梅溪通善
(梅渓通善から転送)
梅溪 通善(うめたに みちたる、文政4年7月19日(1821年8月16日) - 明治32年(1899年)10月12日[1])は、幕末から明治時代にかけての公卿、華族(子爵)。
安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、実兄の六条有容とともに廷臣八十八卿列参事件に参加した。
官歴
編集系譜
編集脚注
編集- ^ 『平成新修旧華族家系大成 上』霞会館、1996年、p.256。
- ^ 『官報』第308号、1884年7月9日。
- ^ 『官報』第1065号、1887年1月21日。
出典
編集日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 梅溪家初代 1884年 - 1899年 |
次代 梅溪通治 |