羽生結弦
羽生 結弦(はにゅう ゆづる、1994年〈平成6年〉12月7日[6][7] - )は、宮城県仙台市泉区出身の日本人フィギュアスケート選手(男子シングル)。愛称は「ゆづ」。[※ 1]全日本空輸 (ANA) 所属[8]。
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![]() 2014年ソチ五輪の表彰式にて | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕 |
1994年12月7日(30歳)[1][2]![]() | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 171cm[3][2] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
代表国 |
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コーチ |
ブライアン・オーサー(2012-)[4] トレイシー・ウィルソン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブ | 全日本空輸(ANA)[5] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ISUパーソナルベストスコア | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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獲得メダル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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主要な戦績として、2014年ソチオリンピック男子シングル優勝。2014年世界選手権優勝。グランプリファイナル3連覇(2013年-2015年)。全日本選手権4連覇(2012年-2015年)。
男子シングル競技における、ショートプログラム(110.95点)、フリースケーティング(219.48点)、トータルスコア(330.43点)の現世界歴代最高得点記録保持者。現世界ランキング1位。
世界記録は2012年から10回更新しており、ISUジャッジングシステムのもとに開催された国際大会において、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手である[9]。
人物
仙台市立七北田小学校、仙台市立七北田中学校、東北高等学校を経て、早稲田大学人間科学部人間情報科学科通信教育課程(eスクール)在学中[10]。
名前は「弓の弦を結ぶように凛とした生き方をして欲しい」と父が命名した[3][11]。
演技前に必ず行う胸の前で十字を切るような動作は、実際には「士」の形を描いており、「ジャンプの回転軸と両肩を平行に保つ意識を確認する自己流のおまじない」である[12]。
2歳の頃から喘息(ぜんそく)の持病があり、スケートを始めた当初の目的のひとつは、喘息を克服することにあった[13]。肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、長年体力や持久力の面で劣ると指摘されてきたが、投薬治療、吸入薬、鍼治療、練習時にマスクを着用することで心肺機能を上げるなどの対策を続け、改善されつつある[14]。
尊敬する選手はエフゲニー・プルシェンコ、ジョニー・ウィアー、荒川静香。 荒川は同じアイスリンク仙台で育ち、東北高、早稲田大でも先輩にあたる。彼女の代名詞であるレイバック・イナバウワーを自身の演技に取り入れ、荒川へのリスペクトを示している。
2002年ソルトレイクシティ五輪での演技を見て以来、エフゲニー・プルシェンコに心酔し、技の手本とするに留まらず、彼のマッシュルームカットまで真似した時期もある[15][16]。また、彼の得意技であったビールマンスピンを自身の演技に取り入れ、リスペクトを示している[17]。これに対し、プルシェンコも羽生を賞賛する言葉を多々述べている[※ 2][18][19][17][20][21]。2015年のNHK杯で3つの世界記録を更新した翌日のインタビューでも、理想とする王者像はプルシェンコであり「彼のような存在になれるように努力していきたい」と述べている[22]。
ジョニー・ウィアーも幼少期から憧れの選手に挙げており、ソチオリンピックシーズンの『ロミオとジュリエット』など、いくつかの衣装デザインを手掛けてもらっている。
スケート技術
2種類の4回転ジャンプ(トウループとサルコウ)を跳ぶが、最大の武器は確実に加点の付くトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)である[23][24]。 踏み切り直前に「カウンター」と呼ばれる難しいターンを行ったり、両足のつま先を外側に向けたスプレッドイーグルから踏み切るトリプルアクセルは、常に2~3点のGOE(出来栄え点)がつく[※ 3]。特に基礎点が1.1倍となる演技後半に組み込んだトリプルアクセルからのコンボは、4回転以上の強力な得点源となっている。フリップは踏み切りがアウトサイドになる癖がありエッジエラーの判定を受けていたが、2011-2012シーズンより矯正に成功した。
スピンへの評価も総じて高く、殆どが最高評価の「レベル4」がつく[25]。元々のスピンの速さとポジションの美しさに加え、回転しながら指先や腕などを動かすことでオリジナリティーを出し、プログラムの構成難易度を上げる工夫を行っている[26]。特に、柔軟性の高さを生かしたビールマンスピン[27]やドーナツスピンなどを、積極的に演技に取り入れている。レイバックイナバウアーやハイドロブレードも得意。 新たな4回転ジャンプや、4回転の連続ジャンプにも挑戦している。アクセルは4分の1アンダー(回転不足)で転ぶくらいで、ある程度は回れる段階まできている[28]。 4回転ループは2014年4月9日のショーで初めて成功させた。大会で認定されれば史上初となるが「まだ成功率が低いため、現段階では演技に取り入れる予定はない」と語っている[29]。また練習では4回転ルッツもおりているとのことである[30]。 2015年4月19日の国別対抗戦におけるエキシビションのフィナーレでは、4回転ループ-3回転アクセルを成功させた[31][32]。
経歴
2007年以前
ジュニア以前
1998年の長野五輪フィギュアスケート競技では、日本代表7人中4人(田村岳斗、本田武史、荒川静香、荒井万里絵)が仙台市の東北高等学校に在学中の高校生選手で、かつ、4人とも長久保裕コーチの教え子だった[33]。すると、仙台ではフィギュアスケートブームが起こり、長久保コーチや4選手が所属するダイエー系列のスケートリンク(現・アイスリンク仙台)[※ 4]で佐野稔が開催した子供スケート教室に姉が通い始め、その姉の影響により[34]羽生も4歳でスケートを始めた[1][3][35][36]。同じダイエー系列の新松戸アイスアリーナが2002年1月に閉鎖になると、同アリーナの都築章一郎コーチが仙台に移ってきて、小学2年から小学6年まで指導を受けた[37]。
2004年12月にホームリンク[※ 4]が経営難で閉鎖されたため、勝山スケーティングクラブ(仙台市)に練習拠点を移した。2006年2月のトリノ五輪フィギュアスケート女子シングルで金メダルを獲得した荒川が、記者会見で仙台のアイススケート環境の悪化を懸念していると訴えて全国に報道されると、翌月の仙台市中心部での凱旋パレード[※ 5]および「県民栄誉賞」等授与、さらには長久保コーチと共に名古屋に移住せざるを得なくなった本郷理華(小学3年生:9歳)らの窮状を伝える全国放送[38]や地元マスメディアでの報道もあって環境改善の県内世論が喚起された。同年5月23日、ミヤギテレビ『OH!バンデス』[※ 6]にて小学6年生(11歳)の「天才スケート少年」として羽生の特集が組まれ[39]、(年齢的に出場可能となるソチオリンピックで)金メダルを目指すと発言。2007年3月には、荒川の発言を機に復活の道が開けたかつてのホームリンクがアイスリンク仙台[※ 4]として営業を再開し、羽生も練習拠点を同リンクに戻した。4月に入り、再開間もない同リンクを荒川が訪れると仙台放送『情報ライブMovin'』[※ 6]で生中継がなされ、荒川の子供スケート教室に参加した羽生が、荒川に指導されて五輪のメダルを目指す気持ちが高まった旨を語り、荒川の代名詞であるレイバック・イナバウアーを本人の前で初披露する模様が放送された。
2007-2008シーズン
2007-2008シーズン、まだノービスの選手(中学1年)ながら全日本ジュニア選手権で3位となる。ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の表彰台に上がるのは日本男子史上初[40]。
2008-2009シーズン
2008-2009シーズンからジュニアに上がり、ISUジュニアグランプリ (JGP)に参戦。全日本ジュニア選手権で初優勝を果たし、初出場となった全日本選手権では出場選手中最年少ながら8位に入る。世界ジュニア選手権でも大会最年少ながら12位となった。
2009-2010シーズン
2009-2010シーズン、初戦のJGP トルン杯でJGP初優勝。続くクロアチア杯でも優勝し、JGPファイナルでは史上最年少(14歳)で総合優勝を果たした[※ 7]。全日本ジュニア選手権では2連覇を達成し、全日本選手権ではショートプログラム13位から、フリースケーティングの演技後半に3回転アクセル-3回転トウループ-2回転トウループのコンビネーションジャンプを決めるなどして追い上げ、総合6位となった。世界ジュニア選手権ではフリースケーティングで大幅にパーソナルベストを更新して優勝。日本人男子としては初の中学生で、高橋大輔(2002年)、織田信成(2005年)、小塚崇彦(2006年)に続く、4人目の世界ジュニアチャンピオンになった。2010年4月、東北高校に進学。
2010-2011シーズン
2010-2011シーズン、シニアデビュー戦となったISUグランプリシリーズのNHK杯で、フリースケーティングで自身初となる4回転トウループを成功させ4位に入った。出場3回目の全日本選手権では4位となり、四大陸選手権の代表に選出された。2011年2月に開催された四大陸選手権ではショートプログラム、フリースケーティング共にパーソナルベストを更新する演技を見せ初出場ながら銀メダルを獲得、男子選手としては四大陸選手権史上最年少のメダリストとなった。
翌3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。地震発生時には仙台市のアイスリンク仙台で競技の練習中であり、スケート靴を履いたまま外へ避難した。羽生本人や家族、阿部コーチやリンクメイトは無事であったが、同リンクは被災して営業休止になり、自宅も大きな被害を受けたため避難所で4日間過ごした[41]。震災で多くの死者・行方不明者が発生し、大勢の避難者が避難所生活をしている中、スケート続けることへの疑問を抱いていたが、自身が在学する東北高校野球部が避難所でボランティアをしながら第83回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に出場し、3月28日の初戦を全力で戦っている姿をテレビで観て、スケートへの意欲を取り戻した[42]。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の41日前に生まれた羽生は、4月9日に開催された兵庫県スケート連盟主催「東日本大震災チャリティー演技会 ~復興の街、神戸から~」に招待され、東北高校の先輩の田村・本田・荒川らと演技を披露した[43]。4月からは、テクノルアイスパーク新井田(青森県八戸市)や、かつて師事した都築コーチがいる神奈川スケートリンク(神奈川県横浜市)を仮の拠点とし、復興支援目的のアイスショーへ多数出演して各地を転々としながら練習を続けた[41][44][45]。7月24日、アイスリンク仙台が営業を再開したため、羽生も拠点を戻した。
2011-2012シーズン
2011-2012シーズン、9月にはネーベルホルン杯に出場し、シニアクラスの国際大会では初の優勝を果たす。ISUグランプリシリーズでは中国杯で4位に終わるも、続くロステレコム杯でグランプリシリーズ初優勝を果たし、ISUグランプリファイナル進出を決める。初のISUグランプリファイナルでは、総合得点でパーソナルベストを更新するが、1.73点の僅差で表彰台に届かず4位となる。全日本選手権では、ショートプログラムで4位と出遅れたが、フリースケーティングで1位となり総合3位、これにより自身初の世界選手権の代表に選出された。
世界選手権のショートプログラムでは7位と出遅れたものの、フリーでは中盤繋ぎの部分で転倒するアクシデントを起こしながらも巻き返し2位に躍進、初出場ながら総合で3位に入り、銅メダルを獲得した。[46]。特に技術要素点ではパトリック・チャン・高橋大輔らを上回る今大会最高の点数をマークした[47]。なお17歳3ヶ月での世界選手権メダル獲得も、日本男子選手では羽生が最年少記録となった[※ 8]。
2012-2013シーズン
2012年の4月にコーチをブライアン・オーサーに変更。夏からはオーサーの指導拠点となる「クリケット・クラブ」(Toronto Cricket Skating and Curling Club)があるカナダ・トロントに渡り練習を開始した[48]。羽生自身はオーサーの師事を決めた理由として、同じくオーサーの指導を受けることで4回転ジャンプの精度が上がったハビエル・フェルナンデスに着目し「自分の最大の武器である4回転が安定すれば、スケーティングや表現力など、他の部分も上達するチャンスが出てくると考えました。」と語っている[49]。 フィンランディア杯ではフリーでトゥループとサルコウの2種類の4回転ジャンプを成功させ優勝。グランプリシリーズでは初戦のスケートアメリカ、地元・宮城県で開催された第2戦のNHK杯と、2戦続けてショートプログラムで歴代最高得点を更新、GPファイナルでは2位となる。全日本選手権では初優勝を果たした。
四大陸選手権では、ショートプログラムでは1位だったものの、フリーでは4回転サルコウが2回転に、3回転ルッツが1回転になるミスがあり3位。総合得点では2位になった。しかし世界選手権では、2月からの体調不良と左膝の故障の影響からSPでは精彩を欠き9位と出遅れた。更にフリーの公式練習で右足首を故障したが、満身創痍で臨んだフリーでは3位となり、総合では日本男子最高の4位に入った(翌2014年2月開催のソチオリンピック男子シングル種目は、高橋大輔の6位との成績で最大の3枠を確保)[50]。左膝の故障の為、2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦は辞退した[51]。2013年4月に早稲田大学に進学した。
2013-2014シーズン
2013-2014シーズンを前に、2013年7月1日に全日本空輸 (ANA) と所属契約した[52]。シーズンインするとフィンランディア杯で2年連続の優勝。スケートカナダとエリック・ボンパール杯は共にパトリック・チャンに次ぐ2位。福岡市で開催された2013年GPファイナルではショートプログラムの歴代最高得点を更新、フリーでは自己ベストを大幅に更新し総合1位でGPファイナル初優勝を果たす。続く全日本選手権では2連覇[53]を達成し、ソチオリンピックに初選出された。
ソチオリンピック金メダル
2014年2月、ロシアで開催のソチオリンピック本番では、同大会から新種目としてスタートした団体戦でショートプログラム1位となるが、日本代表の最終結果は総合5位に留まった[54]。
男子シングル個人種目では、ショートプログラムの『パリの散歩道』で完璧な演技を披露し101.45点をマーク、公式大会世界最高得点かつ、史上初の100点超えを達成し首位に立った。しかしフリースケーティングでは、冒頭の4回転サルコウで転倒、直後の4回転トウループは成功したものの、3回転フリップで再び着氷失敗。演技後半の3回転アクセルからのコンビネーションは2回共成功させたが、3回転ルッツ-1回転ループの直後3回転サルコウが認定されないなど不本意な演技となり、自己ベストには程遠い178.64点にとどまった[55]。フリー演技終了直後のインタビューでは「(体が)全然動かなかった。(本番直前の)6分間練習から焦っていた。はっきりいって自分の演技に満足していない。終わった後は、金メダルは駄目かなと思った」と語っていた[56]。
SPで2位につけていたパトリック・チャン(カナダ)は羽生の直後に滑走。冒頭4回転-3回転トウループのコンビネーションを成功させるも、その後は単独の4回転トウループと3回転アクセルで手を着き、さらに終盤の2回転アクセルでもバランスを崩すなどの着氷ミスが続き、羽生のフリーの得点を上回れず銀メダルに終わった[57]。その後に滑走した2選手もメダル圏内には及ばず、結果羽生はフィギュアスケート男子シングルの種目において、日本人初(アジア人でも初)となる冬季オリンピックでの金メダルを獲得した[58][59][60]。表彰後のインタビューではシカゴ・トリビューンの記者フィリップ・ハーシュから東日本大震災についての質問を受け、「金メダルをとったからといって、復興に直接つながるわけではない。自分には何もできていないんだという無力感がある。でも、金メダリストになれたからこそ、これをスタートとして、復興のためにできることがあるんじゃないかと今は思っています。」と回答し、故郷への感謝を述べた[61][62]。この質問をしたハーシュは「僕にとってソチ五輪で最も忘れられない瞬間は、誰かが成したことではなく日本の羽生結弦が言ったことだ。」とツイートし[63]、「19歳とは思えない成熟と謙虚さ、細やかな感受性をもって、この勝利について語った。」と羽生を称える記事を書いた[64]。また同席していたニューヨーク・タイムズ の記者ジェレ・ロングマンは「金メダルの獲得こそが、羽生が前進するための出発点となるだろう。」と結ぶ記事で勝利を称えた[65][66]。
2014年2月14日時点で羽生は19歳65日という年齢であり、フィギュアスケート男子シングルの金メダリストとしてはディック・バトン(アメリカ合衆国)が1948年のサンモリッツオリンピックで優勝した際の18歳202日に次ぐ史上2番目の年少記録となり、66年ぶり2人目の10代での金メダリストになった[67][68]。更にオリンピック初出場で金メダルを獲得したのは、ウルリッヒ・サルコウ、イリヤ・クーリックに次いで史上3人目。ソチオリンピックでは日本人唯一の優勝、また平成生まれの日本人として史上初の夏季・冬季を通して五輪の金メダル獲得となり、又さらに日本選手で過去冬季五輪の金メダリストは記念すべき10人目となった。
世界選手権初優勝
2014年3月、さいたま市で開催された世界選手権では、ショートプログラムの4回転トウループで転倒し3位と出遅れた。しかしフリースケーティングは、国際スケート連盟主催の大会で自身初の4回転サルコウジャンプを成功させる。その後の3回転フリップでエッジエラー判定を受けた以外は、ほぼパーフェクトな演技で総合首位に。総合2位の町田樹を合計得点0.33点の僅差でかわし、逆転優勝を果たした。日本男子シングル種目では、2010年世界選手権の高橋大輔以来、4年ぶり2人目の世界チャンピオンとなる。さらに「GPファイナル・冬季オリンピック・世界選手権」の主要3大会を全て制しての3冠達成は、2001-2002年シーズンのアレクセイ・ヤグディン以来、男女シングルを通じて史上2人目の快挙となった[69]。
2014-2015シーズン
グランプリファイナル2連覇
オリンピックチャンピオンとして臨んだ2014-2015シーズンだが、度重なるアクシデントの影響により、当初挑戦する予定だったプログラムの難度の変更を余儀なくされた。
初戦となる予定だったフィンランディア杯は腰痛のために欠場。2014年11月、初戦となった上海開催の中国杯ではショートプログラム2位スタート。フリースケーティング前の6分間練習で、中国の閻涵と衝突事故が起きた[70]。日本スケート連盟は国際試合に医師を帯同させていなかったため、現場では米国の医師に応急処置を受け、頭部と顎にテーピングと包帯を施したままの状態で演技に臨んだ。ショッキングな流血事故を押しての出場は、当初脳震盪の可能性が疑われたため「危険だったのではないか」と賛否が分かれる事態に発展したが、驚異的な執念で最後までプログラムを滑りきり銀メダルを獲得した[71][72]。なお実際には頭部は打っておらず、医師の「脳震盪ではない」という診断を受け出場を決断したことが後日明らかとなった。この演技終了後に顎を7針、頭を3針縫い、表彰式とエキシビションには出演せず翌日に帰国[73]。精密検査の結果、頭部挫創、下顎挫創、腹部挫傷、左大腿挫傷、右足関節捻挫で全治2~3週間と診断を受けた[74]。次戦のNHK杯は開催直前まで出場の可否が検討されていたが、最終的には出場し総合順位は4位となる[75]。この結果、ISUグランプリシリーズポイントランキング6位となり、最下位でグランプリファイナルへと進出した。1番滑走で臨むことになったファイナルのショートプログラムでシーズンベストを記録し首位に立ち、フリースケーティングでは2種類の4回転を成功させ、自己ベストを更新[76]。日本男子初となる大会2連覇を達成、[77][78][79]事故を乗り越えての勝利を「存分に体を使える幸せを感じた。今スケートができることが一番の幸せ。」と語った[80]。
世界選手権銀メダル
続く2014年12月、全日本選手権では3連覇を達成したものの[81][82]、グランプリシリーズ時から断続的に続いていた腹痛の精密検査のため、エキシビションを欠場し緊急入院。「尿膜管遺残症」との診断結果により翌12月30日に手術を受けた。3連覇を達成した直後に、様々な困難を乗り越えた2014年について問われ「壁の先には壁しかない。課題を克服しても、自分は人一倍欲深いから、また超えようと思う。」と総括した[83][84]。
手術後は2週間の入院および1か月の安静治療が必要とされたが[85]、退院後に練習を再開。しかし手術で腹部を4cmほど切り、腹筋の感覚に違和が生じたことが一因で練習時に右足首を捻挫。再び2週間の休養を要し、3月開催の世界選手権への出場は直前まで危ぶまれた[86]。しかし3月上旬から出場する意向での国内調整を進め、全日本選手権以来の復帰戦に挑むこととなった。
2015年3月、上述の衝突事故が起きた上海の会場で開催された世界選手権では、ショートプログラムで4回転が乱れたものの今季自己ベストをマークし首位に[87][88]。術後の回復をアピールしたかに見えたが、フリープログラムの冒頭で4回転サルコウが2回転に、続く4回転トーループで転倒。その後は落ち着いてジャンプを決め巻き返したものの、パーソナルベストには程遠いスコアに留まり、同門のハビエル・フェルナンデスに2.82点及ばず銀メダルに。日本人選手初となる世界選手権連覇はならなかった。連覇を逃した心境を「悔しさが9割だが、また追いかける事が出来る立場になった。悔しさをバネに進んでいける。」と語り、悔いの残る復帰戦を終えた[89][90][91]。また同大会での日本男子は小塚崇彦が総合12位、無良崇人が総合16位に終わり、総合2位の羽生との順位合計は「14ポイント」に。これにより翌2016年の世界選手権の男子シングル出場枠は2007年大会以来の「2(2名)」へ減少となった[92][93]。
捻挫のほか手術跡が炎症を起こすなどのコンディション不全から、続く4月開催の国別対抗戦への出場の可否は世界選手権後に協議されたが、自身初となる出場が決定[94]。ショートプログラムで96.27点と今季自己ベストを更新し首位に立ち[95]、翌フリープログラムも冒頭の4回転サルコウを完璧に決めたほか、ミスを最小限にとどめ1位に[96]。フリーの演技後に氷上で「ありがとう」と感謝の言葉を述べ、今季最後の試合を終えた[97][98]。日本は銅メダルを獲得。エキシビジョンでは『パリの散歩道』を今季唯一のノーミスで披露し、参考扱いながらも4回転ループを成功させた。来季に向けては「また一つ一つ課題をクリアしていきたい」と展望を語り、シーズンを締めくくった[99]。
2015-2016シーズン
世界記録更新とGPファイナル3連覇
『陰陽師』安倍晴明をテーマとしたフリープログラムを自ら『SEIMEI』と命名。狩衣をイメージした衣装で、シェイ=リーン・ボーン振付による和の新境地に挑むこととなる[100]。
初戦のオータムクラシックで優勝[101]。続くスケートカナダのショートプログラムでは、演技後半のジャンプがルール上カウントされず0点となり73.25点の6位発進と出遅れたが[102]、フリープログラムで自身初となる4回転3本を着氷させ巻き返し2位となる[103]。
続くNHK杯では「まだ調整できる感覚があり、挑戦という意味を込めた」として、ショートプログラムに4回転サルコウと4回転トウループ−3回転コンビネーションの4回転2本を組み込む、自身最高難度の構成に急遽変更[104]。ノーミスの演技で、ソチオリンピックで自身が記録した101.45点の世界最高得点を更新する106.33点をマークした[105][106]。「絶対王者[107]だと言い聞かせることで自分にプレッシャーをかけた[108]」として臨んだ翌日のフリーでは、演技後半の4回転−3回転コンビネーションを含む計3本の4回転のほか全てのジャンプを成功。技術点は出来栄え評価で23.08点もの加点を獲得し、演技点の「音楽の解釈(Interpretation)」の項目は、ジャッジ9人中6人が10点満点をつける9.89点という圧倒的な演技で安倍晴明を演じきり、史上初の200点台となる216.07点を記録した[109]。トータルスコアでも史上初の300点台となる322.40点を記録し、パトリック・チャンが保持していた295.27点の世界歴代最高得点を大幅に塗り替える前人未到のスコアで優勝を果たした[110][111]。この大会で羽生はショート、フリー、トータルの全スコアで世界記録を更新。ISUジャッジングシステムにおいて、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手となった。グランプリファイナルへの進出を決めたフリーの演技を終えた直後に「もっと頑張って、点数ではなく心に残るような演技ができるように日々努力したい」と今後の目標を述べたが[112]。
種目 | 得点 | 上限値 | 得点 / 上限値 | |
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SP | 110.95 (世界最高) | 113.65 | 97.6 % | |
FS | 219.48 (世界最高) | 225.79 | 97.2 % | |
合計点 | 330.43 (世界最高) | 339.44 | 97.3 % |
しかし、12月10日よりバルセロナで開催されたグランプリファイナルのショートプログラムにおいて、NHK杯を超える完璧な演技を披露。4回転サルコウと、4回転トウループ−3回転トウループの連続ジャンプは、9人中8人のジャッジがGOE(出来栄え評価)加点で満点の3点を付け、PCS(プログラム構成点)は満点の50点に肉薄する49.14点をマーク。110.95点を叩き出し、わずか2週間で再び世界記録を塗り替えた[114]。一日置いたフリーでもノーミスの完璧な演技を披露。4回転サルコウ、4回転トウループともにGOE満点を獲得し、技術点は120.92点に到達。構成点では9名のジャッジが10点満点をつけた項目が23にも及び、NHK杯を超える219.48点を記録。トータルで330.43点という驚異的なスコアを叩き出し、再び全ての世界記録を更新[115]。男子選手としてISUグランプリファイナル史上初となる3連覇を成し遂げた[116][117]。歴史的な記録更新に、会場のインタビューで自身の演技を見た子供へのコメントを求められ「どうかスケートを、練習を、夢をあきらめないで」と語った[118]。なお点数が発表された際に、隣で破顔して喜ぶコーチのブライアン・オーサーとは対照的に、羽生がしばし顔を覆って泣き伏したのち「Why am I crying?(何で俺泣いてるんだろう?)」と泣き笑いで問い、オーサーが大笑いするという一幕があった[119]。
続く全日本選手権では、2位に20点近い差を付ける圧勝で、平成以降では最多となる4連覇を果たしたものの、フリーは演技後半のジャンプの転倒が響き183.73点に。トータルは自己ベストには程遠い286.36点にとどまり、「ひどい演技をしてしまった。自分の中では勝ったとは思っていない。こんな演技を二度としないように頑張りたい」と悔しさをあらわに、2015年を締めくくる試合を終えた[120][121]。次戦は2016年にボストンで開催される世界選手権となる予定で「気持ちを切り替えて、やっと本当の練習ができるなと、ある意味ホッとしています」と抱負を語っている[122][123]。
主な戦績
大会/年 | 2006-07 | 2007-08 | 2008-09 | 2009-10 | 2010-11 | 2011-12 | 2012-13 | 2013-14 | 2014-15 | 2015-16 |
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冬季オリンピック | 1 | |||||||||
世界選手権 | 3 | 4 | 1 | 2 | ||||||
四大陸選手権 | 2 | 2 | ||||||||
世界国別対抗戦 | 3 | |||||||||
全日本選手権 | 8 | 6 | 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||
GPファイナル | 4 | 2 | 1 | 1 | 1 | |||||
GPNHK杯 | 4 | 1 | 4 | 1 | ||||||
GP中国杯 | 4 | 2 | ||||||||
GPエリック杯 | 2 | |||||||||
GPスケートカナダ | 2 | 2 | ||||||||
GPスケートアメリカ | 2 | |||||||||
GPロシア杯 | 7 | 1 | ||||||||
オータムクラシック | 1 | |||||||||
フィンランディア杯 | 1 | 1 | ||||||||
ネーベルホルン杯 | 1 | |||||||||
世界Jr.選手権 | 12 | 1 | ||||||||
全日本Jr.選手権 | 7 | 3 | 1 | 1 | ||||||
JGPファイナル | 1 | |||||||||
JGPクロアチア杯 | 1 | |||||||||
JGPトルン杯 | 1 | |||||||||
JGPメラーノ杯 | 5 | |||||||||
スケートコペンハーゲン | 1 N |
- N = ノービスクラス
詳細
2015-2016 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2015年12月24日 - 27日 | 第84回全日本フィギュアスケート選手権(札幌) | 1 102.63 |
1 183.73 |
1 286.36 |
2015年12月9日 - 13日 | 2015/2016 ISUグランプリファイナル(バルセロナ) | 1 110.95 |
1 219.48 |
1 330.43 |
2015年11月27日 - 29日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(長野) | 1 106.33 |
1 216.07 |
1 322.40 |
2015年10月30日 - 11月1日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(レスブリッジ) | 6 73.25 |
2 186.29 |
2 259.54 |
2015年10月12日 - 15日 | 2015年スケートカナダオータムクラシック(バリー) | 1 93.14 |
1 184.05 |
1 277.19 |
2014-2015 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2015年4月16日 - 19日 | 2015年世界フィギュアスケート国別対抗戦(東京) | 1 96.27 |
1 192.31 |
3 団体 |
2015年3月23日 - 29日 | 2015年世界フィギュアスケート選手権(上海) | 1 95.20 |
3 175.88 |
2 271.08 |
2014年12月25日 - 28日 | 第83回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 1 94.36 |
1 192.50 |
1 286.86 |
2014年12月11日 - 14日 | 2014/2015 ISUグランプリファイナル(バルセロナ) | 1 94.08 |
1 194.08 |
1 288.16 |
2014年11月28日 - 30日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(大阪) | 5 78.01 |
3 151.79 |
4 229.80 |
2014年11月7日 - 9日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(上海) | 2 82.95 |
2 154.60 |
2 237.55 |
2013-2014 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2014年3月24日 - 30日 | 2014年世界フィギュアスケート選手権(さいたま) | 3 91.24 |
1 191.35 |
1 282.59 |
2014年2月6日 - 22日 | ソチオリンピック(ソチ) | 1 101.45 |
1 178.64 |
1 280.09 |
2014年2月6日 - 22日 | ソチオリンピック 団体戦(ソチ) | 1 97.98 |
- | 5 団体 |
2013年12月20日 - 23日 | 第82回全日本フィギュアスケート選手権(さいたま) | 1 103.10 |
1 194.70 |
1 297.80 |
2013年12月5日 - 8日 | 2013/2014 ISUグランプリファイナル(福岡) | 1 99.84 |
1 193.41 |
1 293.25 |
2013年11月15日 - 17日 | ISUグランプリシリーズ エリックボンパール杯(パリ) | 2 95.37 |
2 168.22 |
2 263.59 |
2013年10月25日 - 27日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(セントジョン) | 3 80.40 |
2 154.40 |
2 234.80 |
2013年10月4日 - 6日 | 2013年フィンランディア杯(エスポー) | 1 84.66 |
1 180.93 |
1 265.59 |
2012-2013 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2013年3月10日 - 17日 | 2013年世界フィギュアスケート選手権(ロンドン) | 9 75.94 |
3 169.05 |
4 244.99 |
2013年2月6日 - 11日 | 2013年四大陸フィギュアスケート選手権(大阪) | 1 87.65 |
3 158.73 |
2 246.38 |
2012年12月20日 - 24日 | 第81回全日本フィギュアスケート選手権(札幌) | 1 97.68 |
2 187.55 |
1 285.23 |
2012年12月6日 - 9日 | 2012/2013 ISUグランプリファイナル(ソチ) | 3 87.17 |
2 177.12 |
2 264.29 |
2012年11月23日 - 25日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(利府) | 1 95.32 |
1 165.71 |
1 261.03 |
2012年10月19日 - 21日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ケント) | 1 95.07 |
3 148.67 |
2 243.74 |
2012年10月4日 - 7日 | 2012年フィンランディア杯(エスポー) | 2 75.57 |
1 172.56 |
1 248.13 |
2011-2012 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2012年3月26日 - 4月1日 | 2012年世界フィギュアスケート選手権(ニース) | 7 77.07 |
2 173.99 |
3 251.06 |
2011年12月22日 - 25日 | 第80回全日本フィギュアスケート選手権(門真) | 4 74.32 |
1 167.59 |
3 241.91 |
2011年12月8日 - 11日 | 2011/2012 ISUグランプリファイナル(ケベック・シティー) | 4 79.33 |
3 166.49 |
4 245.82 |
2011年11月25日 - 27日 | ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯(モスクワ) | 2 82.78 |
2 158.88 |
1 241.66 |
2011年11月4日 - 6日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(上海) | 2 81.37 |
4 145.16 |
4 226.53 |
2011年9月21日 - 24日 | 2011年ネーベルホルン杯(オーベルストドルフ) | 1 75.26 |
1 151.00 |
1 226.26 |
2010-2011 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2011年2月15日 - 20日 | 2011年四大陸フィギュアスケート選手権(台北) | 3 76.43 |
3 151.58 |
2 228.01 |
2010年12月24日 - 27日 | 第79回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 2 78.94 |
4 141.12 |
4 220.06 |
2010年11月19日 - 21日 | ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯(モスクワ) | 6 70.24 |
6 132.42 |
7 202.66 |
2010年10月22日 - 24日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) | 5 69.31 |
4 138.41 |
4 207.72 |
2009-2010 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2010年3月8日 - 14日 | 2010年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ハーグ) | 3 68.75 |
1 147.35 |
1 216.10 |
2009年12月25日 - 27日 | 第78回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | 13 57.99 |
5 137.23 |
6 195.22 |
2009年12月3日 - 6日 | 2009/2010 ISUジュニアグランプリファイナル(東京) | 3 69.85 |
1 136.92 |
1 206.77 |
2009年11月21日 - 23日 | 第78回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(横浜) | 1 76.00 |
2 118.15 |
1 194.15 |
2009年10月7日 - 10日 | ISUジュニアグランプリ クロアチア杯(ザグレブ) | 1 70.78 |
1 130.37 |
1 201.15 |
2009年9月9日 - 13日 | ISUジュニアグランプリ トルン杯(トルン) | 1 66.77 |
1 131.88 |
1 198.65 |
2008-2009 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2009年2月23日 - 3月1日 | 2009年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ソフィア) | 11 58.18 |
13 103.59 |
12 161.77 |
2008年12月25日 - 27日 | 第77回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 8 64.50 |
5 117.15 |
8 181.65 |
2008年11月21日 - 23日 | 第77回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(名古屋) | 4 57.25 |
1 124.92 |
1 182.17 |
2008年9月3日 - 7日 | ISUジュニアグランプリ メラーノ杯(メラーノ) | 6 51.06 |
4 95.62 |
5 146.68 |
2007-2008 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2007年11月24日 - 25日 | 第76回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(仙台) | 7 49.55 |
1 111.47 |
3 161.02 |
2006-2007 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2006年11月25日 - 26日 | 第75回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(広島) | 18 38.80 |
4 90.16 |
7 128.96 |
プログラム使用曲
シーズン | SP | FS | EX |
---|---|---|---|
2015-2016[124][125][126] | バラード第1番ト短調 作曲:フレデリック・ショパン 振付:ジェフリー・バトル |
SEIMEI 映画『陰陽師』サウンドトラックより 作曲:梅林茂 振付:シェイ=リーン・ボーン |
天と地のレクイエム 東日本大震災鎮魂歌「3・11」 作曲:松尾泰伸 振付:宮本賢二 |
2014-2015[127][128] | 映画『オペラ座の怪人』より 作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー 振付:シェイ=リーン・ボーン |
花は咲く ボーカル:指田郁也 振付:阿部奈々美 The Final Time Traveler ボーカル:サラ・オレイン 振付:宮本賢二 パリの散歩道 曲:ゲイリー・ムーア 振付:ジェフリー・バトル | |
2013-2014[129] | パリの散歩道 曲:ゲイリー・ムーア 振付:ジェフリー・バトル |
映画『ロミオとジュリエット』より 作曲:ニーノ・ロータ 振付:デヴィッド・ウィルソン |
練習曲第12番 嬰ニ短調「悲愴」 作曲:アレクサンドル・スクリャービン 編曲:トルガ・カシフ 演奏:マキシム 振付:阿部奈々美 ノートルダム・ド・パリ 作曲:リカルド・コッチアンテ 振付:デヴィッド・ウィルソン Story ボーカル:AI 振付:宮本賢二 ホワイト・レジェンド バレエ音楽『白鳥の湖』より 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 編曲・演奏:川井郁子 振付:阿部奈々美 映画『ロミオ+ジュリエット』より 映画『Plunkett & Macleane』より 作曲:クレイグ・アームストロング 振付:阿部奈々美 振付:ナタリア・ベステミアノワ[130] 振付:イゴール・ボブリン[130] 花になれ 曲:指田郁也 振付:宮本賢二 |
2012-2013 | ノートルダム・ド・パリ 作曲:リカルド・コッチアンテ 振付:デヴィッド・ウィルソン |
花になれ 曲:指田郁也 振付:宮本賢二 ハロー・アイ・ラヴ・ユー 曲:ドアーズ 振付:カート・ブラウニング | |
2011-2012 | 練習曲第12番 嬰ニ短調「悲愴」 作曲:アレクサンドル・スクリャービン 編曲:トルガ・カシフ 演奏:マキシム 振付:阿部奈々美 振付:ナタリア・ベステミアノワ[130] 振付:イゴール・ボブリン[130] |
映画『ロミオ+ジュリエット』より 映画『Plunkett & Macleane』より 作曲:クレイグ・アームストロング 振付:阿部奈々美 振付:ナタリア・ベステミアノワ[130] 振付:イゴール・ボブリン[130] |
ホワイト・レジェンド バレエ音楽『白鳥の湖』より 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 編曲・演奏:川井郁子 振付:阿部奈々美 サムバディ・トゥ・ラヴ 曲:ジャスティン・ビーバー 振付:阿部奈々美[130] |
2010-2011 | ホワイト・レジェンド バレエ音楽『白鳥の湖』より 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 編曲・演奏:川井郁子 振付:阿部奈々美 |
ツィゴイネルワイゼン 作曲:パブロ・デ・サラサーテ 振付:阿部奈々美 |
ヴァーティゴ 曲:U2 振付:阿部奈々美[130] |
2009-2010 | ザ・ベイト ベア・アイランド 映画『ミッション:インポッシブル2』より 作曲:ハンス・ジマー 振付:阿部奈々美 |
パガニーニの主題による狂詩曲 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ 振付:阿部奈々美 |
CHANGE ボーカル・演奏:MONKEY MAJIK+吉田兄弟 振付:阿部奈々美[130] |
2008-2009[6][131] | ボレロ 映画『ムーラン・ルージュ』より 作曲:スティーブ・シャープルズ 振付:阿部奈々美[132] | ||
2007-2008 | シング・シング・シング 作曲:ルイ・プリマ 振付:阿部奈々美[132] |
火の鳥 作曲:イーゴリ・ストラヴィンスキー 振付:阿部奈々美[132] |
「シング・シング・シング」 振付:阿部奈々美[130] |
2006-2007[130] | 「アマゾニック」 「死の舞踏」 振付:関徳武 |
「サマーストーム」 振付:関徳武 |
- |
2005-2006[130] | - | 「ロシアより愛を込めて」 振付:都築章一郎 |
- |
2004-2005[130] | 「スパルタカス」 振付:都築章一郎 |
「ロシアより愛を込めて」 振付:都築章一郎 |
- |
受賞・栄誉等
- 東京運動記者クラブ:特別賞(2012年)、スケーター・オブ・ザ・イヤー(2014年)[138]
- 東北運動記者会:スポーツ大賞(2011年、2013年、2014年[139])
- 朝日新聞社:「朝日スポーツ賞」(2014年)[140]
- 読売新聞社:第64回「日本スポーツ賞」グランプリ(2014年)[141]
- 毎日新聞社:第22回「毎日スポーツ人賞」グランプリ(2014年)[142]
- Sports Graphic Number:第33回「ナンバーMVP賞」(2014年)[143]
- テレビ朝日:第49回「ビッグスポーツ賞」(2014年)[144]
- 河北新報社:第64回「河北文化賞」(2014年)[145]
- 中日新聞社:第29回「中日体育賞」(2015年)[146]
メディア出演
CM・広告・アンバサダー等
- P&G「ママの公式スポンサー」キャンペーン(2013年12月 - 、高橋大輔と共演)
- 全日本空輸「ANA応援CMソチオリンピック日本代表編」(2014年2月8日 - 2014年2月23日)
- NTTドコモ「新料金プラン」シリーズ(2014年6月-)
- ロッテ「ガーナミルクチョコレート」『羽生選手のキモチ』篇(2014年9月2日 - [156][157])『2人の羽生結弦』篇(2015年9月8日 - [158][159])
- カプコン 「モンスターハンター4G」『シングルプレイ』篇(2014年9月27日-)[160]
- 味の素「アミノバイタル」(2014年10月-)
- ロッテ「キシリトールホワイト」『ホワイトが出た』篇(2014年10月 - [161][162])『ホワイトしてる』篇(2015年10月20日 - [163][164])
- 日本赤十字社
- 「平成27年 はたちの献血キャンペーン」(2015年1月1日 - 2月28日)[165][166]
- 「平成28年 はたちの献血キャンペーン」(2016年1月1日 - 2月29日)[167]
- 「東日本大震災復興支援事業」メッセンジャー就任(2015年2月 - )[168][169]
- バスクリン「きき湯」シリーズ(2015年2月 - )[170][171]
- 西川産業「&Free(アンドフリー)」(2015年4月5日 - )[172]「羽毛ふとん『極める。』キャンペーン」(2015年11月1日 - )[173]
- 国際オリンピック委員会「オリンピックデー2015」(2015年6月23日)[174][175]
テレビ番組等
- NHK仙台『ワンダフル東北 東北未来人第4回 羽生結弦選手』(2010年11月19日)
- NHK総合『もっと強く 〜羽生結弦 16歳の挑戦〜』(2011年1月10日)
- NHK総合『アスリートの魂 羽生結弦 17歳 高みへ』(2012年11月19日)
- BS-TBS『英雄たちの決断 18歳の決断 羽生結弦』(2013年2月12日)
- NHK総合『被災地へとどけ 希望の舞 〜 羽生結弦の ”花は咲く”〜』(2014年7月12日)
- 日本テレビ『24時間テレビ37 小さなキセキ、大きなキセキ』(2014年8月30日)
- 「羽生結弦 被災地の思いを胸に 一夜限りのアイスショー」と題し、生放送で2011-2012シーズンのフリープログラム『ロミオ+ジュリエット』を披露した。[176]
- 日本テレビ『24時間テレビ38 つなぐ〜時を超えて笑顔を〜』(2015年8月22日)
- 「被災地の想いをつなぐ 羽生結弦アイスショー」と題し、福島県の仮設住宅を訪れた際に交流した人々を招待し、アイスショーを開催。EXプログラム「天と地のレクイエム」と「花になれ」の2曲を披露した。ショーは当日録画であったため、放送時は日本武道館のほうに生出演した。また「チャリTシャツ」の笑顔マークの一つのデザインを手がけている。[177]
サポート・アドバイザリー契約
出版物
- YUZURU 羽生結弦写真集(2014年10月24日、集英社)
- 覚醒の時(2014年7月16日、ポニーキャニオン)[186]
- 花は咲く on ICE ~荒川静香 羽生結弦~(2015年12月18日、NHKエンタープライズ)[187]
趣味・嗜好
- 好きなアーティストとしてポルノグラフィティ、Hi-Fi CAMP(羽生の地元である仙台出身)、BUMP OF CHICKEN、The Sketchbookなどを挙げている[3][188][189]。またGPファイナル3連覇を達成した際には、ONE OK ROCKの楽曲に助けられたと語っている[190]。
- 音質に拘るオーディオマニアで、イヤホンを収集している[191]。普段から約50本のイヤホンを用途に応じて使い分けており[192]、最も高いイヤホンは自身の耳の型を取った特注品で約22万円[193]。また耳も非常に良く、普通の人は気づかないような微妙なノイズなどを聞き分ける聴力をもつ[194]。
- プロ野球では地元の東北楽天ゴールデンイーグルスも応援しているが、楽天が存在しなかった幼少期から広島東洋カープのファンであり、憧れの選手は前田健太である。これに対し前田は「羽生選手に勇気をもらったから、今度は僕が勇気を与えたい」と語っている[195]。ちなみに小学生当時は「野球をやりたい」と思った時期もあったらしい[3][196]。
その他
- 『花は咲く』
- 東日本大震災の復興支援ソング『花は咲く』を、羽生が実際に被災したアイスリンク仙台で滑る「花は咲く~羽生結弦Ver.~」が、2014年6月25日よりNHKで放送された[204]。さらに2014年の「NHK杯国際フィギュアスケート競技大会」(なみはやドーム)のエキシビションにおいける羽生の演技に、別角度から撮影した映像や練習風景などを加え、再編集を行った「羽生結弦 世界へ届ける「花は咲く」」が2014年12月より放送された。[205]「第65回NHK紅白歌合戦」では、緊急手術のため入院中だった羽生のコメントを櫻井翔が読み上げ、見舞いの言葉を述べたのち、徳永英明が『花は咲く』を歌唱。徳永の背後のスクリーンに羽生の演技映像を流すという演出がなされた。[206]
- 『夢に描くキセキ』
- 2014年2月6日に、パンダライオンが制作した羽生の応援歌「夢に描くキセキ」にのせて、羽生の地元・仙台にゆかりのある多数の著名人や羽生に関わりのある人物など総勢145名が、自筆メッセージを書いた紙を手に持って出演する動画『羽生結弦応援PROJECT「仙台が繋いだキズナ」』がYouTube上に投稿された[207]。この動画は羽生も閲覧していると発言しており、コメント欄を通じて応援メッセージを羽生に届ける場となっている[207]。ソチ五輪での金メダル獲得後は、祝福が綴られる場となった。
- 『パリの散歩道』
- ソチ五輪のショートプログラムで使用したゲイリー・ムーアの「パリの散歩道」(Parisienne Walkways) が、団体SPの翌2月8日から16日までレコチョクデイリーランキングの洋楽ロック部門で1位になった[208]。また、同曲が収録されたムーアのベスト盤CDが、アマゾンの通販サイトにおいてベストセラーチャート「ハードロック部門」で1位になった[208]。
- スケート靴の調整は、中学生の頃から仙台市に工房を構える阿部年伸(阿部奈々美の夫)が担当している[209]。海外に拠点を移してからも小包で送るか帰国時に持ち込んで調整を依頼しており、工房でも羽生専用の研磨機を用意して対応している[210]。
- 「覚醒の時」
- 2014年7月16日に発売された初の映像作品「覚醒の時」は初週売り上げ2.1万枚を記録し、オリコン週間DVDランキングで最高位1位を記録した。スポーツ選手のDVDが総合1位となるのは1999月4月のDVDランキング開始以来史上初となった。また、同時発売のBlu-ray Discもオリコン週間Blu-rayランキングの総合3位となっており、こちらもスポーツ関連Blu-ray Discとしては、DVD同様に歴代最高位と歴代最高初週売上枚数となった。[211]
- 「YUZURU 羽生結弦写真集」
- 2014年10月24日に発売されたファースト写真集「YUZURU 羽生結弦写真集」は初週売り上げ2.3万部を記録し、オリコン週間ランキング写真集部門とスポーツ関連部門で1位を獲得、BOOK(総合)部門では2位にランクインし、スポーツ選手写真集の本(総合)部門獲得順位と週間売上部数の両記録で歴代トップとなった。[212]
脚注
注釈
- ^ 2014年流行語大賞候補ノミネート語。
- ^ プルシェンコは、2012年に「彼を見ていると昔の自分を思い出す。まだ17歳だが、私が見る限り彼がナンバーワンだ。」と語り、2014年ソチ五輪時には「私は彼のヒーローだったかもしれないが、今は彼が私のヒーローになっている」と語り、羽生の金メダル獲得後はTwitter上で「私のアイドル。よく頑張った。彼は天才だ」と勝利を称えた。2014年にゼビオアリーナ仙台で開催された凱旋公演で共演した際には、プルシェンコが羽生に花束を渡し祝福する一幕などが見られた。
- ^ 例として2014年世界選手権SP後半のGOE加点2.86 (PDF) 、2014年中国杯SPのGOE加点3点満点(9人中8人のジャッジが満点を付けた) (PDF) など
- ^ a b c 羽生の住居から徒歩圏にある。
- ^ 羽生結弦に聞く 4回転×3回「可能性ゼロではない」(朝日新聞 2014年4月11日) … 羽生も観客の立場で荒川のパレードを観覧した。
- ^ a b 在仙台局の夕方ワイド番組。
- ^ 日本人選手の優勝は2005-2006シーズンの小塚崇彦以来2人目。
- ^ 以前は本田武史が2002年世界選手権で銅メダルを獲得した当時で20歳11ヶ月だった。尚、世界の最年少記録はプルシェンコの15歳4か月である。
出典
- ^ a b c 『蒼い炎』p168
- ^ a b c “Yuzuru HANYU”. 2015年5月11日閲覧。
- ^ a b c d e 羽生、男子史上初の金!!歴史の扉開いた19歳/フィギュア (5/5ページ) - サンケイスポーツ、2014年2月17日更新
- ^ 金妍児育てたブライアン・オーサー氏、羽生のコーチに『産経ニュース』2012年4月25日
- ^ フィギュアスケート 羽生結弦選手全日本空輸(ANA)、2014年4月16日閲覧。
- ^ a b 引用エラー: 無効な
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タグです。「passion
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。「meikan
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ フィギュアスケート・羽生結弦選手との所属契約締結について、全日空輸広報部、2013年7月1日
- ^ 、羽生結弦の新記録支えるB・オーサー。彼も昔、フィギュアの革新者だった。
- ^ “フィギュアの羽生結弦、来年早大に進学”. スポニチ (2012年12月23日). 2012年12月23日閲覧。
- ^ 「羽生結弦、世界ジュニア逆転V!」 - スポーツ報知、2010年3月12日更新
- ^ スケート、ルール変更で羽生結弦選手の「おまじない」が見られなくなる? 、2014年10月31日更新
- ^ 天才・羽生結弦を育てた「羽生家の家訓」
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- ^ 気迫の3冠!プリンス羽生結弦が見せた王者の輝き
- ^ 羽生結弦の事故を教訓に、今すべきこととは?
- ^ 「流血」羽生結弦に日の丸背負う不屈の“闘志”を見た
- ^ 羽生結弦が見せた王者の誇りと、男子フィギュア最悪の事故の背景。
- ^ 羽生結弦、あご7針・頭3針縫う 9日に帰国し精密検査
- ^ 羽生 検査結果は頭部挫創などで全治2~3週間
- ^ 羽生NHK杯強行出場 きょう非公式練習
- ^ 羽生 大差V2、完全復活の舞 完璧4回転連発「I did it」
- ^ 2連覇・羽生結弦の飽くなき挑戦。今季最高得点も「まだ完璧じゃない」。
- ^ 言葉で読み解く羽生結弦の「本質」。理想を追う様は、まさに形而上学?
- ^ 羽生ファイナル連覇 「サルコー跳んだ瞬間 きた!」
- ^ 羽生結弦が2連覇「今、スケートができることが一番の幸せ」
- ^ 羽生、全日本3連覇達成!今年ラスト演技で圧巻の舞い!
- ^ 羽生結弦が全日本選手権3連覇 フィギュア男子
- ^ 羽生勝って名言「壁の先には壁しかない」
- ^ 羽生手術 入院2週間&1カ月は絶対安静…3月世界選手権ピンチ
- ^ 羽生結弦、尿膜管遺残症で手術 1カ月の安静必要
- ^ フィギュア世界選手権、羽生結弦の無謀にも思える挑戦
- ^ 羽生結弦SPトップで二連覇見えた!
- ^ 羽生 五輪連覇への鍵は「休養」
- ^ 「すべての出来事がマイナスだけじゃない 僕の好きなスケートを滑れる 幸せなシーズン
- ^ 羽生苦悩の140日 銀でも「自分褒めたい」
- ^ 【フィギュア】羽生、V逸「悔しい」試練続きのシーズン2位締め
- ^ 世界選手権は各国上位2名の成績により、翌年同大会の出場数が決定。「13ポイント以下」で最大3枠、「14~28ポイント」で2枠、「29ポイント以上」で最小1枠となる(各国1名のみだと「2ポイント(2位)以下」で3枠、「3~10(3~10位)ポイント」で2枠、11ポイント(11位)以上で1枠)。
- ^ 女子は3枠キープも…男子は8年ぶりの2枠に減
- ^ 羽生 腹部に炎症…初の世界国別対抗戦出場決定もまた逆風
- ^ 羽生結弦、高度な技連発 今季自己最高 世界国別対抗
- ^ 悔しさバネにエースの滑り 羽生結弦、フリーも1位
- ^ 羽生1位締め 総立ち拍手に「ありがとう みんな」
- ^ 羽生、最終戦“今季ベスト”で会心1位締め
- ^ 羽生結弦を強くする“人間力”の高さ 歩き続けた苦難の道程と来季への誓い
- ^ 羽生結弦が陰陽師!新シーズンのフリーお披露目
- ^ オータムクラシック優勝。羽生結弦が初戦で手にした収穫とは?
- ^ まさかのパンク。羽生結弦が分析した予想外のミスの原因
- ^ 羽生結弦、気迫の巻き返しで2位 「自分を信じていた」
- ^ 羽生結弦、新採点方式で究極の点数へ。
- ^ 世界最高得点更新。羽生結弦がNHK杯SPで感じた「久しぶりの気持ち」
- ^ 羽生結弦が抱く成長への果てなき渇望 世界最高得点も「これがゴールではない」
- ^ 後のインタビューで、「絶対に王者になるんだ」の言い間違いだが、「言ってしまったのは事実だから、自分の言葉に近づけるよう努力するしかない」と発言している。読売新聞. 平成27年12月31日. 朝刊. 22面.
- ^ 羽生結弦、322.40点の世界最高得点で優勝「絶対王者だと言い聞かせながらやっていた」
- ^ これぞ絶対王者。羽生 新時代作った史上初300点超え!無敵の安倍晴明見せた
- ^ これぞ絶対王者。300点超えを達成した羽生結弦の新たな決意
- ^ 前人未踏のレベルに達した羽生結弦。GPファイナル3連覇を阻む者は誰だ!?
- ^ 圧勝Vの羽生「世界中から力もらった」
- ^ 基礎点はもう上限、伸ばせる要素は? 羽生結弦は一体どこまで行く……。(Sports Graphic Number 2015年12月14日)
- ^ 羽生結弦、また異次元へ。ファイナルSPの世界最高得点演技を分析
- ^ 「得点だけではない」。羽生結弦が世界最高のその先に目指すもの
- ^ 羽生結弦がGPファイナル3連覇 世界記録を再び更新330点超
- ^ 完璧まであと9点=上限に迫る羽生-フィギュアGPファイナル
- ^ 羽生結弦、異次元すぎる世界記録更新でGPファイナル3連覇 「夢をあきらめないで」
- ^ 羽生が“羽生超え”フリー限りなく満点に近い出来栄え
- ^ 羽生、4連覇も演技に納得いかず「メラメラと悔しい思いが…」
- ^ 羽生4連覇も反省「ひどい演技をしてしまった」
- ^ 羽生V4「自分の中で勝ったと思ってない」一問一答
- ^ 羽生、苦しんで4連覇「2度とこんな演技をしないために…」
- ^ 今シーズンは「和風」。羽生結弦が語った新プログラムの狙い
- ^ 羽生結弦が新エキシビション『天と地のレクイエム』に込めた思い
- ^ 羽生 今季SPはショパン「バラード第1番」再演
- ^ 怪人・羽生 幕開け 新フリー「オペラ座」披露
- ^ 花は咲く~羽生結弦Ver.~(NHK仙台放送局 2014年12月9日閲覧)
- ^ 羽生、五輪は「ロミオとジュリエット」で フィギュアスケート
- ^ a b c d e f g h i j k l m 2013-2014シーズン/メモリアルフレーム切手セット(日本郵便)、2014
- ^ 「2008全日本選手権レポート 男子シングル」『フィギュアスケートDays vol.8』ダイエックス出版、2009年2月、pp.26-29
- ^ a b c 「フィギュアスケート振付師ファイル」『フィギュアスケートDays vol.8』ダイエックス出版、2009年2月、pp.76-77
- ^ 紫綬褒章:羽生「更なる好成績を」
- ^ 春の褒章発表 羽生結弦さんらに紫綬褒章
- ^ 羽生結弦、『JOCスポーツ賞』を受賞「光栄」
- ^ 羽生がJOC杯受賞「光栄で誇りに思う」
- ^ スケート連盟表彰式 JOC杯に羽生選手ら
- ^ フィギュア羽生が満票で初受賞 スケーター・オブ・ザ・イヤー
- ^ <東北スポーツ大賞>羽生選手2年連続選出
- ^ 震災越え、歴史刻んだ 羽生に朝日スポーツ賞
- ^ 日本スポーツ賞に羽生選手…錦織選手には奨励賞
- ^ 毎日スポーツ人賞:グランプリに羽生結弦さん…受賞者決定
- ^ 第33回NumberMVP賞は羽生結弦選手に決定!
- ^ 羽生結弦、内村航平がテレビ朝日ビッグスポーツ賞を受賞
- ^ 第64回河北文化賞に羽生選手ら
- ^ 羽生選手、新たな勲章 中日体育賞を受賞
- ^ 被災地に夢 羽生選手に県民栄誉賞を授与(河北新報 2014年4月27日)
- ^ 市政トピックス(仙台市「市政だより」 2014年4月号)
- ^ 仙台市スポーツ賞顕彰要綱 (PDF) (仙台市)
- ^ 平成23年度 第2回仙台市スポーツ推進審議会 (PDF) (仙台市)
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- ^ 市長行動記録(平成24年2月1日~29日)(仙台市)
- ^ 市政トピックス(仙台市「市政だより」 2013年3月号)
- ^ アマチュアスポーツで活躍した個人・団体を表彰(仙台市)
- ^ 浅田真央と羽生結弦にギネス認定 SP最高点、世界記録
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- ^ “羽生結弦、魅せた!完璧ダンス”
- ^ “羽生選手CMギャラリー”. LOTTE公式サイト
- ^ “羽生結弦選手、まばゆい笑顔を惜しみなく披露!新TVCM出演”
- ^ “羽生結弦、キシリトールホワイト新CMでキラースマイル炸裂”
- ^ “【日本赤十字社】平成27年 はたちの献血- LOVE in Action”
- ^ “「はたちの献血」キャンペーンがスタート!”
- ^ “羽生結弦が「はたちの献血」キャンペーンキャラクターに - 新CMも放映開始”
- ^ “復興支援をはじめとした、日本赤十字社の活動に力を 東日本大震災復興支援事業のご案内 メッセンジャーに羽生結弦選手を起用”
- ^ “東日本大震災復興支援特設サイト「復興へ、まだまだ力を。」”
- ^ “株式会社バスクリン 羽生結弦選手と広告出演契約締結”
- ^ “羽生結弦、愛用するバスクリンで広告出演契約 - ひたむきさ・誠実さが理由”
- ^ [寝具メーカー「東京西川」の新快眠寝具トータルブランド「&Free」のテレビCMが4月5日㈰から放映開始!! “寝具メーカー「東京西川」の新快眠寝具トータルブランド「&Free」のテレビCMが4月5日㈰から放映開始!!”]
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の値が不正です。 (説明)⚠ - ^ “羽生結弦、東京西川のテレビCMに登場…キーワードは「極める」”
- ^ “羽生がボクサー姿に IOCの動画に起用”
- ^ “Get Active and Win a Trip to Rio”
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: 名無し引数「Olympic Day 2015」は無視されます。 (説明)⚠ - ^ “「24時間テレビ」が開幕 嵐vs関ジャニ∞、羽生結弦選手のショー…今年の見どころ”
- ^ “羽生結弦、『24時間テレビ』“チャリTシャツ”とコラボ「気に入っています」”
- ^ “羽生結弦×野村萬斎表現の極意を語る”
- ^ “【紅白】羽生、被災地からの「応援を必死に受け止めて頑張っています」”
- ^ 『ファイテン×羽生結弦選手』 アドバイザリー契約締結のご案内
- ^ ファイテン×羽生結弦 舞い上がれ蒼炎の如く
- ^ “寝具メーカー「東京西川」がフィギュアスケート 羽生結弦選手とサポート契約を締結。”
- ^ “フィギュアスケート羽生結弦、寝具の東京西川がサポート契約”
- ^ “予約開始とともに、Amazon総合ランキング1位!『羽生結弦語録』発売!”
- ^ “羽生結弦の生きざま…「羽生結弦語録」で名言と写真が一冊に!”
- ^ 羽生結弦「覚醒の時」
- ^ 花は咲く on ICE ~荒川静香 羽生結弦~
- ^ オフィシャルサイトより
- ^ ユヅくんお守りは「アポログラフィティ」 - 音楽ニュース ... - 日刊スポーツ
- ^ [羽生、勝利のルーティンは「ワンオクロックさん」]
- ^ ソチ五輪金メダリスト『羽生選手』がe☆イヤホン秋葉原店にご来店
- ^ 真央と羽生、飛躍誓ったクリスマス - 読売新聞・2013年12月26日
- ^ 羽生結弦 GPファイナル連覇の陰に「22万円特注イヤホン」【羽生結弦】 - 女性自身・2014年12月25日
- ^ 羽生結弦 微妙なノイズを聞き分ける聴力
- ^ 集英社「Sportiva2015-2016 羽生結弦新たなる飛翔」p19
- ^ 羽生結弦(フィギュアスケート) 15歳「4回転どんどん」 - 朝日新聞デジタル、“羽生“マエケン流ジャンプ”研究”. デイリースポーツ (2013年2月12日). 2013年2月12日閲覧。、フィギュア羽生の憧れはマエケン | 東スポWeb – 東京スポーツ
- ^ “みうみま”は困惑した質問に王者・羽生は…さすがの回転力で名回答
- ^ 世界最高得点の羽生が帰国 GPファイナルで男子初の3連覇
- ^ 羽生 お城が趣味!?「引退したら、じっくりと拝見」
- ^ 羽生結弦、「あさイチ」登場にファン大興奮! ファクス6800通超、ツイッター「実況」も盛り上がる
- ^ 羽生 プーさんパスタ持って行く (日刊スポーツ 2014年1月23日)
- ^ 羽生ピンチ!?愛用プーさん“使えず”「寂しい」 (スポニチ 2014年2月5日)
- ^ 2015年12月14日放送「報道ステーション」の松岡修造との対談における羽生の弁
- ^ NHK 仙台放送局 「花は咲く~羽生結弦Ver.~」
- ^ 羽生結弦 世界へ届ける「花は咲く」
- ^ 羽生結弦「また壁を乗り越えたい」 徳永英明とコラボ<紅白本番>
- ^ a b 羽生応援歌に仙台オールスター集合 さとう宗幸、サンドら145人(スポーツニッポン 2014年2月8日)
- ^ a b 羽生効果だ! SP使用曲、レコチョク洋楽ロック部門9日連続首位(スポーツニッポン 2014年2月18日)
- ^ 仙台・泉にフィギュアスケート用品専門店-元プロ選手が夫と開業(仙台経済新聞 2008年7月17日)
- ^ エース支える研ぎの技 フィギュア・羽生選手 ← 仙台の職人・吉田さん(河北新報 2014年2月8日)
- ^ 初週売上枚数も歴代最高
- ^ 羽生結弦が初写真集も“金”、2014年発売の男性写真集で最高週間売上。
関連項目
- 全日本空輸(所属契約締結)
- 荒川静香(仙台、東北高校、早稲田大学で羽生の先輩にあたる)
- 福原愛(仙台、早稲田大学、ANA、仙台観光アンバサダーで羽生の先輩にあたる)
- 清水宏保(羽生と同様、喘息の持病がありながら五輪金メダリストとなった日本人スケート選手)
- 日本の冬季オリンピック金メダル
- オリンピックフィギュアスケート競技メダリスト一覧
- 国際大会における日本人フィギュアスケート選手の成績一覧
外部リンク
- 国際スケート連盟による羽生結弦のバイオグラフィー
- 日本スケート連盟によるプロフィール
- 羽生結弦 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(Sports Reference)
- 公式サイト(休止中)
- 全日空所属アスリート 羽生結弦
- パンダライオン - 夢に描くキセキ : 羽生結弦応援PROJECT「仙台が繋いだキズナ」 - YouTube