御称号

日本の特定の皇族に与えられる、主に幼少時の呼び名

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御称号(ごしょうごう)とは、名詞称号」に接頭辞」がついたもので、日本皇室の、一部の皇族に与えられる幼少時の呼び名。

近現代の皇室では「…」(…のみや)とすることが慣例だが、これは宮号宮家としての「宮」とは別のものである(例:文仁親王の御称号は礼宮で、宮号は秋篠宮)。

概要

伝統的に日本の皇族の幼少時に与えられる呼び名である。漢字の出典については、『五経』などの古典から学者が選出し、天皇に複数の案を提出し、天皇が案から選ぶことになっている。慣習によるものであり、特定の法令に基づくものではない。

現在、皇族の称号は天皇または皇太子の子女にのみ与えられ、宮家の子女には与えられていないが(例えば秋篠宮家の悠仁親王などには与えられていない)、かつては、宮家の子弟も含むいかなる皇族も称するものであった。現在は漢字一文字と「宮」の組み合わせであることが多い(明治天皇の皇女・富美宮のように、漢字二文字の場合もある)。この慣習が、いつ頃から始まったのか定かでないが、中世には既に定着していたようである。

一覧

御称号 読み 続柄 天皇・宮家
女一宮 おんないち 興子内親王 後水尾天皇第二皇女
素鵞宮 すが 紹仁親王 後水尾天皇第四皇子
秀宮 ひで 良仁親王 後水尾天皇第八皇子
高貴宮 あて 識仁親王 後水尾天皇第十九皇子
五宮 いつつ 朝仁親王 霊元天皇第五皇子
長宮 ます 慶仁親王 東山天皇第五皇子
八穂宮 やほ 桃園天皇 八条宮智仁親王第一王子
緋宮 あけ 後桜町天皇 八条宮智仁親王第一王子
祐宮 さち 光格天皇 八条宮智仁親王第一王子
寛宮 ゆた 後桜町天皇 八条宮智仁親王第一王子
煕宮 ひろ 孝明天皇 八条宮智仁親王第一王子
若宮 わか 智忠親王 八条宮智仁親王第一王子
六宮 ろく 智仁親王 誠仁親王第六皇子
梅宮 うめ 珠光院 八条宮智仁親王第一王女
二宮 勝行親王 八条宮智仁親王第二王子
三宮 さん 廣幡忠幸 八条宮智仁親王第三王子
幸宮 さち 穏仁親王 後水尾天皇第十一皇子
倉宮 くら 長仁親王 後西天皇第一皇子
員宮 かね 尚仁親王 後西天皇第八皇子
正宮 まさ 作宮 靈元天皇第九皇子
富貴宮 ふき 文仁親王 靈元天皇第七皇子
若宮 わか 家仁親王 文仁親王第一王子
稻宮 いね 周典親王 文仁親王第二王子
美目宮 びもく 常子女王 文仁親王第一王女
季宮 すえ 共宮 後西天皇第一皇子
祐宮 さち 睦仁親王 孝明天皇次男 明治天皇
梅宮 うめ 薫子内親王 明治天皇次女
建宮 たけ 敬仁親王 明治天皇次男
明宮 はる 嘉仁親王 明治天皇三男 大正天皇
滋宮 しげ 韶子内親王 明治天皇三女
増宮 ます 章子内親王 明治天皇四女
久宮 ひさ 静子内親王 明治天皇五女
昭宮 あき 猷仁親王 明治天皇四男
常宮 つね 昌子内親王 明治天皇六女
周宮 かね 房子内親王 明治天皇七女
富美宮 ふみ 允子内親王 明治天皇八女
満宮 みつ 輝仁親王 明治天皇五男
泰宮 やす 聡子内親王 明治天皇九女
貞宮 さだ 多喜子内親王 明治天皇十女
迪宮 みち 裕仁親王 大正天皇長男 昭和天皇
淳宮 あつ 雍仁親王 大正天皇次男 秩父宮
光宮 てる 宣仁親王 大正天皇三男 高松宮
澄宮 すみ 崇仁親王 大正天皇四男 三笠宮
照宮 てる 成子内親王 昭和天皇長女
久宮 ひさ 祐子内親王 昭和天皇次女
孝宮 たか 和子内親王 昭和天皇三女
順宮 より 厚子内親王 昭和天皇四女
継宮 つぐ 明仁親王 昭和天皇長男 上皇
義宮 よし 正仁親王 昭和天皇次男 常陸宮
清宮 すが 貴子内親王 昭和天皇五女
浩宮 ひろ 徳仁親王 明仁長男 天皇
礼宮 あや 文仁親王 明仁次男 秋篠宮
紀宮 のり 清子内親王 明仁長女
敬宮 とし 愛子内親王 徳仁長女

[1]

関連項目

脚注

  1. ^ 『皇族 天皇家の近現代史』小田部雄次 中公新書 2011 p28