利用者:ワーナー成増/キネマ旬報バックナンバー

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1983年

配給収入

配給会社別年間配給収入(1981年2月 - 1982年1月)
配給会社 番組数 年間配給収入 前年比 備考
東宝 16 117億8000万円 N/A たのきんトリオの3番組6作品(『スニーカーぶる~す』・『ブルージーンズメモリー』・『グッドラックLOVE』など)が合計配給収入35億円となり、東宝全体の29.7%を占めた。
東映 24 078億6000万円 N/A アイドル映画『魔界転生』・『野菊の墓』・『冒険者カミカゼ』・『セーラー服と機関銃』などの4番組7作品で合計配給収入43億円となり、東映全体の54.7%を占めた。
出典:竹入栄二郎「アイドル映画 データ分析」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、40 - 41頁。 
配給会社別年間配給収入(1982年2月 - 1983年1月)
配給会社 番組数 年間配給収入 前年比 備考
東宝 12 095億2800万円 N/A たのきんトリオの2番組3作品(『ハイティーン・ブギ』・『ウィーン物語 ジェミニ・YとS』など)が合計配給収入29億円となり、東宝全体の30.4%を占めた。創立50周年記念作品の『南十字星』・『ひめゆりの塔』・『幻の湖』・『海峡』の配給収入は合計しても約22億円にしかならなかった。
東映 23 104億7200万円 N/A アイドル映画『ボーイズ & ガールズ』・『龍の忍者』・『胸さわぎの放課後』・『伊賀忍法帖』などの4番組8作品で合計配給収入28.7億円となり、東映全体の27.4%を占めた。
出典:竹入栄二郎「アイドル映画 データ分析」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、40 - 41頁。 

ねらわれた学園

劇場で販売されたパンフレットやポスターの売り上げは、ひろ子の方に分があった。たのきん3人にひろ子ひとりのパワーが拮抗していることを、興行関係者たちは見逃さなかった。 — 野村正昭「ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、45頁。 

劇場販売のパンフレットやポスターの売上がたのきんを上回り、興行関係者たちも薬師丸の人気を知ることになった[2]

たのきん側には3月に公開した『スニーカーぶる~す』が配給収入11億円〔の大ヒット〕という実績もあった[3]

歌手

  • ポスト山口百恵が騒がれていた頃、「薬師丸は歌わないから……」と言われていた[4]

翔んだカップル

最初、「翔んだカップル」は、山口百恵引退記念映画「古都」の併映作として企画されたのだが、諸々の事情から、80年夏アニメ作品「まことちゃん」と同時上映という形で公開された。 — 野村正昭「ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、45頁。 
配給収入8億円のヒットは、興行関係者たちにとっては予想しえぬものだったし、なぜかと言えば当時の彼らにとっては、 — 野村正昭「ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、45頁。 
(前略)いら立つファンの間を埋めたのが来生たかお作曲によるその主題歌であり、TBSテレビ(五十四年一月放送)の「装いの街」と「セーラー服と機関銃・完璧版」の装いを改めた再公開であり、「翔んだカップル・完全版」と「うる星やつら」のセット公開であった。 — 竹入栄二郎「アイドル映画 データ分析」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、40頁。 

野性の証明

 

公開オーディションで選ばれ、(中略)最終候補者の中では、ひろ子が最年長、当時13歳だった。(中略)時に78年2月28日のことである。 — 野村正昭「ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、44頁。 
(前略)2年後には高校受験を控えていた。彼女自身の意志も女優を継続していくというより、「いい思い出ができました」というものだった。 — 野村正昭「ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、44頁。 

角川書店の雑誌『バラエティ』に薬師丸のグラビアが掲載されるたびに読者の反響が大きくなっていったので、初写真集『薬師丸ひろ子フォトメモワール』を発売する[5]。当時、1800円という破格の値段だったが、発売3日間で1万5000部、最終的には10万部を越えるベストセラーになった[5]

(前略)ひろ子は、その点ズブの素人だったし、家庭の躾がしっかりしており、大人の挨拶の仕方もきちんと出来たし、自分の立場もよくわきまえていたので、映画の撮影中から現場のスタッフや共演者から可愛がられていた。女優としても、これから伸びる素質があるという声が高まった。 — 野村正昭「ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、44頁。 

修正前

この世界で長く仕事を続けていくと薬師丸自身も思っていなかったし、共演の高倉健やスタッフも同じように思っていたので薬師丸に対して優しかったのではないかと想像している。

修正後

家庭の躾が行き届き、大人の挨拶もできた薬師丸は『野性の証明』の現場スタッフや共演者から可愛がられ、役者としての素質を評価する声もあったが、高校受験を控えていた薬師丸自身には女優継続の意志はなかった[5]

グッドラックLOVE

公開初日には千代田劇場みゆき座有楽座日比谷映画スカラ座東京宝塚劇場の6館で各館1回ずつの短いショーを行った[6]。有料入場者数は1万5000人だったが、なお映画館前の路上には『スニーカーぶる~す』の時より集まった半数のファンが入れず残った[6]たのきんの3人は映画館の屋上から屋上へ移動したり、替え玉も使って道路を横断した[6]

女性ファン

薬師丸ひろ子のファンには、女の子が多い。なぜか。彼女は学校に通い、芸能界の仕事をしながら、あやつり人形ではなく、高校から大学に行きたい、こういう仕事をしたいという自らの意志を持ち実現化させてきたからではないか。 — 野村正昭「ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、46頁。 
(前略)薬師丸ひろ子はサインをするときにいわゆる芸能人らしい崩した書き方をせずに、あくまで試験の答案に記入するような、きちんとした楷書(決して旨い字ではない)で書くことに拘る”普通の”女の子だった。 — 野村正昭「ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、46頁。 

ユニークさ

こういう具合に年齢に即した成長を見ることのできる女優の存在はユニークといっていい。 — 野村正昭「ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、46頁。 
(前略)アイドル・スターの宿命を担いながらも、薬師丸ひろ子が、かつて吉永小百合が「キューポラのある街」で女優としてのリアリティーを一足早く獲得したのと同じように、地に足をつけた女の子として、自らのその成長過程を、スクリーンのヒロインとともに生きねばならないという、もうひとつの宿命を担ってしまったことに、誰が気づいたであろう(後略) — 高橋聰「今、スリリング…… アイドルから女優へ 薬師丸ひろ子」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、34頁。 

  映画『探偵物語』の冒頭、ヒロインの女子大生が通学するシーンを、薬師丸自身が通学する姿に重ね合わせて見ていたように、

プロマイド

デビュー以来プロマイドの売上はベスト10以下に落ちたことがなかったが、休業宣言明け(『セーラー服と機関銃』公開時である)の82年1月にトップになって以来、(後略) — 野村正昭「ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、46頁。 

プロマイドの売上はデビューからベストテンにランクインしていたが、1982年1月についに1位になった[7][注 1]

注釈

  1. ^ 1979年に女性8位で初登場して以来、1980年4位、1981年2位とランクアップしていた。

出典

  1. ^ 竹入栄二郎「アイドル映画 データ分析」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、38頁。 
  2. ^ 野村正昭「ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、45頁。 
  3. ^ 竹入栄二郎「アイドル映画 データ分析」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、38頁。 
  4. ^ 小藤田千栄子「戦後アイドル映画の変遷」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、22頁。 
  5. ^ a b c 野村正昭 1983, p. 44.
  6. ^ a b c 竹入栄二郎「アイドル映画 データ分析」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、39頁。 
  7. ^ 野村正昭 1983, p. 46.

1995年

1996年

配給会社別年間配給収入
配給会社 本数 年間配給収入 前年対比 備考
松竹 27 041億1322万円 079.8% 松竹の1995年最高稼動番組は『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』/『釣りバカ日誌7』(15.5億円)。それ以外の番組は配給収入10億円の大台に届かなかったが、『トイレの花子さん』(4.5億円)・『EAST MEETS WEST』(4.3億円)・『鬼平犯科帳』(4.5億円)は健闘。
東宝 21 113億8156万円 095.3% 11年連続の年間配給収入100億円突破。配給収入10億円の大台突破の5番組『耳をすませば』(18.5億円)、『ゴジラvsスペースゴジラ』(16.5億円)、『学校の怪談』(15億円)、『ドラえもん のび太の創世日記』(13億円)、『家なき子』(10.5億円)が記録更新を助けた。
東映 26 064億0496万円 091.2% '95春東映アニメフェア』(12.7億円)、正月番組の『劇場版美少女戦士セーラームーンS』ほか(10.5億円)、『きけ、わだつみの声 Last Friends』(10.1億円)、『』(10億円)が10億円の大台を突破した。しかし、前年は大台を突破した『'95夏東映アニメフェア』(8.5億円)は届かなかった。
出典:「日本映画業界総決算」『キネマ旬報1996年平成8年)2月下旬号、キネマ旬報社、1996年、159 - 160頁。 

1997年

配給会社別年間配給収入
配給会社 本数 年間配給収入 前年対比 備考
松竹 20 048億2910万円 117.4% 松竹の1996年最高稼動番組は『男はつらいよ 寅次郎紅の花』/『サラリーマン専科』(11.6億円)。『学校II』(6億円)や『釣りバカ日誌8』(5億円)も手堅く稼いだ。
東宝 18 106億7251万円 093.8% 12年連続の年間配給収入100億円突破。『ゴジラvsデストロイア』(20億円)、『Shall we ダンス?』(16億円)、『ドラえもん のび太と銀河超特急』(16億円)、『学校の怪談2』(16億円)、『スーパーの女』(15億円)が10億円の大台を突破した。
東映 21 047億4639万円 074.1% 配給収入10億円以上の番組がなかった。アニメ番組も伸び悩み、前売り大量動員映画の『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』も6億円止まりだった。
出典: 「日本映画業界決算」『キネマ旬報1997年平成9年)2月下旬号、キネマ旬報社、1997年、155 - 157頁。 

1998年

配給会社別年間配給収入
配給会社 本数 年間配給収入 前年対比 備考
松竹 28 034億0579万円 070.6% 男はつらいよ』シリーズに代わる『虹をつかむ男』(5.8億円)や『釣りバカ日誌9』(4.5億円)もヒットには至らなかった。配給収入10億円を突破した番組は無かった。
東宝 19 193億7016万円 181.5% 13年連続の年間配給収入100億円突破。UIPの持つ年間配収192億円を更新した。日本配収新記録を達成した『もののけ姫』、『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』(20億円)、『モスラ』(11.5億円)、『学校の怪談3』(11.5億円)の4番組が配給収入10億円の大台を突破した。
東映 31 080億1184万円 168.9% 配給収入23億円を稼いた『失楽園』、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(11億円)、『新世紀エヴァンゲリオン THE END OF EVANGELION』(14.5億円)の3番組が大台を突破した。
出典: 「日本映画業界決算」『キネマ旬報1998年平成10年)2月下旬号、キネマ旬報社、1998年、168 - 169頁。 

1999年

配給会社別年間配給収入
配給会社 本数 年間配給収入 増減 備考
松竹 24 031億1258万円 ▲8.6% 奥山和由専務解任に伴うシネマジャパネスクの見直し、それに伴う製作・配給本数減。配給収入5.1億円の『釣りバカ日誌10』が松竹の最高稼働番組。『男はつらいよ』シリーズ終了後、配給収入10億円の大台を突破する作品がない。
東宝 18 187億4106万円 ▲3.2% 14年連続の年間配給収入100億円突破。『もののけ姫』のような超ヒット番組がないにもかかわらず、配給収入は約6.3億円ダウンに留まった。『踊る大捜査線 THE MOVIE』(50億円)、『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(41.5億円)、『GODZILLA』(30億円)、『ドラえもん のび太の南海大冒険』(21億円)など8番組が配給収入10億円をクリアした。
東映 23 056億7181万円 ▲29.2% 配給収入10億円の大台を突破したのはアスミック・エースとの共同配給の『不夜城』(11億円)と大量前売り動員の『プライド・運命の瞬間』(11億円)の2番組のみ。3大稼動期の正月・春休み・夏休みにヒット作品がない。
出典: 「日本映画業界決算」『キネマ旬報1999年平成11年)2月下旬号、キネマ旬報社、1999年、174 - 176頁。 

2000年

配給会社別年間配給収入
配給会社 本数 年間配給収入 増減 備考
松竹 18 037億8610万円 21.6% ギャガ=ヒューマックスとの共同配給の『ノッティングヒルの恋人』が配給収入10.5億円を稼ぎ、1999年の松竹トップ。配給収入100億円突破の『もののけ姫』に続くジブリの『ホーホケキョ となりの山田くん』は大いに期待外れの配給収入8.2億円で終わる。
東宝 21 167億6040万円 ▲10.6% 15年連続の年間配給収入100億円超え。邦画配給収入トップの『劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』、第2位の『リング2』・『死国』を含め、配給収入10億円突破6番組中5番組が東宝。
東映 27 052億6345万円 07.2% 失楽園』以来、2年振りに『鉄道員(ぽっぽや)』が配給収入20億円を突破する(20.5億円)。稼働期の正月や夏休みにヒット作がなかった。
出典:「日本映画業界決算」『キネマ旬報2000年平成12年)2月下旬号、キネマ旬報社、2000年、153 - 155頁。 

2001年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 前年比 備考
松竹 11 077億0104万円 N/A 大船撮影所最後の映画『十五才 学校IV』が健闘。
東宝 23 255億3835万円 N/A 興行収入20億円以上を稼いだ5本のうち4本が東宝。配給収入は、2000年も100億円を突破し、16年連続となった。
東映 23 109億8361万円 N/A 人気TVアニメ『ONE PIECE』と安定の『デジモン』からなる「2000年春東映アニメフェア」が興行収入20億円突破した。
出典:「2000年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2001年平成13年)2月下旬号、キネマ旬報社、2001年、149 - 150頁。 

大店立地法

2000年の303という増数は、これまで最も大きく、この背景には、2000年6月に施行された大規模小売店舗立地法(大店立地法)が、2001年1月末までに開業すると、この対象とならないということがある。 —  「2000年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2001年平成13年)2月下旬号、キネマ旬報社、2001年、143頁。 

2001年1月末までの開業なら適用外となるのでショッピング・センターやスーパーマーケットの駆け込み出店が相次ぎ、併設のシネマコンプレックスも急増した[1]。前年比303スクリーン増加は新記録[1]

興行収入

日本においては、1999年までは映画の興行成績発表には配給収入が使われていたが、2000年から興行収入の発表に切り替えられた[2]。配給収入と興行収入を誤解しているケースが多かったこと、映画産業データが分かりやすくなること、配給収入での発表は日本映画界の閉鎖性と不透明さの象徴だったこと、また、世界の映画界では興行収入でデータ発表をしていることを関係者は変更理由に挙げている[2]。大ヒットの基準である配給収入10億円以上の作品の発表も廃止された[2]

キネマ旬報によれば、1999年までは配給収入10億円以上が大ヒットの基準だった[3]

できごと

参考文献

注釈

出典

  1. ^ a b 「2000年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2001年平成13年)2月下旬号、キネマ旬報社、2001年、143頁。 
  2. ^ a b c 「2000年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2001年平成13年)2月下旬号、キネマ旬報社、2001年、144頁。 
  3. ^ 「2000年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2001年平成13年)2月下旬号、キネマ旬報社、2001年、144頁。 
  4. ^ a b c 業界総決算 2001, p. 144.
  5. ^ 映画界の出来事 2001, p. 222.
  6. ^ 映画界の出来事 2001, p. 224.
  7. ^ a b 映画界の出来事 2001, p. 225.
  8. ^ 10大ニュース 2001, p. 222.
  9. ^ 映画界の出来事 2001, p. 226.
  10. ^ 10大ニュース 2001, p. 226.
  11. ^ a b c 映画界の出来事 2001, p. 228.
  12. ^ 映画界の出来事 2001, p. 229.
  13. ^ 映画界の出来事 2001, p. 231.
  14. ^ a b 10大ニュース 2001, p. 228.

2002年

配給会社別興行収入
配給会社 本数 年間興行収入 前年比 備考
松竹 N/A 092億6635万円 020.3% アスミック・エースと共同配給した洋画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が24億円で興行収入トップとなる。邦画には特筆すべき作品はなかった。
東宝 24 548億5756万円 114.8% 300億円を越えた『千と千尋の神隠し』が日本新記録を樹立。東宝の年間興行収入の54.6%に該当。『ポケモン』・『ドラえもん』・『コナン』などのアニメも高稼働、実写もアニメに引っ張られるようにヒット。
東映 26 125億3610万円 014.1% 正月映画の『バトル・ロワイアル』と一部追加撮影した『バトル・ロワイアル 特別編』が合計31.1億円のヒット。ワンピース人気で「2001年春東映アニメフェア」は30億円。
出典:「2001年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2002年平成14年)2月下旬号、キネマ旬報社、2002年、137 - 138頁。 

できごと

周年

カリオストロの城

第54回キネマ旬報ベスト・テン54位、映画評論家の深沢哲也のみが投票している[11]。読者選出ベスト・テンは15位[11]

入場料金

一般入場料金は10年間据え置かれている[12]

東京ロケーションボックス

  • 4月20日 - 映画・テレビドラマ等の都内での円滑なロケ撮影をサポートする「東京ロケーションボックス」が都庁内に開設される[13]。外国映画の利用第1号はリュック・ベッソン監督の『WASABI[3]

参考文献

注釈

出典

  1. ^ a b 映画界の出来事 2002, p. 179.
  2. ^ 映画界の出来事 2002, p. 182.
  3. ^ a b 映画界の出来事 2002, p. 183.
  4. ^ 10大ニュース 2002, pp. 179–180.
  5. ^ 映画界の出来事 2002, p. 184.
  6. ^ a b 10大ニュース 2002, pp. 176–177.
  7. ^ a b c d e 映画界の出来事 2002, p. 185.
  8. ^ 映画界の出来事 2002, pp. 184–185.
  9. ^ 映画界の出来事 2002, p. 186.
  10. ^ 映画界の出来事 2002, p. 187.
  11. ^ a b 「コラムでふりかえる2001年映画界10大ニュース」『キネマ旬報2002年平成14年)2月下旬号、キネマ旬報社、2002年、181頁。 
  12. ^ 業界総決算 2002, p. 131.
  13. ^ 映画界の出来事 2002, p. 180.

2003年

修正前

2002年の『ロード・オブ・ザ・リング』に抜かれるまで松竹興行成績の記録を保持していた[1]


修正後

2002年の『ロード・オブ・ザ・リング』に抜かれるまで松竹の歴代興行収入配給収入)1位だった[1][2]

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 前年比 備考
松竹 19 178億1261万円 92.2%増 同社歴代1位の年間興行収入
東宝 23 312億3703万円 43.1%減 同社歴代4位の年間興行収入
東映 14 097億6418万円 22.1%減
出典:「2002年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2003年平成15年)2月下旬号、キネマ旬報社、2003年、139 - 140頁。 

注釈

出典

  1. ^ a b c 「2002年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2003年平成15年)2月下旬号、キネマ旬報社、2003年、139頁。 
  2. ^ キネマ旬報2003年2月下旬号では配給収入を24億円としている[1]
  3. ^ キネマ旬報 2003a, p. 189.
  4. ^ キネマ旬報 2003a, p. 180.
  5. ^ キネマ旬報 2003a, p. 181.

2004年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 前年比 備考
松竹 21 092億5479万円 48.0%減 共同配給の『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』日本ヘラルドに計上されたため。
東宝 24 421億7402万円 35.0%増 同社歴代2位の年間興行収入
東映 19 100億2709万円 02.7%増
注:年間興行収入は万円未満四捨五入
出典:「2003年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2004年平成16年)2月下旬号、キネマ旬報社、2004年、161頁。 

2005年

興行成績

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 前年比 備考
松竹 25 205億0406万円 121.6%増 共同配給の『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』を計上しているため。
東宝 26 542億5622万円 028.6%増 同社歴代2位の年間興行収入
東映 13 095億7816万円 004.5%減
出典:「2004年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2005年平成17年)2月下旬号、キネマ旬報社、2005年、152 - 153頁。 

ALWAYS

  • 尾形敏朗「素晴らしき映画女優(7)薬師丸ひろ子 - 映画におかえりなさい!」『キネマ旬報2005年平成17年)11月上旬号、キネマ旬報社、2005年、121-129頁。 
『リターナー2』をやろうかなんて話もあったんですが、いろいろ企画を考えていく中で、ROBOTの阿部(秀司)社長が『昭和物がやりたい』とずっとおっしゃっていたんです。(中略)ある日、『三丁目の夕日』を切り口に昭和ものをやるのはどうかというアイディアを聞かされて、それはいいんじゃないかと思ったんです。 — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、55頁。 
西岸良平さんの原作コミックは大好きで、それなら普通に人情物ができるんじゃないか、と。人情物をいつかやってみたいという思いは以前からあったんですけど、現代で人情物をやろうとすると、どうしてもどこかで照れちゃうじゃないですか。それが昭和30年代という話の中でなら普通にできそうだから、『それはいいかもしれないですね』と返事をしたんですけど、その時は「俺がやる! 」というほどの力では言ってなかったはずなんですよ(笑)。 — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、55頁。 
それは不安でしたよ。僕は昭和33年を知らないのに、時代劇と違って、その時代を知っている人たちはたくさんいるわけですからね。 — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、55頁。 
最初はロケで撮れるなと思って場所を探したんですけど、映画で使えるほどの広い範囲で当時の雰囲気が残っているところは、日本中探してもないんです。セットとCGで再現するしかない。基本的にはちょっとした街角で起きる人情話なのに、ものすごく予算がかかるわけで、それがエンターテイメントとして成立するかというところで、かなり悩みました。 — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、55 - 56頁。 
でも「よく僕に撮らせようと思ったな」とは思いますけどね(笑)。 — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、56頁。 
西岸良平の人気コミック「三丁目の夕日」(小学館・週刊ビッグコミックオリジナルにて連載中)が「ALWAYS 三丁目の夕日」として映画化される事が決定。12月2日、撮影が進む東宝スタジオ(東京・成城)にて会見が開かれ(後略) — 昭和30年代を完全再現!あの人気コミックが映画化”. 映画.com (2004年12月7日). 2017年3月27日閲覧。
会見終了後に、主人公たちが暮らす街並のセットが公開されたが、総工費4億円をかけて建築されたという精巧ぶりに、詰め掛けたマスコミから感嘆の声が上がった。 — 昭和30年代を完全再現!あの人気コミックが映画化”. 映画.com (2004年12月7日). 2017年3月27日閲覧。
素晴らしいセットができ上がってきて、監督としての僕はすごく嬉しかったんですけど、その反面、CGチームの一員でもある僕は、恐怖も感じました。というのは、この見事なセットに見合うだけの街並みのロングショットを、僕らはCGで作らなきゃいけない。美術部の努力を僕らが無駄にするわけにはいかないので、『大変なことになったな』と。 — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、56頁。 
最初はほとんどのお芝居をスタジオの中のセットで撮ることに抵抗もあったんです。嘘っぽくなっちゃうんじゃないか、と。ところが、照明部がものすごく頑張ってくれて、たとえば、夏のシーンなんか、モニターを覗いていると、夏の真っ昼間に外で撮っている画面にしか見えないんですよ。スタジオの天井が写っていると、天井のほうが偽物みたいな感じがする。映画の魔法を体験できました。 — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、56頁。 
(前略)カメラはどんな撮り方をしてもいい、という前提でやっていたんです。(中略)スタッフ全員が昭和33年にタイムトラベルして、現地でロケしているというつもりだった。だから、カメラが路地の向こうに出て行こうが、クレーンで動いてセットの奥がバレようが、天井が写り込もうが、それも全部OK。『マズいところは、あとでなんとかしますから』と言って、一切制約を作らなかった。(後略) — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、57頁。 
昭和30年代の映画は、参考にしようと思ってたくさん見ましたね。その頃の映画の匂いを可能な範囲で写し取りたいという気持ちはありました。 — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、57頁。 
原作の『三丁目の夕日』自体は、短いエピソードの積み重ねじゃないですか。そのままだと『ひとつひとつの話は面白いけど、ブツ切れだね』と言われちゃうと思うんですよね。 — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、57頁。 
「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」と。(中略)「スタッフもこの時代を知らない世代がほとんどだったので、みんなそんなふうに思って頑張っていたとおもいますよ。」 — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、57頁。 
オールラッシュの時だったんですけど、この当時を知っている製作委員会の人たちが、見終わってから「あの頃は、ああでこうで……」という話を延々としているんですよ。映画の感想じゃなくて(笑)。完全に記憶再生装置になっていて、もし日本中の映画館でそういう光景が繰り広げられるとしたら、すごく幸せだな、と。 — 山崎貴「自分の親に見てもらいたい映画を作ろうと思った」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、57頁。 

注釈

出典

映画評論家

よくまあこれほど念入りに昭和33年らしさを再現したものだと感心した。CGの活用の仕方の、ひとつの里程標となる作品だといっていい。 — 佐藤忠男「CGの使い方のひとつの里程標となる作品」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、58頁。 
ともあれ、あの時期、つまり高度経済成長の時期を大きな区切りとして日本の人情風俗は大きく変化したし、それがいちいち正確に描けているかどうか、これほど気になる映画というのも珍しい。それというのも風俗の描写がそれだけ緻密でよく出来ているからである。 — 佐藤忠男「CGの使い方のひとつの里程標となる作品」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、58頁。 
むろん、ただ再現しただけでは当時の作品に敵わない。昭和33年を舞台にした「ALWAYS 三丁目の夕日」の特徴は、子供の視点から再現していることだろう。

昭和33年だって問題が山積みしていたに相違ない。しかし、こどもの視点に立ったこの映画では、大人なら見える汚い部分は捨象され、すべてが夢と希望に満ちている。当時の子供とは、言うまでもなく現代の大人である。

— 石飛徳樹「『時間の経過』というスパイスが引き起こす魔術」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、59頁。 
当時の私たちは、不治の病や記憶喪失がなくても、感動の涙を流すことが出来た。皮肉たっぷりのパロディーでなくても、腹の底から笑うことが出来た。この映画が本当に再現しているのは、人々のそんな素朴な心の動きなのだ。 — 石飛徳樹「『時間の経過』というスパイスが引き起こす魔術」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、59頁。 
観客を笑わせるために、あるいは泣かせるために、この映画がやっているのは極めて単純なことだ。原因と結果の間に時間を置く、それだけだ。しかし、それだけで、ただの「原因」が高度な「伏線」に変わる。 — 石飛徳樹「『時間の経過』というスパイスが引き起こす魔術」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、59頁。 
  • 石飛徳樹「『時間の経過』というスパイスが引き起こす魔術」『キネマ旬報2005年平成17年)11月下旬号、キネマ旬報社、2005年、59頁。 

封切

泣ける、と評判の「ALWAYS 三丁目の夕日」が見事首位デビュー。公開2日間の成績は、動員が16万4023人、興収で2億1418万円というもの。東宝のリサーチによると、40代の観客が37%でもっとも多いという。これはちょっとした驚きだ(以下、50代22%、20代15.6%、30代14.5%)。 — 国内映画ランキング(2005年11月5日〜2005年11月6日)”. 映画.com (2017年11月8日). 2017年3月27日閲覧。
「ALWAYS 三丁目の夕日」が今週も強い。この週末は、2日間で2億1600万円と前週末以上の興収を記録するなど、予想以上のハイ・パフォーマンスを見せている。このまま行けば、1週先に公開された「春の雪」を上回るのは確実で、最終的に興収20億円に達する可能性も十分ある。 — 国内映画ランキング(2005年11月12日〜2005年11月13日)”. 映画.com (2017年11月15日). 2017年3月27日閲覧。
続映作品では、「三丁目の夕日」「消しゴム」「ブラザーズ・グリム」の上位陣がトップ3の座をキープした。 — 国内映画ランキング(2005年11月19日〜2005年11月20日)”. 映画.com (2017年11月22日). 2017年3月27日閲覧。

外部リンク

できごと

注釈

出典

  1. ^ 「トピック・ジャーナル」『キネマ旬報2005年平成17年)12月下旬号、キネマ旬報社、2005年、168頁。 
  2. ^ インデックスが日活を買収”. 日経BP社 (2005年9月7日). 2017年4月1日閲覧。
  3. ^ 「トピック・ジャーナル」『キネマ旬報2006年平成18年)1月下旬号、キネマ旬報社、2006年、186頁。 
  4. ^ a b 「WORLD NEWS 日本」『キネマ旬報2006年平成18年)1月上旬号、キネマ旬報社、2005年、18頁。 
  5. ^ 「WORLD NEWS 日本」『キネマ旬報2006年平成18年)1月下旬号、キネマ旬報社、2006年、18頁。 

2006年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 前年比 備考
松竹 28 136億8058万円 33.3%減 ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』のような大ヒット作が無かったため。
東宝 24 525億0934万円 03.2%増 同社歴代3位の年間興行収入
東映 14 119億8586万円 25.1%増
出典:「2005年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2006年平成18年)2月下旬号、キネマ旬報社、2006年、177 - 178頁。 

2006年3月、シネマヴェーラ渋谷で「女優 薬師丸ひろ子の軌跡」と題する特集上映が行われた[4]

イラストレーターの安西水丸は『ホテル・ルワンダ』が満員だったので仕方なく鑑賞した[5]。役者達の演技は皆よかったが、鈴木一平役の小清水一輝と母親役の薬師丸ひろ子が印象的だったと書いている[5]

2007年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 前年比 備考
松竹 20 140億5882万円 02.8%増
東宝 27 587億7720万円 11.9%増 同社年間興行収入の新記録
東映 15 133億2192万円 11.1%増 男たちの大和/YAMATO』が大きく貢献した。
出典:「2006年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2007年平成19年)2月下旬号、キネマ旬報社、2007年、185頁。 

2008年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 前年比 備考
松竹 38 156億7092万円 015.5%増
東宝 25 595億1067万円 1.2%増 同社年間興行収入の新記録
東映 17 85億2444万円 36.0%減
出典:「2007年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2008年平成20年)2月下旬号、キネマ旬報社、2008年、164 - 165頁。 

2009年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 前年比 備考
松竹 20 160億1518万円 02.2%増
東宝 29 739億1459万円 12.4%増 同社年間興行収入の新記録
東映 19 119億7561万円 40.5%増 相棒 -劇場版-』の功績による。
出典:「2008年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2009年平成21年)2月下旬号、キネマ旬報社、2009年、173頁。 

2010年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 前年比 備考
松竹 18 157億3149万円 01.8%減
東宝 33 654億9331万円 11.4%減 同社歴代2位の年間興行収入
東映 21 179億8025万円 50.1%増 劒岳 点の記』が大きく貢献した。
注:年間興行収入は万円未満四捨五入
出典:「2009年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2010年平成22年)2月下旬号、キネマ旬報社、2010年、172 - 174頁。 
  • 一般入場料金は18年間据え置かれている[6]

注釈

出典

  1. ^ 映画界10大ニュース 2005, p. 217.
  2. ^ a b 映画界10大ニュース 2005, p. 221.
  3. ^ 映画界10大ニュース 2005, p. 224.
  4. ^ 「WORLD NEWS 日本」『キネマ旬報2006年平成18年)3月下旬号、キネマ旬報社、2006年、19頁。 
  5. ^ a b 安西水丸「安西水丸の4コマ映画館 (125)懐しき昭和三十三年の頃 「ALWAYS 三丁目の夕日」」『キネマ旬報2006年平成18年)3月下旬号、キネマ旬報社、2006年、124頁。 
  6. ^ 「2009年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2010年平成22年)2月下旬号、キネマ旬報社、2010年、174頁。 

2011年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 増減 備考
松竹 19 136億3414万円 ▲13.3%
東宝 32 748億6912万円 14.3% 同社年間興行収入の新記録
東映 25 136億0332万円 ▲24.3%
出典:「2010年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2011年平成23年)2月下旬号、キネマ旬報社、2011年、189頁。 
  • 一般入場料金は19年間据え置かれている[1]

注釈

出典

  1. ^ 「2010年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2011年平成23年)2月下旬号、キネマ旬報社、2011年、191頁。 

2012年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 増減 備考
松竹 19 097億5018万円 ▲28.5%
東宝 29 591億1110万円 ▲21.0% 興行成績はダウンしたが、それでも全邦洋画の興行収入に対し東宝は32.9%に当たり、邦画に限定すると50.9%にもなる。
東映 24 167億3295万円 23.3% 邦画で東映だけが前年を超える成績を残した。
出典:「2011年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2012年平成24年)2月下旬号、キネマ旬報社、2012年、201 - 203頁。 

2013年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 増減 備考
松竹 18 074億2297万円 ▲23.9% 2010年から下降が継続している。
東宝 34 741億3577万円 25.4% 同社歴代2位の年間興行収入。邦画興行収入トップテンのうち9番組を東宝が占めた。
東映 27 175億3889万円 04.8% ONE PIECE FILM Z』の大ヒットや定番の仮面ライダーやアニメの安定した数字が好成績につながった。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』を配給した子会社のティ・ジョイを加えれば興行収入は200億円を超える。
出典:「2012年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2013年平成25年)2月下旬号、キネマ旬報社、2013年、204 - 206頁。 

2014年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 増減 備考
松竹 19 098億0301万円 32.1% 高興収番組は『東京家族』を除くと他社が関わる映画。(『クロユリ団地』・『舟を編む』・『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』)
東宝 29 673億2289万円 09.2% 同社歴代4位の年間興行収入
東映 21 168億1839万円 04.1% 微減。興収10億円以上の番組は『相棒シリーズ X DAY』を除くとアニメと特撮・戦隊もの
出典:「2013年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2014年平成26年)2月下旬号、キネマ旬報社、2014年、197 - 199頁。 

2015年

配給会社別興行収入
配給会社 番組数 年間興行収入 増減 備考
松竹 18 0138億7640万円 41.6% ホットロード』・『超高速!参勤交代』・『小さいおうち』など自社企画・製作作品のヒット
東宝 34 729億6541万円 08.4% 同社歴代4位の年間興行収入
東映 27 116億1122万円 ▲31.0% ヒットした『ONE PIECE FILM Z』・『ドラゴンボールZ 神と神』に代わる作品がなく、実写20億円超が『相棒 -劇場版III- 巨大密室! 特命係 絶海の孤島へ』、10億円超は『ふしぎな岬の物語』の各1本だけ。定番の『仮面ライダー』・『プリキュア』も2本のみ10億円超と微減傾向。
出典:「各社2014年の動向を見る」『キネマ旬報2015年平成27年)3月下旬号、キネマ旬報社、2015年、88 - 92頁。 

2016年

配給会社別興行収入
配給会社 本数 年間興行収入 増減 備考
松竹 30 115億7850万円 ▲16.6% 自社製作に力を入れた強力ラインナップだったが、創業120周年は残念な結果に終わった。アスミック・エースとの共同配給4本のうち、『愛を積むひと』と『日本のいちばん長い日』はアスミック・エースに計上。
東宝 33 731億5117万円 00.3% 同社歴代4位の年間興行収入。『映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!』がディズニーの『ベイマックス』を抑えて週末ランキング1位になる大ヒット。
東映 33 109億4340万円 05.8% 31%ダウンした2014年をさらに下回る厳しい結果となった。『ドラゴンボールZ 復活の「F」』以外の作品、定番の『仮面ライダー』・『プリキュア』を含め、1本も興行収入10億円に届かなかった。実写ドラマに至っては、5億円さえ難しい状況。
出典:「各社2015年の動向を見る」『キネマ旬報2016年平成28年)3月下旬号、キネマ旬報社、2016年、70 - 74頁。 

2017年

配給会社別興行収入
配給会社 本数 年間興行収入 増減 備考
松竹 29 187億3987万円 61.9% 同社歴代2位の年間興行収入。8本の作品が10億円を超えたのは同社新記録。そのうち、『映画 聲の形』・『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』・『HiGH&LOW THE MOVIE』の3本が20億円以上となった。
東宝 32 854億2671万円 016.8% 同社歴代1位の年間興行収入。新記録に『君の名は。』と『シン・ゴジラ』の2本が大きく貢献した。2004年から13年連続500億円以上、700億円超が6回目、800億円台は初。
東映 33 149億5933万円 036.7% 興行収入10億円を超えたのは『ONE PIECE FILM GOLD』・『まだまだあぶない刑事』・『遊☆戯☆王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS』の3本のみ。
出典:「各社2016年の動向を見る」『キネマ旬報2017年平成29年)3月下旬号、キネマ旬報社、2017年、66 - 70頁。 

注釈

出典

周年

2003年

  • 生誕100周年
    • 小津安二郎
      • 東京国立近代美術館フィルムセンターで回顧上映された。

2005年

2015年

  • 創業120周年
    • 松竹 - 「松竹120年祭」(2015年10月 - 11月、東京劇場)で特集上映が行われた[3]

2016年

2017年

  • 創立75周年
    • 大映 - 6月に「おとなの大映祭」、「大映男優祭・女優祭」が秋から東京・角川シネマ新宿ほかで開催される[6][7]

注釈

出典

松竹

松竹年度別興行収入
年度 年間興行収入 前年対比 興行収入トップ番組 出典
映画タイトル 興行収入
2000 077億0104万円 N/A 十五才 学校IV 010.5億円 [1][2]
2001 092億6635万円 120.3% ダンサー・イン・ザ・ダーク 024.2億円 [3][4]
2002 178億1261万円 192.2% ロード・オブ・ザ・リング 090.7億円 [5][6]
2003 092億5479万円 052.0% ギャング・オブ・ニューヨーク 030.0億円 [7][8][† 1]
2004 205億0406万円 221.6% ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 103.2億円 [9][10]
2005 136億8058万円 066.7% 亡国のイージス 020.6億円 [11][12]
2006 140億5882万円 102.8% 子ぎつねヘレン 017.8億円 [13][14]
2007 156億7092万円 115.5% 武士の一分 041.1億円 [15][16]
2008 160億1518万円 102.2% おくりびと 064.8億円 [17][18]
2009 157億3149万円 098.2% ヤッターマン 031.4億円 [19][20]
2010 136億3414万円 086.7% 大奥 023.2億円 [21][22]
2011 097億5018万円 071.5% 武士の家計簿 015.0億円 [23][24]
2012 074億2297万円 076.1% 映画 けいおん! 019.0億円 [25][26]
2013 098億0301万円 132.1% 東京家族 018.2億円 [27][28]
2014 138億7640万円 141.6% ホットロード 025.2億円 [29][30]
2015 115億7850万円 083.4% ラブライブ!The School Idol Movie 028.6億円 [31][32][† 2]
2016 187億3987万円 161.9% 映画 聲の形 023.0億円 [34][35]


注釈

  1. ^ 共同配給の『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』は日本ヘラルドに計上されている。
  2. ^ キネマ旬報と日本映画製作者連盟の資料では28.4億円となっている[33]

出典

  1. ^ 「2000年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2001年平成13年)2月下旬号、キネマ旬報社、2001年、149頁。 
  2. ^ 2000年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  3. ^ 「2001年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2002年平成14年)2月下旬号、キネマ旬報社、2002年、137 - 138頁。 
  4. ^ 2001年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  5. ^ 「2002年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2003年平成15年)2月下旬号、キネマ旬報社、2003年、139頁。 
  6. ^ 2002年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  7. ^ 「2003年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2004年平成16年)2月下旬号、キネマ旬報社、2004年、161頁。 
  8. ^ 2003年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  9. ^ 「2004年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2005年平成17年)2月下旬号、キネマ旬報社、2005年、152 - 153頁。 
  10. ^ 2004年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  11. ^ 「2005年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2006年平成18年)2月下旬号、キネマ旬報社、2006年、177頁。 
  12. ^ 2005年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  13. ^ 「2006年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2007年平成19年)2月下旬号、キネマ旬報社、2007年、185頁。 
  14. ^ 2006年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  15. ^ 「2007年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2008年平成20年)2月下旬号、キネマ旬報社、2008年、165頁。 
  16. ^ 2007年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  17. ^ 「2008年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2009年平成21年)2月下旬号、キネマ旬報社、2009年、173頁。 
  18. ^ 2008年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  19. ^ 「2009年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2010年平成22年)2月下旬号、キネマ旬報社、2010年、172頁。 
  20. ^ 2009年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  21. ^ 「2010年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2011年平成23年)2月下旬号、キネマ旬報社、2011年、188頁。 
  22. ^ 2010年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  23. ^ 「2011年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2012年平成24年)2月下旬号、キネマ旬報社、2012年、201頁。 
  24. ^ 2011年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  25. ^ 「2012年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2013年平成25年)2月下旬号、キネマ旬報社、2013年、204 - 205頁。 
  26. ^ 2012年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  27. ^ 「2013年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2014年平成26年)2月下旬号、キネマ旬報社、2014年、197 - 198頁。 
  28. ^ 2013年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  29. ^ 「各社2014年の動向を見る」『キネマ旬報2015年平成27年)3月下旬号、キネマ旬報社、2015年、88 - 92頁。 
  30. ^ 2014年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  31. ^ 「各社2015年の動向を見る」『キネマ旬報2016年平成28年)3月下旬号、キネマ旬報社、2016年、70 - 71頁。 
  32. ^ 「劇場版ラブライブ!」最終興収28.6億円で確定”. ORICON NEWS (2016年3月14日). 2017年5月11日閲覧。
  33. ^ 2015年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  34. ^ 「各社2016年の動向を見る」『キネマ旬報2017年平成29年)3月下旬号、キネマ旬報社、2017年、66 - 67頁。 
  35. ^ 2016年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟

東宝

東宝年度別興行収入
年度 年間興行収入 前年対比 興行収入トップ番組 出典
映画タイトル 興行収入
2000 255億3835万円 N/A 劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI 048.5億円 [1][2]
2001 548億5756万円 214.8% 千と千尋の神隠し 308.0億円 [3][4]
2002 312億3703万円 056.9% 猫の恩返し 064.6億円 [5][6]
2003 421億7402万円 135.0% 踊る大捜査線 THE MOVIE 2 173.5億円 [7][8]
2004 542億5622万円 128.6% 世界の中心で、愛をさけぶ 085.0億円 [9][10]
2005 525億0934万円 096.8% ハウルの動く城 196.0億円 [11][12]
2006 587億7720万円 111.9% ゲド戦記 076.9億円 [13][14]
2007 595億1067万円 101.2% HERO 081.5億円 [15][16]
2008 739億1459万円 112.4% 崖の上のポニョ 155.0億円 [17][18]
2009 654億9331万円 088.6% ROOKIES -卒業- 085.5億円 [19][20]
2010 748億6912万円 114.3% 借りぐらしのアリエッティ 092.6億円 [21][22]
2011 591億1110万円 079.0% コクリコ坂から 044.6億円 [23][24]
2012 741億3577万円 125.4% BRAVE HEARTS 海猿 073.3億円 [25][26]
2013 673億2289万円 090.8% 風立ちぬ 120.2億円 [27][28]
2014 729億6541万円 108.4% 永遠の0 087.6億円 [29][30]
2015 731億5117万円 100.3% 映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン! 078.0億円 [31][32]
2016 854億2671万円 116.8% 君の名は。 249.4億円 [33][34]

注釈

出典

  1. ^ 「2000年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2001年平成13年)2月下旬号、キネマ旬報社、2001年、149 - 150頁。 
  2. ^ 2000年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  3. ^ 「2001年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2002年平成14年)2月下旬号、キネマ旬報社、2002年、138頁。 
  4. ^ 2001年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  5. ^ 「2002年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2003年平成15年)2月下旬号、キネマ旬報社、2003年、139 - 140頁。 
  6. ^ 2002年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  7. ^ 「2003年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2004年平成16年)2月下旬号、キネマ旬報社、2004年、161頁。 
  8. ^ 2003年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  9. ^ 「2004年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2005年平成17年)2月下旬号、キネマ旬報社、2005年、153頁。 
  10. ^ 2004年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  11. ^ 「2005年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2006年平成18年)2月下旬号、キネマ旬報社、2006年、177 - 178頁。 
  12. ^ 2005年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  13. ^ 「2006年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2007年平成19年)2月下旬号、キネマ旬報社、2007年、185頁。 
  14. ^ 2006年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  15. ^ 「2007年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2008年平成20年)2月下旬号、キネマ旬報社、2008年、165頁。 
  16. ^ 2007年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  17. ^ 「2008年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2009年平成21年)2月下旬号、キネマ旬報社、2009年、173頁。 
  18. ^ 2008年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  19. ^ 「2009年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2010年平成22年)2月下旬号、キネマ旬報社、2010年、172頁。 
  20. ^ 2009年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  21. ^ 「2010年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2011年平成23年)2月下旬号、キネマ旬報社、2011年、188頁。 
  22. ^ 2010年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  23. ^ 「2011年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2012年平成24年)2月下旬号、キネマ旬報社、2012年、201 - 202頁。 
  24. ^ 2011年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  25. ^ 「2012年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2013年平成25年)2月下旬号、キネマ旬報社、2013年、205頁。 
  26. ^ 2012年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  27. ^ 「2013年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2014年平成26年)2月下旬号、キネマ旬報社、2014年、198 - 199頁。 
  28. ^ 2013年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  29. ^ 「各社2014年の動向を見る」『キネマ旬報2015年平成27年)3月下旬号、キネマ旬報社、2015年、88 - 92頁。 
  30. ^ 2014年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  31. ^ 「各社2015年の動向を見る」『キネマ旬報2016年平成28年)3月下旬号、キネマ旬報社、2016年、72 - 73頁。 
  32. ^ 2015年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  33. ^ 「各社2016年の動向を見る」『キネマ旬報2017年平成29年)3月下旬号、キネマ旬報社、2017年、68 - 69頁。 
  34. ^ 歴代ランキング - CINEMAランキング通信” (2017年5月7日). 2017年5月12日閲覧。

東映

東映年度別興行収入
年度 年間興行収入 前年対比 興行収入トップ番組 出典
映画タイトル 興行収入
2000 109億8361万円 N/A デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!
ONE PIECE
21.7億円 [1][2]
2001 125億3610万円 114.1% バトル・ロワイアル 31.1億円 [3][4]
2002 097億6418万円 077.9% 千年の恋 ひかる源氏物語 20.8億円 [5][6]
2003 100億2709万円 102.7% ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険 20.0億円 [7][8]
2004 095億7816万円 095.5% 半落ち 19.0億円 [9][10]
2005 119億8586万円 125.1% 北の零年 27.0億円 [11][12]
2006 133億2192万円 111.1% 男たちの大和/YAMATO 50.9億円 [13][14]
2007 085億2444万円 064.0% 大奥 22.0億円 [15][16]
2008 119億7561万円 140.5% 相棒 -劇場版- 44.4億円 [17][18]
2009 179億8025万円 150.1% 劔岳 点の記 25.8億円 [19][20]
2010 136億0332万円 075.7% ONE PIECE FILM STRONG WORLD 48.0億円 [21][22]
2011 167億3295万円 123.3% 相棒 -劇場版II- 31.8億円 [23][24]
2012 175億3889万円 104.8% 仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦 15.6億円 [25][26]
2013 168億1839万円 095.9% ONE PIECE FILM Z 68.7億円 [27][28]
2014 116億1122万円 069.0% 相棒 -劇場版III- 21.2億円 [29][30]
2015 109億4340万円 094.2% ドラゴンボールZ 復活の「F」 37.4億円 [31][32]
2016 149億5933万円 136.7% ONE PIECE FILM GOLD 51.8億円 [33][34]

注釈

出典

  1. ^ 「2000年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2001年平成13年)2月下旬号、キネマ旬報社、2001年、150 - 151頁。 
  2. ^ 2000年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  3. ^ 「2001年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2002年平成14年)2月下旬号、キネマ旬報社、2002年、138 - 139頁。 
  4. ^ 2001年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  5. ^ 「2002年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2003年平成15年)2月下旬号、キネマ旬報社、2003年、140 - 141頁。 
  6. ^ 2002年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  7. ^ 「2003年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2004年平成16年)2月下旬号、キネマ旬報社、2004年、161 - 162頁。 
  8. ^ 2003年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  9. ^ 「2004年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2005年平成17年)2月下旬号、キネマ旬報社、2005年、153頁。 
  10. ^ 2004年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  11. ^ 「2005年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2006年平成18年)2月下旬号、キネマ旬報社、2006年、178頁。 
  12. ^ 2005年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  13. ^ 「2006年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2007年平成19年)2月下旬号、キネマ旬報社、2007年、185 - 186頁。 
  14. ^ 2006年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  15. ^ 「2007年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2008年平成20年)2月下旬号、キネマ旬報社、2008年、165 - 166頁。 
  16. ^ 2007年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  17. ^ 「2008年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2009年平成21年)2月下旬号、キネマ旬報社、2009年、173 - 174頁。 
  18. ^ 2008年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  19. ^ 「2009年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2010年平成22年)2月下旬号、キネマ旬報社、2010年、172 - 174頁。 
  20. ^ 2009年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  21. ^ 「2010年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」『キネマ旬報2011年平成23年)2月下旬号、キネマ旬報社、2011年、188 - 189頁。 
  22. ^ 2010年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  23. ^ 「2011年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2012年平成24年)2月下旬号、キネマ旬報社、2012年、202 - 203頁。 
  24. ^ 2011年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  25. ^ 「2012年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2013年平成25年)2月下旬号、キネマ旬報社、2013年、205 - 206頁。 
  26. ^ 2012年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  27. ^ 「2013年 日本映画・外国映画 業界総決算」『キネマ旬報2014年平成26年)2月下旬号、キネマ旬報社、2014年、199頁。 
  28. ^ 2013年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  29. ^ 「各社2014年の動向を見る」『キネマ旬報2015年平成27年)3月下旬号、キネマ旬報社、2015年、88 - 92頁。 
  30. ^ 2014年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  31. ^ 「各社2015年の動向を見る」『キネマ旬報2016年平成28年)3月下旬号、キネマ旬報社、2016年、74頁。 
  32. ^ 2015年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟
  33. ^ 「各社2016年の動向を見る」『キネマ旬報2017年平成29年)3月下旬号、キネマ旬報社、2017年、70頁。 
  34. ^ 2016年興行収入10億円以上番組 (PDF) - 日本映画製作者連盟