世唯一の男子・一般祈祷書を制定
- メアリー1世(1516年 - 1558年) - イングランド女王(在位1553年 - 1558年)・イングランドでカトリックを復活させる
- トーマス・グレシャム(1519年 - 1579年) - イングランドの財政家・貿易商・「悪貨は良貨を駆逐する」のグレシャムの法則で有名
- ジョン・ディー(1527年 - 1608年/1609年) - イングランドの数学者・錬金術師・占星術師・著作に『象形文字の単子』がある
- エリザベス1世(処女王)(1533年 - 1603年) - イングランド女王(在位1558年 - 1603年)・エリザベス朝の最盛期を現出
- フランシス・ドレーク (1543年? - 1596年) - イングランドの海賊・私掠船船長・後に海軍提督となりアルマダの海戦で活躍
- ウィリアム・ギルバート(1544年 - 1603年) - イングランドの医師・物理学者・磁石や静電気の研究から「電気」の概念を構築
- エドマンド・スペンサー(1552年頃 – 1599年) - イングランドの詩人・女王エリザベス1世に捧げられた『妖精の女王』で有名
- クリストファ・マーロウ(1564年 - 1593年) - イングランドのエリザベス朝演劇の劇作家・代表作に『フォースタス博士』がある
- ウィリアム・シェイクスピア(1564年 - 1616年) - イングランドのエリザベス朝演劇の劇作家・代表作に『ハムレット』『リア王』他がある
スコットランド
- ジョン・ノックス(1510年 - 1572年) - スコットランドの牧師・宗教改革を指導し長老派教会を創立・女王メアリーとは対立
- メアリー・ステュアート(1542年 - 1587年) - スコットランド女王(在位1542年 - 1567年)・亡命したイングランドで処刑される
北欧
- クリスチャン2世(1481年 - 1559年) - デンマーク王(在位1513年 - 1523年)・ストックホルムの血浴でスウェーデン独立派を弾圧
- グスタフ・ヴァーサ(1496年 - 1560年) - ヴァーサ朝初代のスウェーデン王(在位1523年 - 1560年)・ルター派の教義を受け入れる
ポーランド
- ステファン・バートリ(1533年 - 1586年) - ポーランド国王(在位1576年 - 1586年)・もとはトランシルヴァニア公・最も優れた選挙王
- ジグムント3世(1566年 - 1632年) - ポーランド国王(在位1587年 - 1632年)・スウェーデン王位も兼任・ブレスト合同を推進
- ニコラウス・コペルニクス(1473年 - 1543年) - ポーランドの天文学者・カトリック司祭・『天球回転論』で地動説を唱える
- ファウスト・ソッツィーニ(1539年 - 1604年) - イタリア出身の反三位一体論の神学者・ユニテリアン教会のポーランド兄弟団の創設者
ロシア
- フィロテウス(フィロフェイ)(1465年 - 1542年) - プスコフのイェリツァロフ修道院典院・「モスクワ第3のローマ説」を提唱
- イヴァン4世(雷帝)(1530年 - 1584年) - モスクワ大公・初代のロシア・ツァーリ(在位1547年 - 1574年、1576年 - 1584年)
- イェルマーク・チモフェーイェヴィチ(1532年/1542年 - 1585年) - コサックの頭領・シビル・ハン国と戦いシベリア各地を探検する
南北アメリカ
- モクテスマ2世(1466年 - 1520年) - アステカ帝国第9代君主(在位1502年 - 1520年)・エルナン・コルテスと接触後に混乱で事故死
- フランシスコ・ピサロ(1470年頃 - 1541年) - スペイン出身の征服者(コンキスタドール)・インカ帝国を滅ぼす・リマ市を建設
- ホアン・ディエゴ(1474年 - 1548年) - メキシコ先住民でカトリック改宗者・グアダルーペの聖母の出現に立ち会い聖人とされる
- バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(1475年 - 1519年) - スペイン出身の探検家・植民地政治家・ヨーロッパ人として初めて太平洋に到達
- ラス・カサス(1484年 - 1566年) - スペイン出身のドミニコ会士・チャパス司教・『インディアスの破壊についての簡潔な報告』で有名[2]
- エルナン・コルテス(1485年 - 1547年) - スペイン出身の征服者(コンキスタドール)・アステカ帝国を滅ぼす・メキシコ市を建設
- ジャック・カルティエ(1491年 - 1557年) - フランス出身の探検家・セントローレンス湾沿いを探検しカナダと名づけ領有を宣言
- クアウテモック(1495年頃 - 1525年) - アステカ帝国最後の第11代君主(在位1520年 - 1521年)・モクテスマ2世の従兄弟
- アタワルパ(1502年頃 - 1533年) - インカ帝国第13代君主(在位1532年 - 1533年)・フランシスコ・ピサロに処刑される
- トゥパク・アマル(? - 1572年) - インカ帝国最後の君主(在位1571年 - 1572年)・アタワルパの甥でスペインの支配に抵抗
- シエサ・デ・レオン(1521年頃 - 1554年) - スペイン出身の探検家・著述家・ピサロの征服後のペルー各地を遍歴し『ペルー記』を執筆
- ディエゴ・デ・ランダ(1524年 - 1579年) - スペイン出身のフランシスコ会士・ユカタン司教・『ユカタン事物記』を残す
西アジア・中央アジア世界
- ムハンマド・シャイバーニー・ハーン(1451年 - 1510年) - シャイバーニー朝ウズベク・ハン国の初代ハーン・ティムール朝を滅ぼす
- セリム1世(冷酷者)(1470年 - 1520年) - オスマン帝国第9代スルタン(在位1512年 - 1520年)・マムルーク朝を滅ぼす
- バルバロス・ハイレッディン(1475年 - 1546年) - アルジェの海賊からオスマン帝国提督となる・プレヴェザの海戦でスペインに勝利
- フズーリー(1483年頃 - 1556年) - オスマン帝国の詩人・トルコ語やペルシャ語やアラビア語など多言語を通じて詩作
- イスマーイール1世(1487年 - 1524年) - サファヴィー朝初代シャー(在位1501年 - 1524年)・白羊朝を滅ぼして建国
- ミマール・スィナン(1489年? - 1588年) - オスマン帝国の建築家・スレイマニエ・モスクなどを手がけトルコ最高の建築家とされる
- ムタワッキル3世(? - 1543年) - マムルーク朝に庇護されていたアッバース家最後のカリフ(在位1508年 - 1517年)
- スレイマン1世(大帝)(1494年 - 1566年) - オスマン帝国第10代スルタン(在位1520年 - 1566年)・「立法者」「壮麗者」とも呼ぶ
- ロクセラーナ(? - 1557年) - オスマン帝国カリフのスレイマン1世の寵妃・セリム2世の母・もとはロシアの司祭の娘
- ソコルル・メフメト・パシャ(1506年 - 1579年) - オスマン帝国の大宰相・スレイマン1世からセリム2世そしてムラト3世に仕える
- ヌール・バヌ(1525年 - 1587年) - オスマン帝国カリフのムラト3世の母・もとはヴェネツィア貴族の娘・「母后」の称号を得て摂政となる
- バーキー(1526年 - 1600年)- オスマン帝国の宮廷詩人・スレイマン1世に仕え戦勝での賛歌などを捧げる・別名は「詩人たちのスルタン」
- アブドゥッラーフ2世(1533年 - 1598年) - シャイバーニー朝ブハラ・ハン国のハーン(在位1583年 - 1598年)・ブハラに遷都
- サフィエ・スルタン(1550年 - 1618年)- オスマン帝国カリフのメフメト3世の母・ヌール・バヌの親戚・「母后」の称号を得る
- アッバース1世(1571年 - 1629年) - サファヴィー朝第5代シャー(在位1588年 - 1629年)・最盛期のシャー・イスファハーンに遷都
南アジア世界
- カビール(1440年 - 1518年) - インドの宗教改革者・もとは織物職人・グル・ナーナクに影響・「ビージャク」という教典をまとめる
- フランシスコ・デ・アルメイダ(1450年 - 1510年) - ポルトガルの初代インド総督・ディーウ沖海戦に勝利しインドのコチンを占領する
- アフォンソ・デ・アルブケルケ(1453年 - 1515年) - ポルトガルの第2代インド総督・インドのゴアを占領する
- グル・ナーナク(1469年 - 1539年) - シク教教祖にして初代グル(尊師)・カビールやイスラーム神秘主義者に影響を受ける
- クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ(1471年 - 1529年) - ヴィジャヤナガル王国(トゥルヴァ朝)の王(在位1509年 - 1529年)・最盛期を現出
- イブラーヒーム・ローディー(? - 1526年) - ローディー朝(デリー・スルターン朝)最後の君主(在位1517年 - 1526年)・パーニーパトの戦いに敗北して死亡する
- バーブル(1483年 - 1530年) - ムガル帝国の建国者(在位1526年 - 1530年)・ティムール朝の末裔・ローディー朝を滅ぼす
- シェール・シャー(1486年 - 1545年) - スール朝の建国者(在位1539年 - 1545年)・一時フマーユーンをデリーから追い払う
- フマーユーン(1508年 - 1556年) - ムガル帝国の第2代皇帝(在位1530年 - 1540年、1555年 - 1556年)・バーブルの子
- アクバル(1542年 - 1605年) - ムガル帝国の第3代皇帝(在位1556年 - 1605年)・ジズヤを廃止し諸宗教の融和を進める
東南アジア世界
- ラプ=ラプ(1491年 - 1542年) - フィリピンのマクタン島の部族長・スペイン人探検家フェルディナンド・マゼランの上陸に抵抗した・フィリピンの英雄
- ミゲル・ロペス・デ・レガスピ(1502年 - 1572年) - スペインの初代フィリピン総督・マニラを占領しフィリピン諸島を制圧
- バインナウン(1517年 - 1581年) - ビルマのタウングー朝の王(在位1551年 - 1581年)・隣国アユタヤ朝の都アユタヤを征服
- ナレースワン(大王)(1555年 - 1605年) - タイのアユタヤ朝の21代目の王(在位1590年 - 1605年)・ビルマから独立回復する
東アジア
明
- 劉瑾(? - 1510年) - 明の宦官・正徳帝の寵愛を受け政治に介入・後に帝位簒奪の陰謀が露見し凌遅刑に処される
- 朱眞鐇(? - 1511年) - 明の王族(安化王)・劉瑾に対する反乱(安化王の乱)を起こし鎮圧される
- 朱宸濠(? - 1521年) - 明の王族(寧王)・正徳帝に対する反乱(寧王の乱)を起こし鎮圧される
- 楊廷和(1459年 - 1529年) - 明の政治家(内閣大学士)・嘉靖帝を擁立し「救時宰相」と呼ばれるが大礼の儀問題に巻き込まれる
- 祝允明(1460年 - 1526年) - 明の官僚・文人・呉派に属し「呉中の四才子」の一人
- 文徴明(1470年 - 1559年) - 明の官僚・文人・呉派に属し「呉中の四才子」の一人・子の文彭や文嘉も書画で有名
- 唐寅(1470年 - 1523年) - 明の文人・呉派に属し「呉中の四才子」の一人・事件に巻き込まれ官人になれず在野で活躍
- 王陽明(1472年 - 1528年) - 明の政治家・思想家(陽明学)・寧王の乱ほかを鎮圧・主著に『伝習録』
- 徐階(1494年 - 1574年) - 明の政治家(内閣大学士)・嘉靖帝死後に隆慶帝を擁立し内廷粛正を図る
- 仇英(1494年? - 1552年) - 明の画家・漆工から身を起こし模写を重ね花鳥や人物を得意とした・特に美人画でよく知られる
- 呉承恩(1504年頃 - 1582年頃) - 明代の官僚・文人・『西遊記』の編者か?
- 王直(? - 1559年) - 明の海賊・嘉靖の大倭寇の中心人物・日本の五島列島に本拠地を持つ・胡宗憲に捕縛され処刑される
- 嘉靖帝(1507年 - 1566年) - 明の第12代皇帝(世宗)(在位1521年 - 1566年)・40年に及ぶ治世で北虜南倭に苦しむ
- 海瑞(1514年 - 1587年) - 明の官僚・嘉靖帝に対して厳しい直諫を行い投獄されるが後に復権・歴史戯曲『海瑞罷官』でも有名
- 李時珍(1518年 - 1593年) - 明の医師で本草学者・中国本草学の集大成である『本草綱目』を編纂
- 徐渭(1521年 - 1593年) - 明の文人・書画や詩文や戯曲など多様な分野で天才性を発揮・一方で精神を病み妻を殺害する
- 張居正(1525年 - 1582年) - 明の政治家(内閣大学士)・幼い万暦帝の補佐をして一条鞭法の導入などの政治改革を行う
- 戚継光(1528年 - 1587年) - 明の武将・倭寇とモンゴルとそれぞれ戦ってともに戦果を挙げた
- 李卓吾(1527年 - 1602年) - 明の官僚・思想家(陽明学左派)・『焚書』の著者・世に入れられずに獄中で自殺
- 蘭陵笑笑生(生没年不詳) - 明の小説家・万暦年間成立の四大奇書『金瓶梅』の作者?(王世貞・徐渭・厳嵩ら別名説もある)
- 袁黄(袁了凡)(1533年 - 1606年) - 明の官僚・儒学者(陽明学左派の王龍溪の門人)・『了凡四訓』(『陰騭録』)がある
- 呂坤(呂新吾)(1536年 - 1618年) - 明の官僚・儒学者・『呻吟語』その他の著作がある
- 洪自誠(洪応明)(活躍時期1572年 - 1620年) - 明の文人・処世訓を記した随筆集『菜根譚』がある
- 李如松(1549年 - 1598年) - 明の武将・朝鮮援兵(文禄・慶長の役)で明側の指揮官として日本の豊臣秀吉軍と戦う
- 湯顯祖(1550年 - 1616年) - 明の劇作家・「中国のシェイクスピア」とも言われる・「牡丹亭還魂記」の作者
- 万暦帝(1563年 - 1620年) - 明の第14代皇帝(在位1572年 - 1620年)・張居正死後に親政・放漫な政治で万暦の三征が発生
越南
モンゴル
チベット
朝鮮
- 李滉(1501年 - 1570年) - 李氏朝鮮の儒学者(朱子学)・「東方の小朱子」と呼ばれ李栗谷と二派を形成・日本儒学にも影響
- 李栗谷(1536年 - 1584年) - 李氏朝鮮の儒学者(朱子学)・李滉の主理説に対し主気説を唱え別派を形成
- 李舜臣(1545年 - 1598年) - 李氏朝鮮の将軍・壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)で日本の豊臣秀吉軍と戦う・韓国の英雄
日本
- 雪舟等楊(1420年 - 1506年?) - 水墨画家・禅僧・渡明して技法を学ぶ・「秋冬山水図」や「天橋立図」で知られる
- 北条早雲(1432年 - 1519年) - 武将・相模伊豆の戦国大名・伊勢氏の流れを汲み後北条氏の祖となる
- 山崎宗鑑(1465年? - 1554年?) - 連歌師・俳諧作者・自由奔放で滑稽味のある句風の作品を集めた俳諧撰集『犬筑波集』で知られる
- 細川政元(1466年 - 1507年) - 室町幕府管領・明応の政変で将軍足利義稙を追放し細川政権を樹立・永正の錯乱で暗殺される
- 足利義稙(1466年 - 1523年) - 室町幕府第10代征夷大将軍(在任1490年 - 1494年・1508年 - 1521年)・明応の政変で廃されるが、10年以上の亡命生活を経て将軍に復帰
- 清原宣賢(1475年 - 1550年) - 公卿・儒学者・古典学者・『日本書紀神代巻抄』『伊勢物語惟清抄』ほか研究を残す
- 細川高国(1484年 - 1531年) - 室町幕府管領・細川政元の養子・畿内を支配するが大物崩れで殺害される
- 斎藤道三(1494年 - 1556年) - 武将・美濃の戦国大名・土岐頼芸を追放し美濃を征服する
- 毛利元就(1497年 - 1571年) - 武将・安芸の戦国大名・厳島の戦いで陶晴賢を破り中国地方を統一
- 雪村周継(1504年? - 1589年頃) - 水墨画家・戦国時代の関東画壇の中心人物になる
- フランシスコ・ザビエル(1506年 - 1552年) - スペイン出身のイエズス会宣教師・鹿児島や山口で布教
- 大内義隆(1507年 - 1551年) - 武将・周防・長門の戦国大名・家臣陶晴賢に殺害される・山口の大内文化を育む
- 松永久秀(1510年 - 1577年) - 武将・三好家家宰・大和の戦国大名・永禄の変で将軍足利義輝を殺害
- 足利義晴(1511年 - 1550年) - 室町幕府第12代征夷大将軍(在任1521年 - 1546年)
- 細川晴元(1514年 - 1563年) - 室町幕府管領・細川高国を滅ぼすが畿内で一向一揆や法華一揆に翻弄される
- 北条氏康(1515年 - 1571年) - 武将・相模の戦国大名・河越城の戦いで関東での覇権を確立・甲相駿三国同盟を締結
- 今川義元(1519年 - 1560年) - 武将・駿河の戦国大名・「海道一の弓取り」・桶狭間の戦いで織田信長に滅ぼされる
- 武田信玄(1521年 - 1573年) - 武将・甲斐の戦国大名・川中島の戦いで上杉謙信と激突
- 三好長慶(1522年 - 1564年) - 武将・畿内の戦国大名・細川政権(細川晴元)を倒し三好政権を樹立
- 千利休(1522年 - 1591年) - 茶人・堺の商人・豊臣秀吉に茶頭として近侍し豊臣政権を支える・後に秀吉の怒りで切腹を命じられる
- 柴田勝家(1522年 - 1583年) - 武将・織田信長の重臣・清州会議で羽柴秀吉の優位を許し賤ヶ岳の戦いで滅ぼされる
- 明智光秀(1528年 - 1582年) - 武将・織田信長の重臣・本能寺の変で織田信長を倒すが山崎の戦いで羽柴秀吉に滅ぼされる
- 上杉謙信(1530年 - 1578年) - 武将・関東管領・越後の戦国大名・川中島の戦いで武田信玄と激突
- 大友宗麟(1530年 - 1587年) - 武将・豊後の戦国大名(キリシタン大名)・伊東マンショは縁者
- 大村純忠(1533年 - 1587年) - 武将・肥前の戦国大名(キリシタン大名)・長崎港を開港する
- 織田信長(1534年 - 1582年) - 武将・尾張の戦国大名・室町幕府を倒し織田政権を樹立・本能寺の変で明智光秀に滅ぼされる
- 細川幽斎(1534年 - 1610年) - 武将・細川氏一族で足利義昭・織田信長・豊臣秀吉に仕える・歌人として古今伝授を行う
- 島津義弘(1535年 - 1619年) - 武将・薩摩の戦国大名・九州に覇を唱えるがやがて豊臣秀吉の九州平定に従う
- 足利義輝(1536年 - 1565年) - 室町幕府第13代征夷大将軍(在任1546年 - 1565年)・永禄の変で松永久秀らに殺害される
- 豊臣秀吉(1536年 - 1598年) - 武将・関白(在任1585年 - 1591年)・後に太閤と呼ばれる・豊臣政権を樹立し天下統一
- 足利義栄(1538年 - 1568年) - 室町幕府第14代征夷大将軍(在任1568年)・松永久秀と三好三人衆に擁立される
- 足利義昭(1537年 - 1597年) - 室町幕府最後の第15代征夷大将軍(在任1568年 - 1573年)・織田信長に擁立されるが後に反目
- 前田利家(1538年 - 1599年) - 武将・豊臣政権の五大老の一人・後の加賀前田家の基礎を築く
- 長宗我部元親(1539年 - 1599年) - 武将・土佐の戦国大名・四国を統一するがやがて豊臣秀吉の四国平定に従う
- 長谷川等伯(1539年 - 1610年) - 長谷川派の画家・京都智積院「金碧障壁画」や「松林図屏風」で知られる
- 顕如(1543年 - 1592年) - 浄土真宗本願寺第11世法主・石山本願寺から一向一揆を指揮して信長包囲網に参加
- 狩野永徳(1543年 - 1590年) - 狩野派の画家・「唐獅子図屏風」や「洛中洛外図屏風」で知られる
- 徳川家康(1543年 - 1616年) - 武将・三河の戦国大名・豊臣政権の五大老の一人・江戸幕府初代征夷大将軍(在任1603年 - 1605年)
- 古田織部(1544年 - 1615年) - 武将・茶人で利休七哲の一人・豊臣秀吉や徳川家康の茶頭となる・大阪の陣後に切腹
- 毛利輝元(1553年 - 1625年) - 武将・周防の戦国大名・豊臣政権の五大老の一人・関ヶ原の戦い後に領土を削られる
- 小西行長(1555年? - 1600年) - 武将・キリシタン大名・朝鮮出兵の交渉役・関ヶ原の戦いでは西軍に属し敗北の後に斬首される
- 上杉景勝(1556年 - 1623年) - 武将・越後の戦国大名・豊臣政権の五大老の一人・会津征伐を受け領土を削られる
- 石田三成(1560年 - 1600年) - 武将・豊臣政権の五奉行の一人・関ヶ原の戦いでは西軍を率いるが敗北し処刑される
- 福島正則(1561年 - 1624年) - 武将・安芸広島の大名・賤ヶ岳の七本槍の一人・朝鮮出兵で活躍・関ヶ原の戦いでは東軍に属す
- 加藤清正(1562年 - 1611年) - 武将・肥後熊本の大名・賤ヶ岳の七本槍の一人・朝鮮出兵で活躍・関ヶ原の戦いでは九州の西軍と戦う
- 上田重安(1563年 - 1650年) - 武将・茶人・古田織部から茶道を学ぶ・上田宗箇流の流祖
- 有馬晴信(1567年 - 1612年) - 武将・肥前の戦国大名(キリシタン大名)・大村純忠の甥
- 伊達政宗(1567年 - 1637年) - 武将・出羽・陸奥の戦国大名・「独眼竜」・豊臣秀吉から徳川家康に従う
- 伊東マンショ(1569年頃 - 1612年) - 天正遣欧少年使節の正使・後にイエズス会士でカトリック司祭となる
- 出雲阿国(1572年 - ?) - 歌舞伎の創始者といわれる女性芸能者・もとは出雲大社の巫女か
- 宇喜多秀家(1573年 - 1655年) - 武将・豊臣政権の五大老の一人・関ヶ原の戦いで敗北し八丈島に流される
- 小早川秀秋(1582年 - 1602年) - 武将・備前岡山の大名・朝鮮出兵で活躍・関ヶ原の戦いでは西軍を裏切り東軍の勝利に貢献する
フィクションのできごと
この節の内容に関する文献や情報源が必要です。ご存じの方はご提示ください。 「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)」も参照してください。 ガイドラインに沿っていない記述は除去されますのでご注意ください。(2011年7月) |
事件
- 1540年、宇宙人がついていた隕石が地球に衝突、衝撃で全ての宇宙人は死滅したが、一つの細胞が生き延び、その子孫が1879年、狼男となってヴィクトリア女王陛下に襲い掛かる。(ドクター・フー)
- 1547年、陸上自衛隊第三特別実験中隊が人工磁場シールドの暴走事故により、2003年10月13日15時34分から演習場ごとタイムスリップしてくる。(戦国自衛隊1549)
- 1549年、陸上自衛隊ロメオ隊が第三特別実験中隊を追って2005年10月13日12時5分からタイムスリップしてくる。その74時間26分後、作戦成功により2005年10月16日16時31分へ帰還し、この時代から完全に姿を消す。(戦国自衛隊1549)
- 1599年、シェイクスピアとドクターが出会う。(ドクター・フー)
- 1600年、関ヶ原の戦いで小早川秀秋が裏切るも、武田信玄の騎馬隊によって西軍が優勢となり、徳川家康などの有力な武将が次々と殺され、東軍が敗北する。(ズッコケ三人組)
誕生
10年紀と各年
脚注
- ^ “The Lusiads”. World Digital Library (1800年 - 1882年). 2013年9月1日閲覧。
- ^ “Mirror of the Cruel and Horrible Spanish Tyranny Perpetrated in the Netherlands, by the Tyrant, the Duke of Alba, and Other Commanders of King Philip II”. World Digital Library (1620年). 2013年8月27日閲覧。