山田花子 (漫画家)

日本の漫画家

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山田 花子(やまだ はなこ、1967年6月10日 - 1992年5月24日)は、日本の漫画家。本名、高市 由美(たかいち ゆみ)。旧筆名は裏町かもめ山田ゆうこ。実妹は漫画編集者高市真紀[1]

山田 花子
本名 高市 由美
生誕 (1967-06-10) 1967年6月10日
日本の旗 東京都千代田区神田駿河台
死没 (1992-05-24) 1992年5月24日(24歳没)
日本の旗 東京都多摩地区日野市百草
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
歌手
活動期間 1982年-1992年
ジャンル ガロ系
代表作 『神の悪フザケ』
『嘆きの天使』
『花咲ける孤独』
『自殺直前日記』
受賞 なかよしギャグ漫画大賞佳作
ヤングマガジン月間新人漫画賞
ちばてつや賞ヤング部門佳作
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自身のいじめ体験をベースに人間の心の奥にひそむ業をえぐり出し、人間の偽善や暗部をテーマにした漫画を描いて世の中の矛盾を問い続けたが、中学2年生の時から患っていた人間不信が悪化、1992年3月には統合失調症と診断される。2ヵ月半の入院生活を経て5月23日に退院。翌24日に団地の11階から投身自殺を遂げる。享年24。

おもな著作に「神の悪フザケ」「嘆きの天使」「花咲ける孤独」「自殺直前日記」など。

経歴

誕生から中学進学まで(1967年〜1979年)

1967年6月東京都千代田区三楽病院トロツキストの著述家高市俊皓の長女として生まれる。よく眠る大人しい赤ん坊だったという。

3歳の時に世田谷区経堂から南多摩郡多摩町(現・多摩市)の公団住宅へ転居。内気な子供で友達と遊ぶよりも独りで空想したり、絵を描いたり図鑑や絵本を読むことを好んだ。絵本は特に、ひとりぼっちのおおかみの子供が仲間を探して歩くが何処にも入れず、「やっぱりおれはおおかみだから、おおかみとして生きていくさ」というストーリーの『やっぱりおおかみ』(佐々木マキ著/福音館書店)がお気に入りで表紙がボロボロになるほど繰り返し読んでいた。また、自分でも画用紙を束ねホチキスで綴じ、子リスを主人公にした絵本を何作も創っていた。1973年多摩市立竜ヶ峰小学校入学。小学生時代は、父親の影響で楳図かずお小林よしのり藤子不二雄ジョージ秋山日野日出志水木しげるらの漫画に熱中。それらの漫画本に貸出カードを作り、「マンガ図書館」と称して友人に貸し出していた。低学年時に好きだった遊びは、友人や妹と楽器の演奏や自作の劇や歌をカセットテープに録音する事。動物好きでペットをたくさん飼っていた。

中学生時代 (1979年〜1982年)

1979年多摩市立和田中学校入学。中学2年生の時、いじめが原因でリストカットを繰り返し、ガス自殺未遂を図る。意識を失って倒れている所を家族に発見され、救急車で運ばれ一命を取り留める。以来、人間不信になる。いじめは高校時代も続き、「山田花子」としての処女作「神の悪フザケ」のメイン・テーマとなった(もう一つの主要なテーマは、彼女の恋愛経験から来る、「恋愛とは強い者が弱い者を捕獲して、欲望の対象にするもの」である)。

裏町かもめ時代 (1982年〜1984年)

1982年3月、『なかよし』(講談社)の「なかよしまんがスクール」に「となりの花子さん」(5月号所収)を山田ゆうこ名義で投稿、編集部から好評を得るも入選せず。引き続き「私の中学校生活物語」(6月号所収)「新・中学生日記」(9月号所収)「花子先生」(10月号所収)などのギャグ作品を投稿するが、いずれも入選を逃す[2]

中学3年生の秋、7作目となる「明るい仲間」(裏町かもめ名義)が講談社「なかよしギャグ漫画大賞」佳作に入選。1983年、『なかよしデラックス』1月号に「明るい仲間」が掲載され、漫画家デビューする。デビューと同時に立川女子高等学校に進学するも学校生活に馴染めず不登校になる。4月号には「大山家のお子様方」が掲載され、『なかよしデラックス』5月号からは「人間シンボーだ」を連載する。この頃の漫画は、「いしいひさいち調」のギャグ漫画であったが、基本的に暗くひねくれた作風であり、“なかよし「かもめのネクラ大賞」係”なる読者投稿コーナーが置かれ、毎回誌面には「ネクラ大賞」に選ばれた読者による恨み節が掲載されていた。連載はギャグ路線を維持するも、シュールでブラックな内容が多くなり、84年6月号を以て連載終了。その後『なかよし』に作品を発表する事は無く「山田花子」として再デビューするまで商業誌での新作は一切途絶える。

1984年頃、佐々木マキの漫画を読むため、『月刊漫画ガロ』(青林堂)のバックナンバーを購入したことが切っ掛けで、『ガロ』を定期購読する。蛭子能収鴨沢祐仁鈴木翁二花輪和一丸尾末広山野一など、青林堂発行の単行本を収集する。特に、根本敬の漫画に傾倒。根本が主宰していた「幻の名盤解放同盟」のイベントにもしばしば参加。また、自分で購入できない根本の作品が載っているエロ本は、父親に依頼して購入してもらうほどのめりこんでいた。根本敬に「根本敬大先生様」と書いて送ったファンレターが切っ掛けで青林堂の山ノ井靖を紹介され、『ガロ』に投稿を始める。

山田ゆうこ時代 (1984年〜1987年)

1984年2月に山田ゆうこに改名すると同時に高校を中退。1984年4月に通信制高校の学校法人日本放送協会学園へ2年途中で編入学。同時に長谷川集平の絵本学校に通う。高杉弾[3]の著書『メディアになりたい』(JICC出版局)を読んだことから編集者に興味を持ち、編集デザインの勉強をするため大検を取得し、日本デザイン専門学校グラフィックデザイン科に入学。引き続き『ガロ』に投稿を続けるが入選できず落胆、『週刊ヤングマガジン』に投稿を始める。

インディーズ系の音楽にも興味を持ち、筋肉少女帯人間椅子死ね死ね団有頂天ケラたま劇団健康戸川純あがた森魚原マスミハルメンズ電気グルーヴ空手バカボンなど、ナゴムレコードを中心に収集。特に大槻ケンヂのバンド筋肉少女帯に影響を受ける。作品にも「ノゾミ・カナエ・タマエ」のタイトルを採用したり、「神の悪フザケ」の主人公の少女に「大槻たまみ」という名前を使うなど、ファンであった事が伺える。

自らもバンドを始めようと叔父にギターを習うが、指が細くて弦が押さえられず、ギターを諦めキーボードに転向。音楽雑誌でバンドのメンバーを募る。後に、デモテープを自主制作レーベルの『クリちゃんレコード』に送り、主宰の加藤良一から連絡を受けるが、レコードデビューは実現しなかった。

1986年から山田花子名義でライブハウスに数回出演する。妹の真紀とバンド「グラジオラス」を結成するなど音楽活動も行っていた。1987年7月、個人誌『グラジオラス』、絵本学校の友人2人と同人誌『天国』を制作する(彼女は4編の漫画を寄稿)。

山田花子として再デビュー (1987年〜1991年)

1987年8月、『週刊ヤングマガジン』の月間新人漫画賞で「人でなし」が奨励賞に入選。専門学校卒業間際の同年10月に、山田花子としてのデビュー作「忘れもの」を発表し、ちばてつや賞佳作入選する[4]。選評に「好き嫌いはともかく一度読むと強く印象に残る作品。けっして美しいとは言えない女の子が主人公の暗いムードが漂うこの短編は、はたして作者の悪意なのかやさしさなのか?今後の展開が楽しみ」とある。

1988年1月から翌89年2月まで『週刊ヤングマガジン』で「神の悪フザケ」を連載。一部で熱狂的なファンを生んだ一方、読者アンケートでワースト1位を記録する。連載終了後もコラム「山田花子のバッチリ行こうぜ!!」を1991年まで連載する。

1989年3月、日本デザイン専門学校を卒業。東中野のアパートを契約して独立する。同年5月には初の単行本となる「神の悪フザケ」が講談社より刊行される。この頃、青林堂でアルバイトをしていた妹の真紀が、青林堂の長井勝一に単行本を紹介した事が切っ掛けとなり、憧れの雑誌であった『月刊漫画ガロ』で1989年8月号から1992年2・3月合併号まで毎月作品を発表する。また、『ヤングマガジン』『リイドコミック』『コミックパチンカーワールド』『コミックボーイ』などでも漫画やコラムを発表する。

1991年竹中直人監督の『無能の人』やテレビ神奈川の『ファンキートマト』内の根本敬によるレギュラーコーナー「特殊漫画教室」に出演。バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ)にも「全く笑わない女性」として出演した事がある。メディア露出が増える一方、無気力になり、秋頃、青林堂に原稿を持って来た際に、同社に勤める妹の真紀に「漫画を描く気力がない」と漏らす。また、頻繁にメモをつける、話の途中に突然立ち去る等、奇行が目立つ様になる。7月の日記には「友人も恋人も親も兄弟もいらない。天涯孤独でいい」とある。

晩年 (1992年)

漫画家であることを隠して飯田橋喫茶店アルバイトをしていたが[5]、注文を覚えられないなどの理由から解雇された。解雇通告後の1992年2月25日、アルバイト先の最寄駅の飯田駅付近で放心状態で長時間佇んでいるところを麹町警察署に保護された。連絡を受けた妹が迎えに行きアパートに連れて帰るが、異常を感じた妹は実家に連絡。その日のうちに両親が実家に連れて帰るが、翌日には東中野のアパートに出戻り、解雇された飯田橋の喫茶店で「何とかもう一度雇ってほしい」と懇願し、タイムカードを押して働こうとするが制止される。それでも店を離れようとしなかった。28日、再度麹町警察署より両親の元へ連絡が入り、父親が実家に連れて帰るが、翌29日に錯乱状態になり、救急病院で応急処置を受ける。

3月4日統合失調症のため桜ヶ丘記念病院に入院。徐々に回復の兆しを見せ、漫画が描けるほどに回復する。3月27日付の日記には、「漫画家・山田花子はセミの抜け殻。詩人・鈴木ハルヨとして再出発する」とある。同年5月23日退院。翌24日夕刻、団地の11階から飛び降り自殺[6]。24歳没。

彼女の死を報じる新聞記事には、「多摩市内の無職A子さん」とだけ記されていた。

作品の特色

『なかよし』時代の作品は、学校のなかの友達のいない子の人付き合いや、人と話したりする時の悩みや苦しみなど「さえない・もてない・目立たない」という不器用な人生を送っている人たちを描いた4コマ漫画がほとんどで、「日記まんが」と自称したこれらの漫画群は、漫画家養成専門学校の講師から「ヤマもなければオチもない」と評価されていた。なお、この時代の作品は、かつて1996年に青林堂から限定販売された作品集『魂のアソコ』に収録されている[7]

『なかよし』時代は丸っこい古典的ギャグ漫画調の画風だが、「神の悪フザケ」などでは荒々しくギクシャクした線に変化しており、作品の内容もより深く人間の心の暗部を掘り返すような方向に進んだ。「神の悪フザケ」以降は、再びギャグ漫画調の画風に戻るが『なかよし』時代とは作風が異なり、1-4ページや8ページ位の特異な短編作品を遺している。

敬意を抱いていたと言われる“特殊漫画家”の根本敬は「山田花子は実は絵が非常に上手く、どんな絵でも描ける」と評価している[8]。しかし表面的な絵柄の猥雑さやストーリー展開の不条理さなどから、作品の真価を理解できない者も多かったと見られ、漫画家として順風満帆の歩みだったとは言い難い部分もある。山田花子が一貫して描き続けた共通のテーマは、「人間のエゴイズム」と「不器用な人間が抱えている闇や苦しみ」であった。

作品リスト

1982年(昭和57年)

  • 講談社なかよし』まんがスクール投稿作品 ※単行本未収録
    • となりの花子さん
    • 私の中学校生活物語
    • 絵日記
    • 新・中学生日記
    • 花子先生

1983年(昭和58年)

  • 明るい仲間(講談社『なかよしデラックス』1月号掲載)※漫画家デビュー作
  • 大山家のお子様方(『なかよしデラックス』4月号掲載)
  • 人間シンボーだ(『なかよしデラックス』5月号~翌年6月号)

1984年~1986年(昭和59年~昭和61年)

  • タケシくんはえらい!(雑誌未発表)
  • 山田ゆうこのスクスク高校生-電車通学の巻-(雑誌未発表)
  • 情けない少女(雑誌未発表)

1987年(昭和62年)

  • ごんぎつね(雑誌未発表)
  • 人でなし(講談社『週刊ヤングマガジン』月間新人漫画賞 奨励賞入選作品)
  • 忘れもの(ちばてつや賞佳作入選作品)※山田花子としてのデビュー作
  • 天国(同人誌)
  • グラジオラス(個人誌)

1988年(昭和63年)

  • 神の悪フザケ(『週刊ヤングマガジン』1月4日号〜翌年2月6日号)
  • 至福を肥やせ!子供たち(みのり書房漫画スカット』8月号~90年6月号)※各単行本に抜粋して収録
  • つくし(青林堂月刊漫画ガロ』93年7月号掲載)
  • 会話(『漫画スカット』掲載)
  • 続・会話(『漫画スカット』掲載)

1989年(昭和64年/平成元年)

  • 夢見る女の子日記(清出版ピンクハウス』5月号~7月号)※5月号掲載分単行本未収録
  • 修羅の図鑑(『ヤングマガジン』5月8日・15日合併号~8月14日号)
  • 男心(『月刊漫画ガロ』8月号掲載)
  • 待ち合わせ(『月刊漫画ガロ』9月号掲載)
  • 対人の基本(『月刊漫画ガロ』9月号掲載)
  • 乙女のワルツ(『月刊漫画ガロ』10月号掲載)
  • トモダチ(『月刊漫画ガロ』11月号掲載)※単行本未収録
  • いちょうの実(『月刊漫画ガロ』12月号掲載)
  • 花子の女子高生日記(『ピンクハウス』9月号~92年3月号)
  • ゴキブリと少女(飛鳥新社ポップティーン』11月号掲載)※単行本未収録
  • 桃色ルンバ(竹書房シンバット』12月号~翌90年5月号)※90年1月号掲載分以外単行本未収録

1990年(平成2年)

  • OLヒットパレード-にちようびの巻(『月刊漫画ガロ』93年7月号掲載)
  • OLヒットパレード-地下世界のヒロインの巻(『月刊漫画ガロ』93年7月号掲載)
  • MYWAY(単行本『嘆きの天使』描き下ろし
  • パンクスに対する若き日の幻想(『ポップティーン』1月号掲載)
  • 俗物天使(『シンバット』2月号~4月号)
  • チュウリップ幻術(白夜書房コミックパチンカーワールド』2月号~91年10月号)※一部単行本未収録
  • 修羅の図鑑(地上編)(『月刊漫画ガロ』1月号掲載)
  • 絵物語・桃子の初恋(『月刊漫画ガロ』2・3月合併号掲載)
  • イオナ、私は美しい(『月刊漫画ガロ』4月号掲載)
  • 卒業式—信じるものは救われない—(『月刊漫画ガロ』5月号掲載)
  • ジョン&ミーコ(『シンバット』5月号)
  • マリアの肛門(リイド社リイドコミック』5月28日号~91年11月25日号)
  • みんな燃えてしまえ(『月刊漫画ガロ』6月号掲載)
  • ラブレター(雑誌未発表)
  • 子リスの兄妹(7月制作 雑誌未発表)
  • オタンチン(『月刊漫画ガロ』7月号掲載)
  • バチあたり(『月刊漫画ガロ』8月号掲載)
  • 問題児(『月刊漫画ガロ』9月号掲載)
  • ナチュラル・キッド(『月刊漫画ガロ』10月号掲載)
  • バカの時代(増刊号)(『月刊漫画ガロ』11月号掲載)
  • 馬鹿は死んでも治らない(『月刊漫画ガロ』12月号掲載)
  • 天上天下唯我独尊 その1「神様の言う通り」(雑誌未発表)
  • 天上天下唯我独尊 その2「世界はウソつき」(『月刊漫画ガロ』92年8月号掲載)

1991年(平成3年)

  • こども天国・ピーナッツ(『月刊漫画ガロ』1月号掲載)
  • 給食(『月刊漫画ガロ』2・3月合併号掲載)
  • 入学式(『月刊漫画ガロ』4月号掲載)
  • 日直同士の会話(『月刊漫画ガロ』5月号掲載)
  • いとしのヒヨコ(ミニコミ「chot」vol.2)
  • にちようび(『月刊漫画ガロ』6月号掲載)
  • 悲しきダメ人間(『月刊漫画ガロ』7月号掲載)
  • おふくろさん(『月光文化2』8月号)※単行本未収録
  • 親子の会話(『月刊漫画ガロ』8月号掲載)
  • あっちの世界(『月刊漫画ガロ』9月号掲載)
  • まねっこコジキ(『月刊漫画ガロ』10月号掲載)
  • 男女物語(『月刊漫画ガロ』11月号掲載)
  • タマミの見張り番(『月刊漫画ガロ』12月号掲載)
  • ナルシス日記(竹書房別冊近代麻雀』12月号掲載)※単行本未収録

1992年(平成4年)

  • ノゾミカナエタマエ(秋田書店ヤングチャンピオン』1月8日号~5月14日号)
  • あかんたれ(『月刊漫画ガロ』1月号掲載)
  • 世渡りたくみ君(『月刊漫画ガロ』2・3月合併号掲載)
  • ガード下の靴みがき(『月光文化3』2月号)
  • アーメンソーメン冷ソーメン(『月刊漫画ガロ』8月号掲載)※鈴木ハルヨ名義
  • 魂のアソコ(『月刊漫画ガロ』8月号掲載)
  • 4つ葉のクローバー(『月刊漫画ガロ』8月号掲載)

刊行本

講談社

青林堂

青林工藝舎

自殺直前日記

  • 『自殺直前日記』太田出版 1996年6月 ISBN 4872332814 ※絶版
  • 『自殺直前日記 - 完全版』太田出版 1998年10月 ISBN 4872334191 ※絶版
  • 『自殺直前日記 改』鉄人社 2014年2月 ISBN 4904676998

エピソード

  • 生前はメモ魔であったと言われており、残した日記、メモの多くは没後に太田出版から刊行された『自殺直前日記』にまとめられており、彼女がどのような葛藤の末、飛び降り自殺をするに至ったかを知ることが出来る。
  • スター・システムを採用しており、「大槻たまみ」「河合桃子」「中村ヒヨ子」「山本ヨーコ」「栗山マサエ」「八木マサヒコ」などは山田花子作品を象徴するキャラクターとなっている。
  • 彼女の日記には、自身の徹底した悲観主義を「破滅型自虐ナルシズム」と名付けて他人事のように客観視して扱うことで「生きることの絶望」を乗り越えようとしていた記述がある。
  • 『ガロ』を通じて漫画家の友沢ミミヨみぎわパンと交流を持っていた。
  • 藤子不二雄作品は「魔太郎がくる!」を愛読していた。
  • 10万円の布団を買わされた経験がある。
  • 白夜書房のパーティで巧みな一人コントを演じた事がある。
  • 親交があった俳優のジーコ内山が、彼女の漫画を原作にした自主映画『魂のアソコ』を制作している。
  • 入院中に制作した遺作『4ツ葉のクローバー』は奇しくも山田花子としてのデビュー作『忘れもの』と同テーマを扱っていた。
  • 山田花子の死後、彼女が尊敬していた“特殊漫画家”の根本敬は以下の「追悼文」を寄稿している。
山田花子は神様の目からもこぼれ、仏も見落とす様な、人間の地味な心理や気分や抑圧や、ほ〜んのちょっとしたエゴをじっくりと見すえ(観察というべきか?)て来たわけだが、か細い婦女子が神や仏を越えてしまった以上、生きてなんかいられないわな。実は山田花子は、絶望、絶望、絶望に次ぐ絶望、更に幾つかの絶望を越えた果てに、燦然と輝く桃源郷がある事を予見していた節もあるのだが、生きながらえたままそこへ辿り着くには、気力、体力共、余りにしんどかったわけだ。でも、彼女の自殺にはまったく意外性がなかった。たしかに、個人的には高市由美の死は悲しいが、作家・山田花子の自殺には、否定的な気持は沸かない。例えば麻薬をやってヨイ人間(勝新とか)とよくない人間(宮沢首相とかね)がいるように、自殺してヨイ人間とイケナイ人間がいて、山田花子は前者だ。そんな人間にとって自殺して早死にするのもひとつの生き方故に冥福はあえて祈らない。それにしても本当に、つくづく業の深い漫画家だった。 — 『月刊漫画ガロ』92年8月号

参考文献

  • 青林堂『月刊漫画ガロ』1992年8月山田花子追悼号
  • 石川元『隠蔽された障害-マンガ家・山田花子と非言語性LD』、岩波書店、2001年9月 - ISBN 4-00-022112-4
    • 本書の出版に関しては、石川が「山田花子の評伝」を執筆したいと遺族に伝え、それに応じて遺族が資料を提供した。だが、石川が執筆したのは、「精神医学の研究書」であった。そのため、遺族との間に紛争が生じ、この本は絶版・廃棄処分となった[10]
  • 大泉実成『消えたマンガ家』、太田出版、1996年8月 - ISBN 4-87233-292-X
  • 山田花子『からっぽの世界』、青林工藝舎、1998年1月 - ISBN 4-88379-001-0
  • 山田花子『自殺直前日記-完全版』(『QJブックス』7)、太田出版、1998年10月 - ISBN 4-87233-419-1
  • 山田花子『嘆きの天使』、青林工藝舎、1999年11月 - ISBN 4-88379-045-2
  • 山田花子『花咲ける孤独』改訂版、青林工藝舎、2000年9月 - ISBN 4-88379-057-6
  • 山田花子『魂のアソコ』改訂版、青林工藝舎、2009年7月 - ISBN 4-88379-293-1
  • 青林工藝舎『アックス』Vol.69「山田花子再検証」2009年6月 - ISBN 4-88379-292-7

脚注

  1. ^ 妹の高市真紀は、元・青林堂ガロ』、現・青林工藝舎アックス』の編集者。なお、高市真紀も「丸山玉子」名義でイラストや漫画を描いている。
  2. ^ 1982年の投稿作品は原稿返却を希望しなかったので現存せず、青林工藝舎によって編纂された作品リストにも未掲載となっている。
  3. ^ 伝説の自販機雑誌『JAM』(エルシー企画/アリス出版)、『HEAVEN』(群雄社出版)の編集長として知られる名物編集者。
  4. ^ ちばてつやの妻が熱心に推挙したという。
  5. ^ その様子は著作内でも見ることが出来る。
  6. ^ 完全自殺マニュアル』(著者:鶴見斉 1993年7月 太田出版刊)の『投身自殺』の項目に、山田花子の晩年から自死に至るまでが取り上げられている
  7. ^ 青林工藝舎によって復刊された改訂普及版にも収録。
  8. ^ 青林堂『月刊漫画ガロ』1992年8月号「山田花子に捧ぐ」14頁
  9. ^ 限定1000部、箱入り、CDと小冊子付き。
  10. ^ 『隠蔽された障害』が絶版になった理由 伊藤剛のトカトントニズム

外部リンク